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ハッピーエンドだったから良かったね、ではない~自分の存在を肯定する
本日は、益田メソッドというか、よく僕が言っている「仕方がない」「生まれてきて良かった」をなかなか獲得しにくいよ、よくわからないな、という人に向けて補足したいなと思います。
この「仕方がない」「生まれてきて良かった」とは何かというと、精神科の治療の目指す先はここなんだよという話をするときにわかりやすいイメージです。
治癒した状況はどんなことなんだろうとわかりやすくするために説明してるんです。
なかなか到達しませんというのは、それはそうなんです、まだ治療の途中だから。
治療のある程度完成した姿が「仕方がない」と思える状態でもあるし「生まれてきて良かった」と思えた瞬間があるみたいなことなんです、ということです。
元々これはマーフィ重松先生というスタンフォードの日系アメリカ人の先生が言っていたものを、本人に承諾を得て、益田先生も使っていいですよ、と言われたので、僕なりにこの言葉を拝借してやってるのと、あとは禅僧の俊明さん(枡野俊明さん)とコラボしたときに、色々教えてもらったので、僕なりに解釈して、仏教やキリスト教など色々な古典的なもの、様々な思想や宗教、哲学と矛盾せず、現代医学および現代心理学とも矛盾せず、皆にとってわかりやすくて害にならないものということで、この言葉のセットを選んだという経緯があります。
◾️ストーリーではない
つまりこれは何かというと「仕方がない」というのは、感情やトラウマに支配されてない、そして、仕方ない、じゃあ次行こう、と切り替えがうまくできるという状態を指すんです。
「生まれてきて良かった」というのは、生きてることが幸せとか、グッド、バッドとか、そういう話じゃなくて、自分たちが存在しているんだなということの肯定なんです。
だから生きてきて良かった、生きていたというストーリーが良かった、そういう話じゃないんです。
私の人生というストーリーは色々あったけど、結果的に最後ハッピーエンドだったから良かったねという話じゃなくて、バッドエンドでもバッドストーリーでも、そのストーリーが存在しているということに価値を見出すという、ややこしいんですけど、難しい概念なんです。
だけど、それをわかりやすく言うために日常語とすると「仕方がない」「生まれてきて良かった」かなということだという風なこと言ってます。
でもそんなに難しく言わなくても、わかる人はわかりますね。
わかる人はわかるし、やはりそうだったなと思う人たちも多いので、使いやすいから使ってるということです。
◾️身につけると楽になる
結局、病気になるというのは理不尽なんですよ。
普通の人と同じような考え方をしていると、この病気ということを受け入れられないし、何だか訳がわからないですよ、説明がつかないんですね。
この説明がつかない病気や理不尽を理解するために自分の中で解釈して理解するために、解釈していくためには、そのアップデートが必要で、この思想的なアップデートの先がこの「仕方がない」「生まれてきて良かった」というやつなんです。
人間というのはタンパク質でできた脳というハードウェアに対して、データですね、文化、カルチャー、経験というデータがインストールされているロボットというか、モノなんです。
OSに当たる部分は言語やカルチャーなんですけど、OSが変わると操作されてる内容もちょっと変わるんです。
同じパソコンなんだけど入ってるデータ、アプリは結構違うじゃないですか。
人間もそうなんですよ。
言われてもよくわからないかもしれないけど、大きく違うんです。
それはなぜかというと、なぜそういうことが言えるかというと、歴史を学べばわかるんです。
時代や場所が違うと、常識はガラッと変わるんです。
その人の価値観、考え方もガラッと変わるんです。
僕らは民主主義かつ資本主義の、21世紀の日本という常識にガチガチに固められてるんです。
その構造の中に生きてるんですけど、それだと自分の価値を見出しにくいし、生きてるって何?と混乱するんです。
それは常識じゃ説明できないわけです、精神疾患になること、病気であることの人生を。
だからちょっとアップデートしていく、ちょっとパラダイムシフトを起こしてあげないといけないよ、ということになります。
その先が「仕方がない」「生まれてきて良かった」と思えるということなんですけど、これを身につけるとめちゃくちゃ楽なんです。
僕もこれを身につけて、おかげで臨床がすごく楽になったし、YouTubeも楽になったし、誹謗中傷を受けてもさほど傷つかなくなったし、色々な意味で、仕方ないな、でも良かったなと思えるようになって楽なんですよ。
楽だからYouTubeをたくさん撮れるんです。
疲れにくいから。
と言っても、嫌なことがあったら最初は落ち込んだり嫌な気持ちになったりしますよ。
嫌な気持ちになるんだけれども、昔の自分だったら、半日、1日、1週間、1ヶ月ぐらい落ち込んでたのが短くなった感じですね。
1週間とか2日とか短くなったという感じです。
これを身につけて身につけたというか、この感覚を掴んだからね、ということになります。
「仕方がない」は諦観だったり「生まれてきて良かった」というのはキリスト教的な概念だったりもしますけど、こういう組み合わせがさすが日系アメリカ人のマーフィ先生というか、素晴らしい天才が考えたものだなという気がします。
◾️生まれてきて良かったとは思えない?
