知ってましたか? 驚きの最近の美術教科書
以前投稿した下記の記事の最後に最近の高校生用美術の教科書について言及し、いずれ別の記事で紹介すると約束しました。ここに記事を投稿いたします。(当初の予定と違い、余談と回想が膨らみかなり長い記事になってしまいました.。しかし一気に読み通して頂いたほうが、私の驚きについて理解していただけると思うので分割せずに投稿します。時間の余裕がある時にお読みください。 ただ後半は前半に比して長すぎる個人的な漫画・アニメ論になっています。ご関心の無い方は省略していただきたく)
驚きの内容
まず下に示す平成29年度版の文部省検定済み教科書「高校生の美術1}の表紙をご覧ください。
上のサムネイルの表紙は小さくて個々の絵が分かりにくいと思いますが、言いたいことは以下の点です。表紙を大きくご覧になりたい方は、直接アマゾンのページに飛んでいただきたく。
表紙から見えるもの
すぐ分かることは西洋美術の巨匠の絵と日本美術の絵がほぼ対等に配置されていることです。
上部左から二つ目の線画は、「線スケッチ」の私の師、永沢まこと氏の作品でスケッチ作品が教科書の表紙に載るのはめずらしい。
従来の絵画・彫刻以外にイラストレーション、デザイン、写真が等しく取り上げられている。
私は団塊の世代の人間です。その年代の人間からするとこの表紙の構成を見るだけで驚いてしまいます。
なぜなら記憶する限り私が習った教科書はほぼ西洋美術で埋められていたと思うのです。すなわち美術と云えば西洋美術でした。日本美術は日本の歴史の教科書で出てくる程度です。ましてやイラストやスケッチなどは論外です。
ただこのように書きましたが、実際は私が忘れているだけで日本美術が教科書には取り上げられていた可能性があります。
とはいえ、一つ言えることは、戦後の教育は戦勝国アメリカが主導したこと、また世間の大人の眼も戦前の反動で日本的なものを排し、欧米の文化に向かっていたはずです。ですから教える大人も学ぶ私たちも自然に欧米に傾いていたと思います。
少なくとも私に限って言えば、大学生になるまで日本美術についてはほとんど目が向きませんでした。
中身を見てもっと驚いた
それでは中身はどうでしょうか。
まず表紙をめくると1頁まるごとゴッホの「医師ガシェの肖像」が現れます。やはり西洋美術かと思いきや、なんと隣に大きく田中一村の「アダンの海」が並んでいます。
初めから、西洋美術と日本美術の対等な並置で始まりました。このことからこの教科書の編集者(それとも文科省?)の姿勢が分かります。
しかもつい最近(私の感覚では)まで無名の画家だった田中一村を教科書に登場させたのです。日本画の世界でまだ評価が定まっていないかもしれません。昔の教科書の選択基準の感覚では大胆不敵そのものです。
そして「絵画」の章が始まります。第一節は「身近なものを描く」。取り上げられた作家は、田中一村、大島理恵、デイヴィッド・ホイックニー、ジョルジョ・モランディ、福田平八郎、ホルスト・ヤンセン。
この顔ぶれを見ても、あれ本当に教科書?と思われないですか。
次のページをめくると、ゴッホの「ゴッホの椅子」、その真向いに、藤田嗣治、坂本繁二郎の絵とともに、永沢まことの二枚の線スケッチ作品が並んでいるのです。
凄いことではないでしょうか。私の師の永沢まことは、嘗ては東映動画のアニメーター、その後イラストレーター、そして近年スケッチ作家としてそれらの分野で知られていますが、いわゆる純粋芸術(ファイン・アート、ピュア・アート)の作家とはみなされていません。その作家たちの中にスケッチ作家が並んでいることは嘗てあったでしょうか。
参考までに、私が「線スケッチ」に魅せられるきっかけになった本を下に紹介します。定年後濡れ落ち葉にならないようにと趣味を探していた時、新宿高島屋横の紀伊国屋(今は洋書コーナーしかありません)で、何気なく手に取り、えいやと開いた時に目に飛び込んだイタリアの「ボルトヴェーネレ風景」のパノラマに一瞬のうちに虜になったのです。
さて次のページの「植物を描く」の節では、日本画家の中島千波のスケッチと植物画(日本画)が丸山応挙の写生帖、次のページにジョージア・オキーフ、エゴン・シーレの油彩と共に柴田是真、熊田千佳慕の植物画が続きます。
すでに田中一村、福田平八郎が出てきたので、この段階で日本画家が出てくるのは不思議ではありませんが、明治以降あまたの日本画の巨匠がいる中で現代の日本画家の中島千波が大きく現れたのは驚きです。
日本人画家は、同じページに丸山応挙、向かいのページに柴田是真、熊田千佳慕と続きますが、この人選を皆さんはどう思われるでしょうか?
