ともに生きていくことの楽しさと魅力
今日は絵本「ぼくを探しに」を改めて読んで感じたことについて。
●コンプレックスを抱えていた自分の捉え方
絵本を読み進めていて、自分がどう生きてきたか、あるいはどんな歩みをしてきたかを重ね合わせていたように思います。
自分が足りないもの・欲しいもの、コンプレックスとして後ろめたく感じているもの。
それらがどう自分に関わり、影響を及ぼしてきたのか。
現在、33年と少しを生きていますが、少しずつコンプレックスが削がれていっている気がします。
中学・高校生までは、とにかく身長が低いのが嫌でしたし、声が高いことも恥ずかしかったです。
また、耳が横に広く大きくでている自分が嫌で、髪を必ず隠れるように切って欲しいと美容師さんにお願いをしていたこともあります。
そして最近まで持っていたコンプレックスが、体毛の多さでした。医療脱毛で現在とても薄くなっていますが、やってみた結果、「あってもよかったかも」と思うようになっています。
このように、コンプレックスや自分が持っていた負の感情は、自分が強迫観念的に思い込んで作り出しているのだろうなと感じてきています。
逆に言えば、このように自分を俯瞰で見たり、改めて考えたりすることで、「足りない」と感じたものがあったことについて、捉え方が変わるかもしれませんね。
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●周りと比較するのではなく自分がどうしたいかを考える
自分自身も、このような考えに大学生以降なっていったように思います。
「自分がいられるのはこの世界だけ」と考えてしまうと、同調圧力によって自分の行動や言動を制限してしまうこともあります。
あるいは、自分は周りよりも劣っていると、繰り返し自分を責めたりすることもあるかもしれません。
しかしながら、自分がやりたいことや楽しみたいことがあるのであれば、その環境自体を変える選択肢があることも頭に置いておけるのがいいと思っています。
ネガティブに自分と周囲を比べているようであれば、環境そのものをかえるように行動してみる。
ポジティブに自分に必要なことが周りにあると捉えられているのなら、その環境でとことん吸収できるように動いて挑戦してみる。
比較することが悪いことだとは思いませんし、それがモチベーションになることも知っています。
しかしながら、自分自身に好影響を及ぼすのか、悪影響を及ぼしかねないのか、という上記の判断ができるようには、自分の選択肢を残しておけるようにはしておくのがいいと思っています。
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●足りないところを愛でられるように
フォーゼロ仲間のASAKOさんからも、このようなコメントをいただきました。
・昔は自分のコンプレックスからか、足りないところを埋めよう埋めようとしていたけれど、今はそうじゃないなぁ
・生きてると心も身体も傷がふえていくけど、それも一生懸命生きて来た証拠かなとw
・アンティークの器を継いでいる時もそう思うのです。欠けを全部直しちゃうと全然かっこ良くないんですよね
わらし>その欠けた部分含めてその器の歴史や道のりを表しているからですよね
・そうなんです。だから、どこを直してどこを直さないか、見極めるのがけっこう楽しいのです
・継いでると、器も人も似ているなぁと
・お世話になっている陶芸家さんで「未完」って器があるんですが、欠けたように足りない箇所があって、どうやって使えばいいんだって感じなんですが、それに盛り付けたり、花を飾ったりすると、その足りない部分がなんとも言えずいいんです
・人も欠けた部分に花を飾ればいい
・花を飾るのは自分次第で出来るから
この考え方に、とても共感しました。
人が自分の欠けている部分を悲観的に捉えることはあるのかもしれませんが、それを受け入れて、それを愛でるように自分自身が捉えることができるか。
それ次第で、自分の人生の豊さやすこやかさが変化していきそうだとも感じました。
「ぼくを探しに」の後書き部分でも、このような文章がありました。
大体、私たちの人生は自分の足りない何かを求めてどこまでも転がっていくという物語とはかなり様子の違ったものである。そういうことをある時期に卒業して大人になるのが普通の人間なので、いつまでも自分のmissing pieceを追いつづける、というよりその何かが「ない」という観念を持ちつづけることが生きることの全てであるような人間は芸術家であったり駄目な人間であったりして、とにかく特殊な人に限られる。
ところがそんなことを承知の上で、無事に、あるいは苦労して生きてきた人間がある程度歳を取った時に気づくのも、実はこの自分の欠けて足りない何かである。その時まだ見ぬ理想の恋人を探しに行く若者のような気分になれるとは思えない。それが生まれた時からもっている自分の「死」であるらしいことはその時改めて考えてみなければならない。
この"普通の人間"の部分は、人が人生経験を積んで、欠けている何かを満たすのではなく、ありのままを受け入れて慈しむ心を育てられることを意味するのだと思っています。
しかしながら同時に、その欠けた部分をさらに渇望したり、欠けていること自体が魅力的な部分であり、そしてその人の「生と死」につながることなのだろう、という示唆にもつながるのかもしれない、と感じました。
このような自分の足りない部分をどう愛でるのか、他者の痛みや憤りをどう受け止められるか。
こうした、「人と共に生きていくことの楽しさと魅力」を今後も感じていきたいと思います。
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今日はここまで。
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●藁科 侑希(わらしな ゆうき)
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【保有資格】
博士(スポーツ医学 筑波大学)
日本スポーツ協会公認バドミントンコーチ3
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