よく聞かれる質問として、仕方がないとは思えるんですけど、生まれてきて良かったとは思えないです、生まれてきて良かったと思うんだけど、仕方がないと思えないんです、とよく言われるんです。
これは結局補完的なものなんだということを、最近僕もしゃべっている中で、質疑応答を受ける中で気付きました。
私は仕方がないと思ってるんだけど、どうしても生まれてきて良かったと思えません、という人の話を聞いているときに、質問を受けてるときに、この人はあまり仕方がないと思えてないなと気付いたんです。
いや、全然納得できてないなと。
そして納得できてないから、生まれてきて良かったと自分の存在を認められないんだなと思いました。
あとは、私は幸せなんだ、生まれてきて良かったと思ってるんです、と言う人がいたんだけれども、でも仕方ないと思えません、理不尽だと思いますということだから、やはり100%自分を信じてない、100%自分を肯定できていないということなんです。
存在を肯定できていないから「仕方がない」と思えない。自分は良いところもいっぱいあるけど、悪いところもいっぱいあるから、仕方がないと思えないというか。
そういう感じですよね、さっきの後半の例でいうと。
私は90点、数学99点、わからないけど成績良かったです、だけど国語だけ点数が悪かったから仕方がないと思いません、賢いと思ってますけど、みたいなやつみたいですよね。
じゃないんだよね。
そういうことじゃなくて、悪い点も含めて良かったなみたいな話にならなければいけないんだけど、その良いところだけを取ってしまってるから、その良い部分だけの存在を認めるけど、バッドな部分、弱い部分の存在は肯定できてないから仕方がないと思えてないということだったりするし、バッドな部分を受け入れているからこそ、生まれてきて良かったということになるんだけど、こういう補完関係にあるなと思いました。
どっちかしかわかってないという人は、やはり「仕方がない」側に注目するんじゃなくて、受け入れてるはずの「生まれてきて良かった」をもう一回疑ってみるということが大事だし、「仕方がない」がわからないという人は、わかってるはずの「生まれてきて良かった」をもう一回疑ってみると、良い循環が出るし、よくできてるなと思いました。
我ながらというか、まあそんな風に思いました。
◾️恵まれている?
もう1個質問を受けて思ったのが、いや、恵まれてるからそう思えるんでしょ?という話です。
そうと言えばそうなんだよね。
俊明さんも言ってたんですよ、体調が悪いときは座禅を組んでいてもゾーンに入りにくいですよ、マインドフルネスになかなかなりにくいんですよ、と言っていました、俊明さんも。
確かにその通りで、生理的欲求が満たされてないとき、お腹がすいて眠いときに、仕方がない、生まれてきて良かったとはなかなか思えないですよね、人間、当たり前だけど。
食べられてる、そして身の安全が確保されている、そして自分の居場所がある、そして承認されている、自分のやりたいことができている、それだとこういう風に思いやすいですよ。
それはそうだ。
満たされてる方が思いやすいですね。
でも、満たされてなくても思えるようにできるだけしていくというのが治療のトレーニングだったりします。逆にこれを思おうとするためには満たされる必要があるんだよね。
これはだからムズイんですよね。
相補的/補完的なんですね、どう見ても。
だからなかなか思えないのは仕方ないというか、まあそれはそうだなという感じはします。
よく思いますね。
益田は恵まれてるからそう思えるんでしょ、努力できる、賢さ、色々なものも含めてYouTuberというチャンスを掴めたということも含めて、恵まれてるから、こっちにたどり着けたんでしょ、と言われるんです。
まあ、そうだろうなと思いますね。
本当に自分でも思いますね。
なぜこういう風に思えたんだろう、自分の何が重なって、どんなピースが必要だったんだろうということを考えると、何度考えても不要なものが見当たらないんですよ。
やはり全て必要だったな、自衛隊での生活、医学部の勉強、医師としての経験、様々な勉強、東大受験の時に必要だったもの、その後一人で読んでいた哲学書をAIを使って再学習したこと、全てが必要だったと思うので。
でもこの全てが必要だったという奇跡性がやはり、ここを支えてるし、他の人にもその奇跡性が起きるんだろうなという確信もあるんだよね。
ややこしいね。自分にしかないんじゃないかという部分もあるし、でも同時に相手にも起きるんだということ。
で、起きた相手を見ている時のこの偶然の一致というか、そこの素晴らしさみたいなものがやはりあるということはあります。
◾️全体的に満たされようとしていく
マズローの欲求の5段階説と言うんですけど、生理的欲求、食事、睡眠がしっかり取れてる、それが満たされたら安全の欲求が出てくる、安全な場所に居たい。
次いで所属の欲求、友達が欲しい、仲間が欲しい、家族欲しい。
それが満たされると承認されたい、もっと評価されたい。
評価された後には自分がやりたいことをやりたい。マズローは晩年に超越者との融合ということを言ってるんです。
