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花に嵐の映画もあるぞ(邦画編)。

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わたしの好きな映画を、「褒めること」意識してつらつら書いていきます。 取り上げる映画は、時にニッチだったり、一昔前だったりしますが、 そこは「古いやつでござんす」と許して、ご容赦…
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#戦争映画

翼の汚れた十二人の使徒=無敵の人が暴走する戦争アクション「特攻大作戦」。

「十二」という数値は、西洋文明において重要な意味を持つ。 すなわち、ペテロ、ヨハネ、アンデレ、セベダイの子ヤコブ、ピリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルパヨの子ヤコブ、ユダ(ヤコブの子、別名タダイ)、熱心党のシモン、イスカリオテのユダの一二人=キリストの高弟の数。 法廷ものの傑作「十二人の怒れる男」がいまなお胸を打つのは、人が人を裁く、という非常に困難で、しかし高邁な使命を担わされる、巡礼者であることを見事に描き切っているからだ。 では、その担わされる任務が汚れていた

果てなき荒野の中、変容する人間。「人間の條件」六部作、ぶっ通しで見る価値、そこにある。

どうせヒマなら、この時間を使って、大長編でも見てみない? たとえば「人間の條件」六部作、いかがだろうか。 小林正樹監督、仲代達矢主演で1959年から61年にかけて製作、全六部構成、9時間31分に及ぶ総上映時間。製作当時の商業用映画として最長の長さ、ギネスブックにも掲載されていた程。六部作ぶっ通しで見ると、脳内でゲシュタルト崩壊する。(これは2015年、丸の内ピカデリーで行われた記念上映の体感値である。) ただ「長い」だけじゃない、今じゃ見られない/作れない重量感がある。同

戦争映画の臨界「炎628」_目が口よりものを言う、来たりて見よ。

現代の視点から見ると、80年代ほどノンキな時代はなかったと思う。 核の傘を前提にして、世界中の人間が生きていた。 アメリカの庇護、ソ連の庇護が、絶対的な秩序をもたらしていた。 (日本のバブル経済も対ソを意識したアメリカの庇護を前提に、成立していた) 核戦争は怖いけど、平和な世界はこの先も続くだろう。これも冷戦のおかげ。 アフガン?遠いよ。 アフリカ?野蛮。 WW2?昔そんなのもあったね…。 独裁政治は、共産主義のせい。 社会の不平等は、資本主義のせい。 などと、ノーテンキ

映画「地上より永遠に」_不安なハワイの夏、焦燥の夏。平穏なぞ、いとも容易く壊れる。

壊れそうで、壊れない、 実は密かに半数の人間は壊れることを期待している 危うい平穏というものが この世には存在する。 この時代の中では、人は悪意を容赦なく互いにぶつけあう。醜い心が現れる。 それを見事に抉り出したのが1953年のアメリカ映画「地上より永遠に」だ。 本作は、その年のアカデミー賞の作品賞以下8部門を独占。フレッド・ジンネマン監督の代表作となった。 太平洋戦争直前のハワイはホノルルの陸軍兵舎を舞台に、軍隊内で蔓延る陰湿なイジメや暴力、不倫、売春などの問題を赤裸々に

ノーランじゃない映画版「ダンケルク」_ 誰もいなくなる、週末。

クリストファー・ノーラン監督の新作は、予定通り公開されてほしい。 2017年の「ダンケルク」以来、3年ぶりの新作。予告編だけでも、待ち遠しい。 さて、今回紹介するのは、1964年製作のフランス映画「Week-end à Zuydcoote」だ。邦題はノーラン版同じく「ダンケルク」。 「生き抜く意志」で一貫していたノーラン版とは異なり、 こちらは激しく破滅的な映画となっている。 1940年6月、第二次世界大戦初期の北フランス。ドーバー海峡に面したダンケルクの海岸では、英仏

これは戦争映画じゃない、ゾンビ映画 というのはみんな知ってるね。「ハクソー・リッジ」。

「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」その後、大攻勢に打って出る。 この文法を用いて、「ブレイブハート」「パトリオット」に続いて放つメル・ギブソンのアクション大作。烈しいから、揺さぶられる、そして目を離せない。 人を殺めてはいけない。そう強く心に決めていたデズモンド(アンドリュー・ガーフィールド)は、軍隊でもその意志を貫こうとしていた。上官(サム・ワーシントン、ヴィンス・ヴォーン)や同僚(ルーク・ブレイシー)に疎まれながらも、妻(テリーサ・パーマー)や父(ヒューゴ・ウィーヴィン

1962年金獅子賞受賞「僕の村は戦場だった」。 最後の眼差し、忘れられない。

ロシアを代表する映画監督:アンドレイ・タルコフスキー(1932年〜1986年)のキャリアは、戦争映画から始まった。 元々この映画は別の監督の手で製作が進んでいたが、中座していたもの。タルコフスキーはそれを引き継いだこととなる。 いわば、会社(当時所属のモスフィルム )から押し付けられた企画なのだが、この演出でタルコフスキーはその天賦の才を発揮することとなった。 じっさい、実質的なこの処女作において、タルコフスキーは1962年のヴェネツィア国際映画祭にて金獅子賞を受賞すること

映画「厳重に監視された列車」_いつ、どの時代にもある戦時下の凄春。

60年台後半、フランス・イタリアとAcademy Award for Best Foreign Language Filmの最終選考で幾度も競り合った国がある:チェコスロバキアだ。 60年代、「雪解けの季節」に訪れたチェコ・ヌーヴェルヴァーグの波。 その特徴をまとめてみれば、軽快な台詞、スピーディーで意表をついた展開、日常生活へのまなざし、ペーソス、何より大事な味付けは「自分のことを真面目に捉えすぎない、ちょっと距離をとってアイロニーに満ちた姿勢」。 「先鋭」を走ることに拘