丸山応挙は江戸期の代表的な画家として知られているので分かるにしても、なぜ柴田是真なのでしょうか? 是真は近年知られてきたとはいえ、渡辺省亭、河鍋暁斎、小村雪岱と同様戦後忘れられかけた画家の一人です。
ですから、この画家も田中一村と同様、編集者が何か目的をもってあえて選んだとしか思えません。絵本作家、童話作家の熊田千佳慕を選んだのも同じ意識からではないでしょうか。
私は線スケッチを始めてすぐ河鍋暁斎、小村雪岱を知り、2000年以降ブログでも記事をいくつも書いてきたのですが、是真については名前を知っているぐらいで作品を見る機会はありませんでした。
今回、フリー画像を得るためにwikimedia commons で検索したところ、多量の画像が出てきました。このことは、やはり日本よりも海外の方が知名度が高いことを示していると思います。渡辺省亭、河鍋暁斎にしてもしかり、「新版画」の吉田博、川瀬巴水もしかりです。
どうやら海外で有名になると日本では忘れ去られるようです。
教科書に掲載された柴田是真の植物画と同じ画像がなかったので、別の植物画を示します。一見、写実風ですが随所に独特のデザイン感覚を感じます。
ついでに、東京芸大所蔵の植物画本も出ているようなので下に示します。
次の節「視点と表し方」ではさすがにセザンヌやピカソなど西洋美術の画家が主になりますが、その次の節「私の見付けた風景」では、ここでも日本画家、奥村土牛の「醍醐の桜」のスケッチと本画の「醍醐」が大きく取り上げられました。
最近、日本画の美術展では本画だけでなく、スケッチや下絵が展示されることが多くなりました。
「線スケッチ」をする立場からは、正直にいうと本画よりも画家自身の気持ちが直接伝わるスケッチの方が魅力的に感じます。
編集者も最近のこのような傾向を意識したのでしょうか。
さて、風景画と云えば、以前であれば当然バルビゾン派や印象派の画家達が主役として掲載されるはずですが、次の節「屋外の風景を描こう」では、予想とは大違い、アメリカの画家エドワード・ホッパーの「灯台のある丘」が最初に大きく掲載されています。
その絵の下に、小野竹喬の「瀬戸の海」、右隣のギュスターヴ・カイユボットの「上から眺めた大通り」が並んでいます。
西洋の巨匠としてはようやく次のページにカミーユ・コローとアルフレッド・シスレーの絵が現れるのです。
日本におけるアメリカの絵画と云えば、私の若いころは戦後のジャクソン・ポロック、マーク・ロスコらの抽象絵画やアンディー・ウォーホルやロイ・リキテンシュタインらのポップ・アートが中心だったような気がします。
戦前のエドワード・ホッパーやジョージア・オキーフは知る人ぞ知る程度ではなかったかと思うのです。
アメリカ人画家としては、ジェームズ・マクニール・ホイッスラーやメアリー・カサットが日本でも有名ですが、両人ともヨーロッパで認められた画家で、米国で活動した画家ではありません。
ですから、ホッパーにしてもオキーフにしてもコアなファンが昔からいたとは思いますが、一般の人の認知度は低かったのではないでしょうか。
あくまで私個人の邪推ですが、戦前のアメリカ絵画の実力を戦後の日本は過小評価していたか、流行に合わないとしてマスコミがとりあげなかった可能性があります。
調べてみると、最初のエドワード・ホッパー展が行われたのは1990年、ジョージア・オキーフ展は1993年になってからで、いずれも平成の時代になってからなのです。
かく言う私もホッパーについては名前は頭の隅にありましたが、何の関心もありませんでした。
