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1962年金獅子賞受賞「僕の村は戦場だった」。 最後の眼差し、忘れられない。

ロシアを代表する映画監督:アンドレイ・タルコフスキー(1932年〜1986年)のキャリアは、戦争映画から始まった。

元々この映画は別の監督の手で製作が進んでいたが、中座していたもの。タルコフスキーはそれを引き継いだこととなる。
いわば、会社(当時所属のモスフィルム )から押し付けられた企画なのだが、この演出でタルコフスキーはその天賦の才を発揮することとなった。
じっさい、実質的なこの処女作において、タルコフスキーは1962年のヴェネツィア国際映画祭にて金獅子賞を受賞することとなる。

※あらすじ・キャスト・スタッフの詳細は下記を参照。


目で見て語る、少年のこころ。


独ソ戦争でドイツ軍に故郷の村を焼き払われ家族を失った少年イワンが、自らすすんでドイツ軍との戦いの中で偵察やゲリラ戦という役割を果たしていく物語だ。
印象的なのは、彼のまなざしだろう。

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必ずいつも「何処か」を睨みつけている。それは「少年だから」という単純な理由では片付けられない眼力の強さ、この世の全てを恨むような目つき。
実際、彼は自分の過去を決して周囲には語らない。
裸になれば、肉が落ちているのがわかる。頰もこけているのがわかる。
だから一層、大きな眼が印象に残る:彼は痛ましい過去に取り憑かれている。

彼は、その大きい瞳で、何を見つめているのだろうか?

任務の中で、彼が目にするものは砲火飛び交う戦場だけではない。
神秘的な森の中。下半身まで浸かる深い沼地。川の浅瀬。扉がバタン…バタン…と風に煽られる廃墟。少年の視線が見つめるどれもが、非常に美しく静かに撮られている。かつ、その景色の中には「かつて人がいた痕跡」とか「打ち捨てられた兵器」が存在する:間接的な表現で、戦果の凄まじさを語って見せる。

彼が見つめるものは、今うつつに存在するものばかりではない。
時折、まだ普通の子供でいられた幸福な過去も、夢に見る。
それは、柔らかな光差し込む海辺に遊んでいたり、深い井戸を覗き込んでいたり、林檎を積んだトラックの荷台に座っていたり、時や場所が絶えずジャンプし、非常に幻想的。
過去が美しいほど、いっそう、今置かれている立場は悲劇的なものとなる。

イワンは「取り返せない過去」つまり「無念」と言うべきものに支配されているのだ。夢の中でも現実の中でも。自分をそんな立場に追い込んだドイツへの復讐心。それが彼を突き動かしている。


そして、忘れられないまなざしだけが残る。


偵察中のイワンを偶々拾ったガリツェフ大隊長は、彼と共に行動をするのだが、
しかし、その瞳の奥にある真実に触れることが、できない。
ガリツェフは正規の軍人としてイワンを「子供」として扱おうとする。
これにイワンは反駁する、ガリツェフは無知だ、戦争のことを何も知らないと。
イワンの強圧的で断定的な口ぶり。むしろガリツェフの方が戸惑うことが多い。
イワンは一方的に壁を作る:分かり合えないことから来る断絶。
それがイワンの置かれている悲劇的な立場、痛ましい過去を一層強調する。

最終的に、この先は一人で行けるというイワンは、ひとり沼地を敵陣へと侵入していく。イワンは、しかし、二度と戻っては来なかった。
ガリツェフは、イワンと分かり合えないまま、別れることとなってしまう。


時は流れ、ベルリンが陥落する。進駐してきたソビエト軍の中にガリツェフの姿がある。ガリツェフはかつてのナチ司令部の建物の中で、ソビエト軍捕虜の処刑記録を一冊また一冊と丹念に調べる。:それだけ、イワンのことが心残りになっている。

ガリツェフはファイルの1枚を見て、目をつぶり、肩を落とす。
彼が、見つけたのは、最後まで敵をにらみつけているイワンの写真だ。

ガリツェフは二度とイワンを忘れられないだろう:まぶたに焼き付いてしまった。そして僕も、イワンの間際の眼差しを忘れられない。


※本記事中の画像はすべてCriterion公式サイトから引用しています。


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ドント・ウォーリー
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