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じぶんよみ源氏物語 1 〜光る君のご降臨〜
「古典」は時代遅れなのか?
「古典」のハードルが高くなってきています。
グローバルなデジタル社会において、
歴史的仮名遣いの需要が
低下するのは分かります。
今や、
高等学校の授業数すら少なくなっています。
私たちは、いったい、
どこで文学を学べばいいのでしょう?
「古典」は、ほんとうに、
さほど重要ではないのでしょうか?
古典に触れる機会が減れば、
魅力を知らない人が増えていきます。
そうなると、古典文学は、
一部の研究者たちによって継承されても、
私たちの人生からは消滅していくでしょう。
そこで、今、
あえて古典文学に触れる機会を創ります!
古典が私たちの好奇心を駆り立て、
人生をより楽しくしていくことを実証するべく、
じぶんで文章を書いてみようと思い立ちました。
じぶんで読んで、じぶんで書く。
何をするにも、楽しくなければ続きません。
古典の楽しさがわかれば、
ひょっとすると、
グローバルなデジタル社会を生き抜くための
教養として役に立つかもしれません。
そうだ、『源氏物語』を読もう!
どうせ読むなら『源氏物語』です。
言わずと知れた古典のベンチマークとして、
歴史上のクリエイターたちに
刺激を与え続けてきました。
作家だけではなく、
藤原道長はもちろん、
織田信長も北条政子も、
吉田松陰も樋口一葉も、
夏目漱石も岡本かの子も、
古代から現代までのキーパーソンたちも
一読しているはずです。
今を生きる私たちは、
連綿と続く時間の成長点にいます。
『源氏物語』の言葉と心に触れることで、
物語を愛してきた千年の人々の心と、
どこかでつながることもできます。
千年の時空のつながり・・・
歴史の教科書には記載されない、
生の言葉、生きた心。
人間のにほひ、いきづかひ。
連綿たる心の循環の体感です。
普通の幕開け
それでは、物語の冒頭をご紹介します。
この名作は、至って普通の語りで幕を開けます。
いづれの御時にか、
女御更衣あまたさぶらひたまひける中に、
いとやむごとなき際にはあらぬが、
すぐれて時めきたまふありけり。
【日本古典文学全集 小学館より 以下同じ】
(訳)
どの天皇の時代だったか、
女御や更衣と呼ばれる貴婦人がたくさんいる中、
たいして身分が高い家柄でもないのに、
ひときわ帝から愛される女性がおられた。
この女性こそが「桐壺更衣」、
光源氏の母になる人です。
ここに語られる通り、
桐壺更衣の唯一の弱みは、
親の身分が高くないことでした。
帝の正妻の座を射止めるためには、
血筋が大きな鍵を握ったのです。
それゆえ、
桐壺更衣は、周りの女官たちから、
これでもかと言わんばかりに、妬まれます。
結果、ストレスで痩せ細り、
実家に帰らざるを得ない状態に。
幸いにも、平安京は、
今の京都市内のエリアに収まっていました。
なので、頻繁に実家に帰ることができました。
ところが、
この里下りでさえも、裏目に出てしまいます。
桐壺更衣を溺愛する帝の心配がかえって増し、
四六時中、愛情を振りまき、
想いを隠せなくなってしまうのです。
帝だって、人間なのですね。
そのことがまた、
周りのセレブによる陰湿ないじめを助長させ、
更衣はますます絶望感を抱くようになります。
いとあつしくなりゆき、
もの心細げに里がちなるを、
いよいよあかずあはれなるものに思ほして、
人のそしりをもえ憚らせたまはず、
世の例にもなりぬべき御もてなしなり。
(訳)
桐壺更衣はとても病弱になり、
心細くて実家への里下りが多くなるので、
帝はますます想いが募ってしまい、
周囲の非難を気にすることもおできにならず、
世の噂話の種にでもなってしまいそうな
桐壺更衣への愛情のかけ方である。
どこかで聞いたことのあるような話
同僚への妬みや恨みって、
何も古典文学に限ったことではありません。
グローバルなデジタル社会になったところで、
このあまりに人間的な集団感情は残っています。
かくして、光源氏は、
帝からの限りない愛と、
母親の精神的苦痛の間に生を受けた、
まさに、光と影を共存させた人物として、
物語に登場してきます。
前の世にも御|契りや深かりけん、
世になくきよらなる
玉の男皇子さへ生まれたまひぬ。
(訳)
帝と桐壺更衣は、
前世からのご縁も深かったのだろうか、
世にまたとないほど清く美しい
玉のような皇子までもが
お生まれになった。
この出立が、
長編物語の伏線として、
黒インクのようにポタポタと続いていきます。
ありふれた語りの冒頭の言葉たちは、
特別な人物の誕生という物語性をもちながら、
時代を超えて、
どこにでもある人間関係の苦悩を、
あっさりと描いてみせるのです。