しかし、街歩きスケッチ(都会スケッチ)を始めてからは俄然注目すべき
画家になりました。
2011年に国立新美術館で開催された「モダン・アート,アメリカン展 珠玉のフィリップス・コレクション」展で、ホッパーの作品をはじめてみました。
またしても昔話をして申し訳ありませんが、テレビの黎明期では、戦後のアメリカの生活を示すドラマが放映されていました。その底抜けに明るくハッピーな生活に人々は憧れました。ハリウッド映画もハッピーエンドばかりで、アメリカ文明の暗い影はみじんもありません。
しかし、ホッパーの絵は、当時日本人が思い描いていたアメリカ文明の底抜けの明るさとは程遠く、かといってヨーロッパの暗さとも違う、アメリカがかかえる独特な暗さを感じるのです。ルーツであるヨーロッパの歴史を引きずらない、新開地としてのアメリカ文明の暗さといってよいでしょうか。
そのホッパーが日本の教科書で取り上げられたことに時代を感じます。
ちなみに、残念ながら掲載可能な教科書と同じ絵を見つけることが出来なかったので、描いた灯台の写真とホッパーの油彩の例を参考までに示します。
「日本美術」が独立した節で設けられた!
風景の次に「人物を描く」、「視覚のトリック」、「想像を形に」と題した節が続きます。
さすがに肖像画では西洋美術の巨匠の絵が大半を占めますが、またしても米国作家のアンドリュー・ワイエスや「都会スケッチ」とは切り離せない私が好きな松本竣介が大きく取り上げられていることはうれしい限りです。
以上、この教科書では西洋、東洋(日本)の画家を分け隔てなく取り上げる内容を見てきたのですが、その次の節に「日本美術」の節が独立して現れたことにさらに驚きました。
昔であれば、ルネッサンス以降の西洋近代絵画が中心だった(と記憶する)内容とは対照的に、「日本美術」の節をわざわざ設けて、独自の美意識、表現方法を記述する場を設けたのです。
あえて別の見方をすると、「日本美術」を特別扱いすることで、これまで西洋美術偏重だったのを埋め合わせしようとしているのかもしれません。
さてこの教科書では各節に「ねらい」と称する副題が付いています。「日本美術」では次のような「ねらい」となっています。
この「ねらい」 に対して、第一番目に持ってきたのは「洛中洛外図」(舟木本)の右隻と、それに合わせて現代作家、山口晃の「東京圖 六本木昼図」です。
なお「洛中洛外図」は多数の〇〇本がありますが、この教科書ではその中でも岩佐又兵衛の舟木本が選ばれています。又兵衛のファンである私としてはうれしく思います。
この二つの作品から、日本美術の特筆は、まず「鳥瞰」、次に「金雲」だというのです(この教科書では書いていませんが「金雲」と同じ効果を持つ「すやり霞」も挙げておきたい)。
どこまで教科書の編者が意識したのか分かりませんが、「線スケッチ」を教える立場からは、この二つの項目を最初に持ってきたのはとても納得できるのです。
西洋美術を知ってしまった私たちは、空間描写として「透視図法」または「線遠近法」を避けて通ることが出来ません。しかし、まず理屈を説明するだけで生徒の皆さんはうんざりした表情になります。さらに奥行きのある風景画を描く時に、中景、遠景の樹木の葉っぱをどのように描いてよいか分からず、ほとんどの人が困惑します。
ところが、私たちのご先祖様は、何なくそれをクリアしてしまうのです。
