岩本隆行(Takayuki Iwamoto)
「源氏物語」のストーリーをたどっていきます。古典に馴染みのない方も楽しんでいただけるように、物語のポイントを抑えています。学生の方をはじめ、リカレントで学びたい方、ビジネスのコミュニケーションの題材にしたい方など、幅広く読んでいただくことを意識しています。
山口県下関市にある長府の街を歩きました。 ここは高杉晋作が奇兵隊を結成した地で、 毛利藩の城下町の風情が残っています。 街の中心にあるのが忌宮神社。 創建は西暦193年と書いてあります。 下関・壇之浦での源平合戦が1180年代。 そう考えると、 長府の歴史の深みがうかがい知れます。 忌宮神社から続く小径を歩くと、 乃木神社があります。 ここには乃木希典将軍が祀られています。 乃木希典は江戸で生まれ、 少年時代に長府に移り住み、萩で学びます。 幼い頃は、 泣き虫でいじめ
幼馴染の恋は美しい 前回に引き続いて 源氏物語、二十一帖「少女」の巻から。 真面目な男・夕霧のお話です。 父・光源氏の教育方針で 学問の道に進んだ夕霧でしたが、 その陰で、幼馴染との恋に落ちていました。 お相手は雲居雁。 内大臣の娘です。 内大臣といえば、かつての頭中将。 若かりし頃、光源氏たちと「雨夜の品定め」で 女性談義を繰り広げたやんちゃな貴族です。 内大臣は、光源氏の亡き妻・葵の上の弟で 夕霧にとっては叔父にあたります。 光源氏とは良きライバルでありながら
明けない夜はない 藤壺の一周忌が明け、 喪中を表す鈍色だった物語の世界が 藤の花の紫色に彩られていきます。 源氏物語、二十一帖「少女」。 宮中の神聖な行事で舞を披露する少女たちが この巻のヒロインです。 少女に恋するのは、夕霧。 光源氏と葵の上の間に授かった子です。 葵の上は、 光源氏の最初の妻でありながら、 六条御息所の嫉妬を買い、 物の怪に取り憑かれて亡くなる悲劇の姫君。 あの時、命懸けで産んだのが、この夕霧です。 それにしても、 この男君は光源氏の子でありなが
熟成を重ねた人 年齢を重ねると 若かった時よりも少し消極的になるのは 当たり前のことかもしれません。 そんな中、 いつまでも心が若い人もいるようです。 源典侍という女性。 多くの恋を経験した彼女は、 還暦を超えてもなお、積極的です。 藤壺は37歳、六条御息所は36歳で 亡くなったことを考えると、 源典侍のパワーは、当時にして、 底知れぬものがありました。 色欲が闇を切り拓く 源典侍が初めて登場するのは、 七帖「紅葉賀」の巻で、 光源氏がまだ19歳の時です。 彼女は5
高貴と庶民のあひだ 源氏物語きっての貴婦人である、 六条御息所の邸の庭には 朝顔の花が咲いていました。 一方、 河原院で物怪に取り憑かれた夕顔は、 「中の品」の女性。 この物語において、 朝顔は高貴な花であるのに対し、 夕顔は庶民的なイメージをもっています。 源氏物語、第二十帖「朝顔」巻のヒロインは、 文字通り、朝顔の姫君。 前の斎院です。 斎院とは京都の賀茂神社に仕える内親王で、 つまりは皇族の血を引く者。 いうまでもなく、高貴な姫君です。 ところが父が他界し、
物質主義の時代から聞こえる声 バブル全盛期の物質主義の時代。 そんな世の中に生まれた私にとって、 目に見えないものを信じることは、 ちょっとしたためらいもありました。 ところが、 源氏物語には、 占いがたくさん出てきます。 登場人物たちが判断に行き詰まった時、 占いに委ねる姿に触れると、 なんだか微笑ましくもありました。 そもそも光源氏が皇族から降りたのも、 父・桐壺帝が依頼した 高麗の相人の占いによってでした。 明石の姫君が皇后になるという判断も 宿曜、すなわち占星
高層ビルは見上げるためにある 生まれてこの方、 ほぼ田舎から出たことのない私。 上京すると、 人の多さだけでなく、 ビルの高さにまず圧倒されます。 地下鉄の階段を上って地上に出た瞬間、 首の後ろが痛くなるくらいに ビルを見上げるのですが、 颯爽とした周りの人々に気づいた途端、 何食わぬ顔を作って歩き始めるのです。 平安時代となると 地方の人が京都に行った時の衝撃は、 それはもう大きかったはずです。 高層ビルの代わりに、 強大な格差社会がそびえ立っていました。 人間の怖さ
いちばん欲しいもの 光源氏は、 3人の子供を授かりました。 ①夕霧(葵の上) ②冷泉帝(藤壺) ③明石の姫君(明石の君) これは、かなり複雑で、 ②の冷泉帝をはじめ、 隠し子的な存在もあって、 けっこうドロドロしております。 何が言いたいかというと、 いちばん欲しい女性との間に、 子供ができなかったということです。 その女性とは、紫の上。 光源氏が生涯をかけて愛した 彼の正妻と言ってもいい人。 このことが、 物語ではとても重要な意味をもちます。 ホームシックの美