もっと自分を超えた何か、社会との繋がりみたいなものを求めるということを言ったりするんですけど、マズローは下から順に満たされる可能性が高いみたいな言い方をするんす。
でも実際は、下が満たされたら次というよりは、全体的に満たされようとしていくものでもあるし、でもできるだけ下の方が優先的に満たされたり、満たすように人間は行動するということなんですけど、でもこの要素が満たされないとなかなか起きないですよね。
ということは思いますね。
机上の空論になってしまうんですよね。
机上の空論だけで満たそうというのは無理で、患者さんというのは治療の中で、食べられてないなら食べられるようにする工夫、眠れてないなら、眠れる工夫をする。
パワハラや家族の虐待があったら、この安全の欲求を満たされてないから安全な場所を確保する。
そのためには環境を変えてあげる。
時には人との別れが必要になることもあるかもしれないけど、別れを受け入れながらも安全な場所を確保する、所属できる場所を探していく。
人と付き合うのは嫌かもしれないし、嫌なこともいっぱいありますよね。
友達と付き合う、誰かと付き合う、恋人を作る。
嫌なこともいっぱいあるし、喧嘩もあるし、すれ違いもあるし、摩擦もあるんだけれども、だけど手に入れていくというか。
承認されるためには恥ずかしいこともするし、叩かれることもあるわけです。
誹謗中傷を受けることもある。
でもセットなんだよね。
それでもなお承認を取りに行く。
人に嫌われるかもしれないし、誰かを傷つけるかもしれないけど、自己実現のために何かをやっていく。
そういうことなんだよね。
これらがある程度満たされないと難しいし、これが満たされていく、これがわかってきたからこそ、こっちを満たすために全力でエネルギーを注げる。
感情に支配されないからこそ、これらを満たすために行動できる。
相補的/補完的だったりするということはあります。
ひきこもりの治療をしているときに思います。
人間というのは人と喋ったりしないと、狂っていくという言い方は良くないんですけど、でも何か調子を崩してくるんですよ。
それは無人島にいたら変になるのと一緒で、人とコミュニケーションをしていかないと難しいんですよ。
なぜかというと、人と喋っていく中で自分の自律神経が整うからなんです。
スマホと似ていて、アップデートしていかないと、ちょっとバランスが崩れていくんですよ、人間も。
スマホもしょっちゅうアップデートされてるじゃないですか、色々、何をされてるかよくわからないけど、不具合が見つかってアップデートされて、そのデータを受けて更新してますよね。
それと同じように、人間は誰か他者と喋りながら自律神経を整える動物なので、所属しなければいけない、承認を満たさなくていけなかったりします。
こういう欲も満たしながら、こっちもやって、こっちもやって、本当にグルグル回ってこうやったりして、人間というのは一直線に行くものじゃなくて、グルグル、グルグルやる生き物なんです。
あっちを立てればこっちを立たずみたいなこともあるんだけど、この活動性みたいなものを理解してもらうといいのかなと思います。
静的なもの、ゴールというのは静的なもの、静かという意味ですね、静的なものではなくて、動的なものでもあるし、ゴールそれ自体が修行の場でもあるし、悟りそれ自体が修行の最中でもあるということなんですけど、そういうものなんです。
これがわかってくると、なるほどなというのがあると思います。
終わりがないとも言えるし、でもここからある点に到達した時に、ああなるほどなとわかって、一つふと気が楽になるというか、あったりもするので、この感じを皆さんに理解してもらえたらなと思って動画にしたということです。ということで、今回は「仕方がない」「生まれてきて良かった」について解説しました。
◾️本日の宿題
本日の宿題は、そんなに大変なんだみたいな思いで愕然とした人もいると思いますけど、それでもなお乗り越えていくために必要なもの、仲間の重要性、自分はこうしていくんだなということを色々感想を書いてもらえるといいかなと思います。
でも益田が、安全な場所からここに到達するよりも、患者さんが本当に病気の中からこちらに到達した方がはるかに人格が成熟してますね。
これはよく思います。
僕なんかより患者さんの方が本当に成熟してるなとよく思います。医者というのは文字通り患者さんから教わるんですね、本当に。
本当に思いますね。
これは病気を診せてもらう、苦しみの人体実験をさせてもらって学んでいる、そういうことじゃないんですね。
文字通り、この苦しい状況からこっちに到達した、僕らが楽な状況から到達したのではなく、苦しい状況から到達したというここの厚みみたいなところから学ばせてもらうということなんです。
本当に精神科とはそういうとこだなと思っているという感じです。
▼最新刊のごあんない
▼オンライン自助会/家族会ホームページ
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