実際、すでに「ゴッホの手紙」の感想文(補遺)の記事で書きましたように、ゴッホが原野(畑)を描くにあたって、日本の絵画の特徴は「鳥瞰」と「生活を描き込んでいる」ことだと述べており、まさに日本美術の本質を捉えています。(詳しくは、下記をご覧ください)
さて、この教科書の編者は「鳥瞰」、「金雲」の次に「和の空間」というタイトルで日本美術の特徴を説明します。
「絵画」の章ですから、その例題として屏風(尾形光琳の「燕子花図屏風」)、襖絵(狩野永徳の「四季花鳥図襖」)、掛軸(宮本武蔵の「遊鴨図」)が示されています。
そして、それぞれ和室(書院造)の中での使われ方がイラストで例示されています。
しかし「和の空間」に絵画だけでなく、掛軸の表装、床の間の生け花および花瓶、欄間の彫り物、障子の枠のデザイン、床柱、釘隠し、畳縁などの工芸品、部屋の内装品も加えれば、日本人の暮らしは美に囲まれていると言って過言ではありません。
事実、私が読んだ幕末に訪れた外国人の多くの記録の中で、上層階級だけでなく庶民まで美に囲まれた生活をしていることを驚きをもって書き記しています。
余談ですが、ごくごく最近でも、英国BBCが ”Art of Japanese Life” と題して、1時間番組を3シリーズにわたって日本美術の特集を組みました。
2017年のことです。予告編を見て現代の英国人がどのように暮らしの中の日本美術を見ているのか是非視聴したいと探したのですが、当時はかなわず、今あらためて調べたらdayly motion にあがっているではありませんか。
残念ながら日本語はもちろん英語の字幕すらありませんが、まるで外国人向けかと思うほど平易な単語を使って大変ゆっくりと話していますので、何を話しているか大半は聞き取れると思います。参考までにURLを下に記載します。
なお、「和の空間」のページでは別枠として日本の絵巻もしっかり取り上げられていて、「異時同図」を日本美術の特徴として付け加えています。
さて、いよいよ本命の出番です。次に取り上げられたのは「浮世絵版画の魅力」です。
さすがにこのテーマで新機軸を出すのは難しいとみえ、初期の菱川師宣、鳥居清信、鳥居清倍ときて中期の鈴木春信、後期の喜多川歌麿、東洲斎写楽、葛飾北斎、歌川広重と定番の浮世絵師が並びます。
ところが、この教科書はそこで留まりません。
「版で表す」という節で、凸版画(木版画)、孔版画(シルクスクリーン)、凸版画(ゴム版画)、凹版画(銅版画)と表現方法を分類して解説していますが、例示されたそれぞれの作家がユニークなのです。
木版画では斎藤清や棟方志功は、私の年代でも昔から知られていたので採用されたのは不思議ではありません。
しかし一番大きい図版は、日本ではまだまだ知名度のない「新版画」の作品、「芝増上寺」で作者は川瀬巴水です。
20年近く前、「線スケッチ」を始めて「新版画」の世界を知って以来、海外でこれほど有名なのになぜ日本では知られていないのかと残念に思っていた私ととしては、ついに教科書に載ったかという感慨がわきます。
さらに、凸版画(ゴム版画)の作家としてナンシー関の作品が、隅にチョコンと目立たないように載っているのもほほえましく、この教科書の編者に拍手を送りたくなります。
ナンシー関のゴム版画を最初に見た時の新鮮な驚き、そして早逝した無念を思い出しました。
さて驚きは「新版画」の採用だけではありません。次なる驚きが待っていました。
次節「墨表現の可能性」で日本の水墨画が特集されているだけでなく、それに引き続いて「漫画の表現」の節が現れたのです。
予想外の水墨表現と漫画表現の連結! 「編集者さん、そうきたか」と呼びかけたくなります。