武器よさらば 平安時代は 大規模な戦乱がありませんでした。 武士が台頭していなかったという意味で、 平和な時代でした。 ただ、 政治的な駆け引きは、もちろんありました。 その決戦の時に行われたのは、絵合。 左方と右方に分かれて、 それぞれの絵のコレクションを持ち出し、 判定を受ける、というバトルでした。 これが日本の戦いの原点だと思うと、 誇らしい心持ちになりますね。 帝の心をつかむのは、どっち? 源氏物語、第十七帖「絵合」巻です。 今回のバトルは、 冷泉帝の心
同じ時間は続かない 私が20代の頃、 「変わる」という言葉に敏感でした。 変わりたくなかったのです。 ちょうど日本経済の成長の停止が顕在化し、 社会にはなんとなく危機感のようなものが 漂い始めていました。 その一方で、 きっとこの国は大丈夫に違いないという、 希望的観測も残っていました。 Windowsが普及し始めた頃で、 パソコンの操作が格段に楽になっていました。 電子メールだの携帯電話だの、 当時にしては最新のデジタル機器が登場し、 そういうものが人々の話題にな
人は怖いもの 地元の中学生の方々と 交流する機会がありました。 たくさんの質問をいただいて、 中学生パワーに圧倒されました。 「学校をもっとより良くするために リーダーシップを身につけたいのに 他人の目が気になって怖い」 という声も上がり、 思春期を生きる瑞々しい感性に、 刺激を受け取りました。 何でも先進的なことをやろうとすると、 周りからの視線にさらされるのは、 どこでも見られる光景です。 それが、面白いことに、 それを最後までやり切ったら、 人々の評価も変わ
少数派は切り捨てられるのか? 多数決の時代。 学校の校則の決定から国政選挙まで、 多数決は民主主義のルールと言われれば それまでです。 一方で、真の民主主義とは、 一人ひとりの権利が守られること。 多数決で敗れた人たちの声をどう汲み取るか、 ということも同じように大切なはずです。 えてして、 少数派は弱者になってしまいます。 長い物に巻かれることを余儀なくされるから。 その長いものが世の中の主流になっていく。 とはいえ、真実とは数の大小ではない。 むしろ、本質は、 弱
プラス思考はエネルギー 目標を設定して、 そこに向かって積極的に行動することは、 理想の生き方だとわかっています。 同時にそれは、 心のトレーニングがいるからこそ、 理想的なのだということも、 経験上、よくわかっています。 現時点での自分自身と目標との間には、 「世の中」という現実社会が横たわっています。 人は他人と関わって生きていく以上、 自分ひとりの力だけで目標を具現化することは、 とても難しい。 「世の中」の方々が、 自分の理解者ばかりならいいですが、 それはそ
空も飛べるはず 本物のプロ作家とは、 お金をたくさん稼いだ者ではなく、 書き続けた者のこと。 では、なぜ書き続けられるのか? それは明確な目的があるからです。 好きだからという単純な目的ではなく、 何かを伝えたいという衝動があるからです。 だから、ネタは尽きない。 プロの作家にとっては、 書くことは生きることと同義です。 今、私の本棚には、 小学館「日本古典文学全集」の 源氏物語があります。 ずっしり分厚い本が6冊。 学生時代の恩師は、 毎朝原文を少しずつ朗読されて
風の歌を聴け よくよく考えてみると、風って、 私たちの生活の中で色々なことを伝えます。 「風の噂」で情報が伝わるし、 「風邪」はウイルスを伝染させ、 五月は「風薫る」季節です。 八百万の神と言いますが、 日本人は風に命を見出し、 風の中に何らかのメッセージを 感じ取ってきたのかもしれません。 ロマンティックな感性だと思います。 目には見えないけど、動いている。 草木や波も風が動かしている。 たしかに神様のようにも見えます。 須磨にも風が吹いていた 光源氏の須磨での生
強い人間 村上春樹の代表作「ノルウェイの森」に、 永沢さんというリアリストが登場します。 ハツミさんという彼女がいて、 その方は「理想的」とも言える女性です。 ある夜、 永沢さんとハツミさんと「僕」の3人で ディナーをとっている時、 永沢さんは、 俺は自分のことを 他人に理解してほしいと思っていない と冷徹に言い切ります。 他の連中は自分のことを 他人にわかってほしいと思ってあくせくするが、 俺は理解してもらわなくたってかまわない、 自分は自分、他人は他人だ、と。