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映画「地上より永遠に」_不安なハワイの夏、焦燥の夏。平穏なぞ、いとも容易く壊れる。

壊れそうで、壊れない、 実は密かに半数の人間は壊れることを期待している
危うい平穏というものが この世には存在する。
この時代の中では、人は悪意を容赦なく互いにぶつけあう。醜い心が現れる。
それを見事に抉り出したのが1953年のアメリカ映画「地上より永遠に」だ。
本作は、その年のアカデミー賞の作品賞以下8部門を独占。フレッド・ジンネマン監督の代表作となった。

太平洋戦争直前のハワイはホノルルの陸軍兵舎を舞台に、軍隊内で蔓延る陰湿なイジメや暴力、不倫、売春などの問題を赤裸々に描く。当時全米でセンセーションを呼んだベストセラー小説の映画化。結果は大ヒット、ハリウッドの古典のひとつになった。
反面、日本での受けは、あまり良くない。
軍隊の非人間性を暴露し批判したというには、どうにも切り口が浅い、
社会派の巨匠ジンネマンにしては切れ味が鈍い、というのが一般的な論調だ。
「ある種栄光の記憶である」真珠湾攻撃を、アメリカがこうも軟弱に描いちゃ…
という、当事者らしい苛立ちこそ、本音だろう。

しかし本作が(同類の映画と比較して)特異なのは、戦争ほか異常事態真っ只中における組織の非人間性を描いたわけではない、ということだ。
平穏ではあるが、何故か不安が拭えない時代に、人は苛つき、箍を外したがる。
些細なことで揉め、喧嘩が生じ、殺人すら起きる。
悪意をぶつける対象を探す。 その犠牲者が現れる。
それが、平時こそさらに規律を重んじるべき軍隊に、現れてしまう皮肉。

それは原作及び映画版の作られた'50年代初頭のアメリカの時代背景とも同期する。マッカーシズムの嵐が吹き荒れ、朝鮮戦争が始まった時代。自由主義と民主主義を掲げるアメリカで、個人の思想や表現の弾圧が横行。核の傘に守られたWW2後のウワベだけの平穏の中に、偽善があった。それを突いたから、全米が喝采をあげた。

峠は越したように見えながら、しかしどうにも拭えない日本の焦燥。その正体を感じる、その先にある破局を予感するのに相応しい映画だと、私は思う。


あらすじ・キャスト・スタッフはこちら!

1941年、ホノルルの陸軍兵営に配属されたプルーイットは、中隊長の命令に背いたかどで非人間的な仕打ちを受けながらも、自分の意志を貫き通す。そんな彼の唯一の心の拠り所は、クラブの女ロリーンだった。一方、虐待を受けるプルーイットを陰で支えてきたウォーデン曹長もまた、中隊長の妻カレンと許されざる仲になり、軍隊の現実と己れの感情との間で揺れていた・・・。
スタッフ
監督:フレッド・ジンネマン
製作:バディ・アドラー
原作:ジェームズ・ジョーンズ
脚本:ダニエル・タラダッシュ
撮影:バーネット・ガフィ
音楽監督:モリス・ストロフ
キャスト
ウォーデン曹長:バート・ランカスター(有川 博)
プルーイット:モンゴメリー・クリフト(田中秀幸)
マジオ:フランク・シナトラ(野島昭生)
カレン:デボラ・カー(上田みゆき)
ロリーン:ドナ・リード(弥永和子)

ソニー・ピクチャーズ  公式サイトから引用

モンゴメリー・クリフトは、星を見ていなかった。


1941年、ハワイのスコフィールド米軍基地。前の部隊で首席ラッパ手だったプルーイットが、伍長から上等兵に格下げされて転属して来た。
17歳の時両親が死に、軍隊しか行くところがなかった男だった。
優秀なボクサーでもあった彼は、中隊長のホームズから、ボクシング部に入れば下士官 (伍長以上)に昇進させると誘われた。しかし、練習相手を失明させてから、ボクシングをやらないと誓っていたプルーイットは誘いを断り、中隊長の機嫌を損ねてしまった。ウォーデン曹長の説得にも、彼は意見を曲げなかった。