水墨画といえば、私がぼんやり思い出すのは高校の「日本の歴史」教科書の中で、まず中国、南宋の画家牧谿の水墨画が出て、そのあと鎌倉、室町時代の日本人の水墨画が並んでいた様子です。例えば如拙作の瓢鮎図が思い出されます。
あくまで私の当時の感想ですが、日本の水墨画のどこに魅力があるのかわからず、どれをみても中国絵画の模倣としか見えませんでした。
丁度それは欧米人が日本の美術全般が中国の模倣ではないかとみなすのとよく似ています。中々日本独自の部分が見えてこないのです。
しかし、自分が「線スケッチ」を始めてみて、制作する立場で見ていくと、戦国時代から江戸期の絵では日本独自の面が見えてきて当時の考えが間違いだったことに気づきました。
この節では、曽我蕭白、仙厓義梵、長沢芦雪、伊藤若冲といった江戸中期の画家達の墨絵に加え、教科書としては外してはいけない雪舟等楊の「秋冬山水図・冬景図」が示されます。
さらに加えて、私が知らない現代水墨画の作家二人(茂本ヒデキチおよび譚小勇)の作品を掲載しています。
私の高校時代は、芦雪も若冲も蕭白も誰も知りませんでした。彼らは、いわゆる正統とは言えない画家達です(当時の基準では)。辻 惟雄氏が1970年に出した「奇想の系譜」以来50年、ついに教科書の紙面を乗っ取った感じです。
おまけに、一見正統派に見える雪舟等楊も、実はアヴァンギャルドな画家であると、赤瀬川原平氏や、明治学院大学の山下裕二氏、山口晃氏はいろんな場所で強調しています(私は昔の教育を受けていて雪舟は正統水墨画の巨匠であると刷り込まれています。急にアヴァンギャルドと云われても当惑します)。
もしそうだとすると、水墨画のページは、アヴァンギャルドの作家で占められたことになります。
とはいえ、これらの水墨画は墨と筆の動き、すなわち墨の濃淡、墨の色調(青味、赤味、漆黒など)、線の肥痩、かすれなど、様々な表現が可能で、基本的に「線スケッチ」におけるサインペンの動かし方と通ずるものがあるので、若い人が色んな表現を学ぶのはよいことだと思います。
漫画ははたして絵画なのか? 実は文部科学省は絵画であることを前提としている!
ところが、問題は「漫画」です。この教科書の章立てから「絵画」の中の節の一つなのです。
ということは、漫画は絵画であることをすでに前提としている!ことになります。本文には、まったくそれについては触れておらず、いきなり漫画の表現方法の記述に入ります。
いったいこれはどうしたのでしょう? え? いつのまに?
「線スケッチ」の立場からは、「漫画線」は、線の幅が一定で、表情が無い線に分類できます。ですから、線の肥痩で表情を出す「線スケッチ」には向いていません。
また、この節では「古典作品にみる漫画表現」の題で「鳥獣人物戯画 甲巻」と葛飾北斎の「北斎漫画」が例示されています。これらは、私の若いころから漫画のルーツだと言われ続けてきましたから、あまり新鮮味はありません。
実は「線スケッチ」の立場からすると、これら二つの古典作品は表情豊かな筆の線で描かれており、つるっとした線の「漫画線」とは似ても似つかないものです。
ですから、キャラクター重視、物語重視、(工房の助手スタッフが描けるように)無表情で一定幅の線の漫画に対して「鳥獣人物戯画 甲巻」と「北斎漫画」がルーツだと言い切るのは安易すぎないかと思うのです。
ところが、次の事実が判明したのです。
何と『中学校学習指導要領美術編』(2002試行)に漫画が公式に明記されていた!
