ページをめくる手が止まらない!「チームレジリエンス」を読みながらボドゲづくりをふりかえる
RayArc(レイアーク)、ならびにRayArc Astrolabe(アストロラーベ)の皆さま、そしてすべての皆さま、おつかれさまです。新規事業ユニットです!
「チームレジリエンス:困難と不確実性に強いチームのつくり方」読了記念記事+αです。
チームレジリエンス発売!
出版記念ライブイベントを拝見してから、
と思っていた、
「チームレジリエンス:困難と不確実性に強いチームのつくり方」
が発売されました。
出版記念ライブイベントはこちら
どうせ買うなら街の本屋さんで…
街のリアル書店巡りを愛してやまない身としては、Amazonの予約などはむしろせず、最初から書店で買う構えでおりました。別に発売日じゃなくても、ほどほどすぐに買えばいいか…くらいのキモチだったはずです…が…。
いざ、当日になったら猛烈に気になり。
元々ほしいものがなくても出会いを求めて書店巡りが日課ですので、気にならなくても多分書店には向かっていたのですが、この日はとにかく実物を見ることだけはしようと気持ちマシマシでダッシュ。
そして、並んでいるのを見たら、
買うしかないな、とココロが動き、迷わず掴んでレジに直行しました。
著者である池田めぐみさんのnote
本の内容や、どんな人に読んでほしいかなどの思いが綴られています。
著者である安斎勇樹さんのnote
「はじめに」が全文公開されています!
読みながら考える、いろいろなことを
まず、内容そのものではないのですが、意外と大事なことを。
こちら、すごく読みやすい本です。
なにせ、購入後カフェで(小一時間程度? たぶんもう少し短かった…)ザーッと読んだらすぐに半分くらいに到達していて。私(ワクワク魔人S)はそもそも読むのがかなり早い方ですが、それでももっと『詰まる』本もあります。
が、この本はとても読みやすい。
それでいて、決して内容が薄いわけではない。
残りも、帰宅後にすぐに読み進めて、一気に一周目読了しました。ふぅ!
前半(1章~3章の途中)からの雑感
目からうろことか、ナルホドの怒涛の連続でした。
不確実性と遭遇したとき、具体的になにが起こるからこそ問題なのか
個人レジリエンスや組織レジリエンスとの対比
1.対処→2.学ぶ→3.被害の最小化の3ステップ
など、これまでモヤッと混同しがちだったり、うっすら意識はしていたけれども、必ずしも言語化できていなかったことを削りだすヒントがボロボロと。むしろヒント落ちて過ぎじゃないですか? というくらいゴロゴロと。
外部要因と内部要因、急性と慢性、現在と未来、攻めと守り、緩和と根治など、見つめる上での2軸(時に2つ組合わせて4象限)でとらえなおすことで、そうとらえるとこう、という視点が示されながら、そこからの知見が次につながってゆく。その中でチームレジリエンスの姿が見えきます。
もちろん、それをヒントに削り出した自分自身の答えが、書いてある一言一句と最終的に一致するのかといえば、必ずしもそうではないのですが、でも、とても脳を刺激してくれる内容の連続でした。
後半(3章の途中~5章)からの雑感
じつは私の場合、前半に比べると、脳内活性度が少し失速しました。ただ、これは本自体の問題ではなく。後半のテーマに対し(おもにふりかえり) 、「事前の解像度」が自分の中で相対的に高かったのだと思います。
なんといえばいいのか、話題に対して経験が一部『追い越してしまった』ような感覚がありました。
前半の爆速感(?)とのギャップもあり、一瞬「あれっ?」となりつつ、立ち止まって少し気持ちを切り替えて読みました。…少し…食い足りない!
でもまさにそれをあぶりだせたのも読んだからこそなので。メタな気付きに出会えたからこそ、後半も読んでよかったです。
ボドゲづくりを自然とふりかえる
読みながら、自然と脳裏にW2ナニカソンの活動のこと、ボドゲのことなど、イロイロ駆け巡りました。
私たちは「場づくり」を支えるボドゲをテーマに制作し続けていますので、
それそれのボドゲが目指す体験の姿
も、この本の内容と勝手に重なりあいましたし、
それらを制作する過程での自分たち自身のチームとしての姿
が重なる瞬間もありました。
ふりかえりの体験デザインと「問い・解い・トイ」
「第4章 レジリエントなチームは困難から学ぶ」あたりを読んでいて、必然的に自分たちがつくったふりかえりゲーム「問い・解い・トイ」のことを考えていました。
この内容になぞらえてゲームの体験をとらえなおすと、別の気づきがあったり、さらに新しいあそび方を提案できたりするだろうか…なんて。ある意味ヨコシマな(いや、別にそんなことはない)思いもよぎったりして。
そういう意味では、
ダブル・ループ学習という言葉を知らなくても、自ずとその方向に視点が向かう「ソモソモの解い」
とか、
レジリエンスの4つの基本戦略の話をしらなくても、別のアプローチにずらす「ホカニハの解い」
とか、あるなぁ…とあらためて気づけたりして。
こういう、とてもよく体系立てられた説明の流れにも、しっかりマッチする要素が結構含まれていることが発見できました。…おお、やるやんけ。
だからこそ、この章のあたりがとくに、現時点では少し物足りなかった…のかもしれませんね。ただ、それは「できている」ということではなくて、むしろ「すでに深く悩み続けているから」なのですけど。
おそらく。もう少し時間をおいて読み返したら、全然違う印象をもってまた必死で読む時期が来たりするのだと思います。その日が楽しみです。
攻めのチーム・守りのチームと「勇者駆動開発案件」
これは、一通り読み終わったくらいのタイミングでようやくフッとつながった感じなのですが。