中隊のボクシング部は、ミドル級のプルーイットが加われば優勝を狙えるチームだった。優勝すれば、中隊長は昇進し、部員には10日間の特別休暇が付与される。最初、部員たちは彼をあの手この手で説得し、懐柔する。
彼が聞く耳持たないと知るや、しごきを始める。中隊長はそれを黙認する。
(自身も訓練でしごいたり、雑用を押し付けたりしているから。

感情に任せた不公平。どう考えても、あってはならないことだ。 平時ならば。
崩れかけつつある平穏の中では、暴力を(あらゆる形で)行使することに対する心のハードルはグッと下がる。 プルーイットはその吐け口になる。

同じジンネマンの「真昼の決闘」を思い出してほしい:保安官の四面楚歌。
プルーイットが置かれている状況が、この保安官の立場と同じ。
だが、プルーイットの胸には輝く星がなく、銃もない。愛する妻もいない。
一方的な難癖、理不尽をたった一人でじっと耐え忍ぶプルーイット。
見ているだけで、胸が詰まる。

モンゴメリー・クリフトは米軍基地で長時間の訓練を受け、ボクシングや トランペットも習うなど役作りに励んだ。その下地がリアリティを生んでいる。

暴力の吐口になるのはプルーイットだけではない。
ストリートキッド上がりの気のいい同僚マジオが、強面の営倉主任(演:アーネスト・ボーグナイン)の憂さ晴らしの対象となり、殴り殺される。彼は、得意のラッパでそれを弔うことしかできない。
彼はラッパを拭く時、遠くを見つめている。やがて自分も死んていくことを予感しているような、悲しい目をしている。


バート・ランカスターは、目を背けていた。


ウォーデン曹長は、そんな苦難にあるプルーイットを守ろうとする人格者だ。
じゃあ彼が健全な人間かといえば、そうではない。
満たされない思いを抱えているのは、ボクシング部員たちと同じ。
はち切れんばかりのエネルギーの向かう先が暴力ではなく、背徳であるだけだ

ウォーデン曹長は、大尉が不在の時間を見計らって大尉の自宅を訪ね、カレンと愛し合う間柄となる。そして、海に遊びにいって、のちに「七年目の浮気」ほかでパロディーにされる浜辺でのキス・シーンと洒落込む。

次第に本気になり、カレンは夫との離婚も考える。だが、結婚するなら下士官ではなく将校になってほしいというカレンの希望を、ウォーデンは受け入れない。
「将校になれば演技が必要だが、自分にはできない」と、彼は弁解する。
それは方便だろう。 ウォーレンに一歩踏み出す勇気はない。本気じゃない。
彼は人妻との愛を、現実逃避の手段としているだけなのだ。

ここまでまとめると、1941年のハワイ米軍基地では、
どうにも拭えない苛立ちの中で、歪みがイジメとして弱者へ向けられ、まともな神経の持ち主は恋愛やセックスに現実逃避するか、組織の底辺で負け犬に甘んじる。現実から逃避するための退廃的な行為が横行している。
それもこれも、秩序をギリギリのところで維持するための必要悪なのかもしれないが、しかし破れは、終盤訪れる。  日本軍の真珠湾攻撃。


そして・・・すべて後の祭り。


緊張感がなく穏やかだった基地は、突如として最前線の戦場になる。
朝餉の折ニコニコ歓談していた兵士たちが、機銃掃射にズタボロにされるか、または、鬼のような形相で機関銃を乱射する。気づけば、死体が地面にごろごろ転がっている。

民間人に避難勧告が出され、カレンは基地を去ることになり、ウォーデンの逢瀬は終わり。プルーイットは緊急事態に基地に戻るが、勘違いから仲間の兵士に背後から銃撃されて、命を落とす。ウォーデンはプルーイットの死体に向けて「よかったな、今年のボクシング大会は中止だ」とジョークを言う。
平時の終わり。在ハワイ米軍は、さらに過酷な戦場へと歩を進めることとなる。
楽しいはずのメロディ「アロハ・オエ」が悲しく響いて、映画は終わる。

平穏というものの危うさ、嵐の前の静寂。
平穏を餌に人間性を押しつぶす秩序、それが崩壊する一瞬。
それを地上の楽園=ハワイの気怠い夏、気怠い雰囲気に乗せて描いたところに
本作を見直す価値はあると思う。


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ドント・ウォーリー
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