あまりにも何の理由も説明がされていないので、インターネット上で検索したところ、竹内美帆氏の博士論文「美的陶冶としてのマンガ ――美術教育、表現論、テクスト分析――」(2018年3月)に詳細が記されていました(下記引用を参照)。
どうやら「漫画」は、2002年に我が国の教育界において公的な位置を獲得したようです。もう20年も前のことです。知らぬは私一人なりけりという訳です。
しかしこれだけなら、漫画はあくまで表現手段として教育現場で使ってもよいという程度の内容です、竹内氏は、さらに続けて「漫画」の位置づけについて、別の文科省の資料から次のように解説します。
ついに、「漫画」=絵、「漫画」=日本の伝統的な表現形式 と規定されたのです!
その出所はどこかというと、『中学校学習指導要領解説美術編』だと言います。
これで、なぜ「漫画」が「絵画」であることに対して何も理由が書かれていないのか、また当然のように「鳥獣人物戯画」と「北斎漫画」が「漫画」のルーツとして例示されているのか、その理由が分かりました。
いわば「天の声」、お上の声です。宣言されて受け入れるしかないように見えます。
しかし、不思議なのは、これだけの価値評価のコペルニクス的転回ともいうべき大変換に対して、国内で大きな論争があった記憶が私にはないのです。公的に認められる前に侃々諤々の論争が行われていたのなら、大手マスコミの格好のニュースになっているはずです。
あくまで個人の推測ですが、漫画のほとんどの実作者は、漫画が絵画かなどということは、ハナから思っていないでしょうし、考えようともしていないはずです。丁度、江戸の浮世絵師が近代絵画的な作家意識を持っていなかったように。
一方、一部の漫画評論家や大学の研究者は取り上げたかもしれません。しかし、この価値観の変化について一般の人々に知れ渡るほどではなかったと思います。
このような漫画界の姿勢とは別に、これまで純粋アート作品を扱ってきた美術関係者(教育者、大学研究者、批評家、美術館の学芸員、館長をはじめとする役職者)からは何の反応もなかったのでしょうか? それとも漫画を取るに足らない存在とみなしていて無関心、無反応だったのでしょうか?
この問題については、どこか江戸浮世絵版画の欧米と日本での受容、あるいは現代の「新版画」の欧米と日本での受容の問題に似ています。次の節の「劇画線」と海外の美術館の漫画展について別の視点で触れてみたいと思います。
「漫画」=アート:またしても海外の美術館に先行されたのか?
さて、前節までは「線スケッチ」の立場から「漫画線」は一定幅の線で描かれ表情を持たないと規定して話を進めてきました。
しかし賢明な読者はすぐに、線に表情がある「劇画線」があるではないかとご指摘になると思います。まったくその通りです。同意します。
ここで少し横道にそれます。
仙台に単身赴任時代、伊東豊雄の設計が好きで足しげく通った「仙台メディアテーク」で、ある日、井上雄彦の展覧会「井上雄彦 最後のマンガ展」(2010年5月~6月)に遭遇しました。
2008年に上野の森美術館で始まった大規模な個人展覧会の最後の巡回地でした。
さて私自身ですが、現在この年代(後期高齢者)になって漫画は読んでいません。しかし漫画界の動向や絵柄については、何となく追うことにしていました。
劇画で云えば、古くは「ゴルゴ13」のさいとうたかお、「カムイ伝」の白土三平、「子連れ狼」の小島剛夕が「劇画線」の作家たち。
それから時代が下り、井上雄彦も「劇画線」です。特筆したいのは井上は大胆にもペンから筆に変え、活動範囲が増えて単なる漫画家の枠を超え始めたように思うのです。
そして、国内において2000年前後から、個人名を冠した漫画展が開かれるようになってきたと思います(1995年に開館した「横手市増田まんが美術館」と以降の企画展がその象徴的な出来事と云えます)。
まさにその流れで「仙台メディアテーク」で私は井上雄彦のマンガ展に遭遇したのです。
話はさらに横道にそれます。
今を遡ること45年前、私はフランス・アルザスのストラスブールの大学の研究室に企業から派遣されていました。私は化学が専攻なのですが、驚くべきことに戦前の教育の伝統に沿って戦後30年近く経ってもドイツ語が必須で、実際分析の教科書はドイツ語だったのです。このような理由で私はドイツ語には慣れていたのですが、お隣の国のフランス語はさっぱりです。