攻めのチーム・守りのチームで対処と被害の最小化の比重が変わる
…というか、変えた方が効果的
というあたりのお話。
最初に読んだときは、自分たちの新規事業的なW2ナニカソンの活動と、普段関わっている既存業務での姿勢の対比に無意識に投影していました。ですので、ボドゲのことまでは正直あまり考えていませんでした。
しかし、少ししてから。しかも、一旦この本から離れて別ベクトルでシステム開発の現場とチームの在り方について考えていた時。
あ、そのテーマって「勇者駆動開発案件」なんだよなぁ
その話題を「勇者駆動開発案件」あそんだ流れで話せたら、なんか楽しそうだなぁ
そんな風に考える瞬間がありました。
その瞬間、ふと意識がこの本にも戻って、
攻めのチーム・守りのチームの話題と「勇者駆動開発案件」あそんだ後で対話する内容って、ちょっと重なるよね
…と思いいたってしまいました。
この「勇者駆動開発案件」にはめこめば、
攻めのチームが挑むのは、実行力が必要とされている開発案件カード
守りにチームが挑むのは、調整力が必要とされている開発案件カード
みたいなイメージ。
そこに必要なメンバーが異なることは、あそぶ中で自然と体験できるようになっています。必要なメンバーも変わるほど側面の違う取り組みがあふれているなら、ハマるレジリエンスの型も当然変わるよね…と気づけるのかも。
露骨にふりかえりゲームの顔をしている「問い・解い・トイ」と比べると、ゲムマという販路を(ある意味)素直に意識して、ボドゲらしいゲームに仕上げたのが「勇者駆動開発案件」です。
内情として、このボドゲ開発の背景には「現場の課題」がありました。その視点であそべば、研修ゲームのように扱うこともできます。しかし、とくにそんなことは気にせず純粋にあそぶこともできるようにも気を遣いました。
交渉による協力と競争の入り混じったゲーム体験
レトロゲームっぽいフレーバー
現実にあまりにも近寄りすぎない、勇者たちへのずらし
しかも、こう言っては身も蓋もないないですが、それこそ研修ゲームとしてあそぶにしては意外と時間がかかり、ルールのインストにも多少の力量がいる中量級です。
多少のボドゲ慣れが必要なのは、研修ゲームとしては、ややハードルになる面はあるかもしれず。見た目には「問い・解い・トイ」の方が現場には取り入れやすく映るかもしれません。
だけど、それでも。こう自然に、学びの中で思い出すのであれば。
チームビルディングのテーマと絡めたワークショップ的な「場づくり」の中に組み込んでも、かなりいろいろな思いを引き出すポテンシャルがあるんじゃないの?
そこを支援する使い方の提案などがもっと増やせたら…
などと、改めて思うのでした。
適応課題とプロジェクト化と私たち
最初に(とくに3章あたりを)読んでいる時は、前述の通りW2ナニカソンの活動とも引き付けて読んでいました。適応課題かどうかを見極めてアプローチを決めたり、チームに…対話癖…を…? うーむむ。
その背景には、いままさにW2ナニカソンが、
多くの問題、課題と向き合ったり
ときには時間内で必ずしも向き合いきれなくて、いったんは凌いだり
そのためになんどもなんども泥臭く仕分けしたり
あとからでもふりかえって仕分けしなおしたり
の渦中にあることがあります。
3章の途中くらいで脳に少しブレーキがかかったのは、このあたりの、
自分たちの体験の「実感、生々しさ、泥臭さ」
その中で自分なりに考え詰めていたことの、きれいにまとまっていないとはいえの「解像度」
さらにいえば、ある種の「苦み、エグみ」のようなもの
と、
書かれている世界の「そぎ落とし感」
少し導入向けにあえてブレーキのかかったかのような「小ぎれいさ」みたいなもの
が、なんとなくフィットしない、マッチしないものを覚えたからだったのかもしれません。自分のまだ整理できていないモヤモヤした感覚に対して、少し薄味になった感じがしてしまったのです。
うまく言えませんが、それはそうなんだけど、階層が違う…みたいな。それこそ少し「スンッ」としたみたいな…。
まとめ(自身の薬剤師のように処方する読書)
繰り返しますが、
途中でのある種の失速、それに気づけたことそのものが、読んだことの価値のひとつ
だったなと感じています。
メタな気づきという安全弁
この引っかかりから来たメタレベルの違和感こそが、一番の価値だった可能性さえあります。
もしここでの引っかかりがなかったら、
すごい、そうそう!
スッキリした!
なんだか、うまくいきそうな気がしてきた!
で、なんだか現実以上に救われた感を持ってしまったり、いわゆる読書によるカタルシスの過剰摂取みたいになりすぎてしまっていたかもしれません。
刺さりすぎる良書とも向き合って
刺さりすぎる良書は、もちろん9割9分有益ではあるのですが、うっかり自分を見失うリスクとも隣り合わせだったりします。
読んでも、読む前と自分の現実そのものは変わってはいませんからね!
変わる可能性があるものはあくまでも、脳のフレームだけ。そしてそのフレームが、たとえどれほど素晴らしくても、完全にナニカに「乗っ取られ」てしまってもいけない。
そして、泥にまみれ直せ
迎合や、思考停止を加速し、救われるために読むのではなくて、そこでさらに次のつまづきに出合い、自分の世界に戻って来て、もう一度考え直すチカラを少しだけもらうために読むのです。これまでもこれからも。
こじらせた感想の終わりに
そんな手掛かりの一つに、「チームレジリエンス:困難と不確実性に強いチームのつくり方」とてもオススメです!
(新規事業ユニット・ワクワク魔人S)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?