へそまがりの私は、事前に無料で受けられる3か月間のフランス語研修を断り、10までの数字すら口に出せない状態で旅立ちました。そして深く後悔することになります。
なぜなら仕事については研究者同士なら英語で用が済みますが、テクニシャンには実験装置の拝借や運転の依頼を、実験道具や材料の手配を頼むにはフランス語しか話せない窓口のおばちゃんやおじさんと話さなければならないからです。もちろん日常の生活では店で物を買うことすらできません(ジェスチャーのみです)。
前置きが長すぎました。私はつぎのような結論を出します。そして実行にうつします。
結論:語学研修する時間はない。それではどんな方法があるか。一つはテレビの幼児番組を徹底的に見る(聴くという方が正しい)しかない。そして単語を覚えるには新聞、書物、最初は漫画だと。
幸いといってよいのか分かりませんが、フランスのテレビでは当時手塚治虫の「ジャングル大帝」(吹き替え版)を毎日やっていたのでまずこれを見ることを日課にします。次に本です。最初は幼児用の本を探したのですが、なぜか戦前のベルギーの漫画家エルジェの「タンタンの冒険」に惹かれ購入したのです。
日本でも翻訳本を見たことがあり名前を知っていたこともありますが、戦前からの長いベスト・セラー本であることと、物語は面白いのはもちろん、日本の漫画とは違い色鮮やかなカラー印刷なのが気に入りました(当時は、それがバンド・デシネと言われるフランスのマンガのジャンルだとは露とも知りません)。
後年「線スケッチ」を始めて「バンド・デシネ」の存在を知りました。中でも、ジャン・ジロー、特に別名のメビウス名で描かれた作品に魅せられました。彼のペンまたは筆でよどみなく引かれた表情豊かな線描と、いかにもフランス人らしいパステル調の独特な配色に惹かれたのです。
その後の知識では日本の初期の漫画家たちもバンドデシネに大きな影響を受ける、そのまた逆もしかりと日仏間で大いなる相互影響があったことも知ります。
さて長いイントロになりました。ここからやっと「漫画はアートか?」という本題に入りたいと思います。
先に結論を述べます。
仏英の美術館による漫画展とは次の二つです。
(1)ルーヴル美術館特別展 「ルーヴルNo.9 ~漫画、9番目の芸術~」 森アーツセンターギャラリー (2016)
(2)The Citi exhibition Manga マンガ 大英博物館(2019)
まず、(1)のルーブル美術館特別展の補足説明をすると、もともと2000年代初めに、バンド・デシネが第9芸術であるとして、「ルーヴル美術館BD(バンド・デシネ)プロジェクト」が始まり、バンドデシネの作家だけでなく日本の漫画家も参加していた。その逆輸入の形で日本においてもこのプロジェクトを開催して世の中に知らしめようとしたものです。仏語圏のBD作家9人に加え、荒木飛呂彦、谷口ジロー、松本大洋、五十嵐大介、坂本眞一、寺田克也、ヤマザキマリが参加しました。
(2)の大英博物館の大規模漫画展には思い出があります。2018年の年末ごろ、何気なく大英博物館のホームページを覗いていたら、ゴールデンカムイの少女像(アシㇼパ)が大きくフィーチャーされているではありませんか。何事が起きたのかと驚きました。さらにその像は半年以上も大英博物館のホームページを飾り続けたのです。直感的に「これは異例なことだ」という想いと「時代の大きな変換点ではないか」という興奮を覚えました。
ルーブル美術館の2000年代初頭から始まる地道で継続的な取り組みに比べ、のっけから世界も驚かすような規模の漫画展から始めるとはおそらく大英博物館にとっても英断がいったでしょう。
事実、英国内外の反響は大きく、日本でも報道されました。そして、明らかな反発も生まれたようです。おそらく、それも見越したうえでの開催でしょう。
結局、わが国の場合またしても外国人の評価を通じてでないと思い切った見方を国内に啓蒙することが出来ないようです。
以上の最近の内外の漫画に関する動きを頭に入れると、あらためて2002年という早い段階で、文部科学省が公式に「漫画」=絵画 と言い切ったのは、あまりにも日本らしくない、とんでもないことではないでしょうか?
お役所内の誰がしかけたのでしょうか。これだけはまだ謎が残ります。
おまけ:
以上、海外美術館の漫画展を紹介しましたが、この記事の真ん中の方で、英国BBCのドキュメンタリー番組 ”Art of Japanese Life”をご紹介しました。
実際に三つのエピソードを見てみました。その中で、現代ポップカルチャーと漫画について紹介されていたのでおまけとして下にコメントします。
「線スケッチ」を始めて以来、日本の「絵巻物」に関心が深まり、その中で高畑勲が「絵巻物」について熱く語る場面を何度も見ました。
下に示す著書もその一環ですが、一読してその解釈の深さと面白さに一驚したものです。
そして2013年公開のアニメ「かぐや姫の物語」の制作となります。絵巻物についての持論をもとに、「毛筆スケッチ風タッチ」の輪郭線を用いる野心的な試みです。ただ次作を待たずに亡くなりました。高畑はもっと先を見ていた可能性があります。残念に思います。
最後に
感嘆符(!)をまき散らしながら、当初はせいぜいA4一頁程度の記事を書く予定でした。
ところが脱線も脱線、無駄に長い記事になってしまいました。しかも「絵画」の章だけについて驚きを書いただけなのです。
ここまできたら開き直りです。もう一つだけ感嘆符(!)を加えさせてください。
「絵画」の章は47ページ、「彫刻」の章は11ページ、「デザイン」「映像メディア表現」の章は、33ページ
本教科書の各章のページの比率をご覧ください。商業美術の「デザイン」「映像メディア」の章に多大のページを割いていることに驚きです。
デザインなどは微に入り細に入りこれでもかというほどの解説ぶりです。もちろん、写真、アニメの解説もぬかりありません。
この教科書を見たかつてのイラストレータ、デザイン、写真家、漫画家、アニメーターはびっくりされるのではないでしょうか。
私は浦島太郎状態なのか?
さて、以上この教科書について私の驚きを率直に書いてきたのですが、「漫画」の節で、あまりにも当然のように「漫画」=絵画 という図式が出てきたので、一つの疑念が湧いてきたのです。
驚いているのは自分だけではないのか? 単なる私は浦島太郎状態ではないのかと。
2002年にマンガが日本の教科書で公式に認められたとすると、そのころ中学・高校で学んだ方は、私が上で書いたことは常識の範囲になっているのかもしれません。彼らはもう30代半ば、日本社会の中枢の世代になりかけています。
ですから、今の大多数の私より若い人には常識の範囲の可能性があります。
びっくりマーク(!)を多用した私はピエロに見えてきました。たった半世紀ぐらいの価値観の変化に驚いているのです。もしそうだとすれば、その姿をお笑いください。
ただ、一つだけ言えそうなことは、私と同じ教育を受けた同世代、あるいはそれ以上の年齢層の方は私の驚きを共感していただけると思います。
そして私たちに比べて、これほど手取り足取り美術の世界を解説してくれている教科書で学んでいる今の高校生は幸せ者といえるでしょう。
(おしまい)