拙作『思慕 国家の利益と人民の幸福を謀るもう一つの祖国戦線』(Nhớ Nhung Một Mặt trận Tổ quốc khác mưu cầu lợi ích của quốc gia và hạnh phúc của nhân dân)の紹介
1 お知らせ
先日に出版手続きを完了した以下の拙作『社会善 思想並びに良心の個人的かつ主体的な実践』は、更なる添削と推敲が必要となり、出版の再手続と延期することになりました。また時間や金銭等の費用が倍になりますが、世に確りとした知的財産と善き哲学書を送り出す為に、以上のことを決行しました。一人のみでの作業は確かに極めて大変で限界がありますが、さればこそ、ますます自己批判と自助努力を向上させ続けることです。今後も、変わらず、そしてなおかつ、ますます精進して参ります。
また、本日の拙作『思慕』の構想と解題に全体の概要の完成の為に、予想よりも遥かに時間が掛かり、今夜から早速研究活動と執筆活動の下準備を開始する為に、予定していた以下の哲学サイトの更新を、明日の早朝に延期いたします。
何卒宜しくお願い申し上げます。
さて、以下の通り、拙作『思慕 国家の利益と人民の幸福を謀るもう一つの祖国戦線』(Nhớ Nhung Một Mặt trận Tổ quốc khác mưu cầu lợi ích của quốc gia và hạnh phúc của nhân dân)をご紹介いたします。
2 拙作『思慕 国家の利益と人民の幸福を謀るもう一つの祖国戦線』(Nhớ Nhung Một Mặt trận Tổ quốc khác mưu cầu lợi ích của quốc gia và hạnh phúc của nhân dân)
以下の通り、様々な文献や情報等の紹介をも交えつつ、ご紹介致します。
2.1 表紙・扉・目次
2.2 解題
2.2.1 前回の拙作の反省・自省・望郷の念
この解題を著述している今日の午後に、前回の拙作『社会善 思想並びに良心の自由の個人的かつ主体的の実践』の出版手続きを完了させた。その後、『社会善』の内容の不足ぶりや未熟ぶり等を再認識しては、深く痛感して、悩んでいた。しかしそれと同時に、自分自身の成長や進歩ぶりも、我ながら深く実感して、安心感と共に、更なる向学心と志を誠に確りと懐くことが出来た。
「人は誰でも過ちを犯す生物。数多くの失敗を繰り返しては、それらを乗り越えて、確りと省みて学び、そして成長していくことが大切。」という、自分が二十六年間に亘って人生を生きた上で体得した格言、そして『社会善』の主題となった、我が祖国ベトナムの高名な格言「学んでは、更に学んで、常しえに学ぶ。」(Học, học nữa, học mãi.)を、まだまだ余りにも不徳で浅知浅学の愚者ではあるものの、以前と比べれば、自分は間違いなく誠に確りと成長や進歩して、深くそして新しく体得することが出来始めた。
そして、『社会善』を完成させる前から、来年の一月二日に、実に八年ぶりにこよなく愛する祖国ベトナムに一時帰国できるという好機・朗報・吉報を得て、自分は誠に歓喜しつつも、数多の深い激痛や辛苦に悲憤が心の底から次々と大洪水のように押し寄せて来ては、心から満ち溢れ出して、涙が零れたり、深いため息が出たり、深い虚無感に沈んだりすること等が一気に激増した。そして、死別した愛する大切な同志達(著者「LVN」の夢の中で生じた、記憶と経験を持った別人格のベトナム故人達の同志達のこと)への「思慕」(Nhớ Nhung)の念がより一層、多く・強く・深くなった。
2.2.2 南ベトナム解放民族戦線と懐古
日本には、『ベトコン・メモワール 解放された祖国を追われて』(チュオン・ニュ・タン⦅著⦆、吉本 晋一郎⦅訳⦆、原書房、1986)という訳書があるが、原著『A Vietcong memoir』であり、ベトナム戦争中に存在していた、「南ベトナム共和国」(Cộng hòa Miền Nam Việt Nam)と、「南ベトナム解放民族戦線」(Mặt trận Dân tộc Giải phóng miền Nam Việt Nam)の要人であった、「Trương(チュオン) Như(ニュ) Tảng(タン)」氏の著作である。他にも『裏切られたベトナム革命 チュン・ニュー・タンの証言』(友田 錫⦅著⦆、中央公論社、1986)という書物もある。これは、友田錫がフランスに亡命したタン氏に直接会って取材した記録を書籍化したものである。
自分は、この二つの書物を完読できたことで、数多の深い激痛や辛苦に悲憤等を得たと同時に、向学心や愛国心に志等をより一層多くしては、強くして、深くすることが出来、そして誠に幸福をも得ることが出来た。国士であったタン翁に、訳書の関係者各位に対する深謝の念を、そして既にお亡くなりになられたタン翁への哀悼の念を、ここに示す。
前述の二つの著作を完読した日から徐々に、そしてベトナムへの帰国日が決定してからますます、「自分」(Nguyễn(グエン) Hoài(ホアイ) Minh(ミン))は、死別した最愛の同志「Thanh(タイン) Bình(ビィン) Dũng(ズゥン)」、そして、死別した南ベトナム解放民族戦線の同志達への思慕の念が心の底から溢れ出し、それと同時に、こよなく愛する祖国の戦後から今現在に至るまでの頑迷・非情・悲惨な現実に対する悲憤の念も心の底から溢れ出した。このような心境から誕生したのが、次回の拙作『人文佳品 剛直な猛省の愛国詩集』である。だが、この拙作の前に様々な苦悩に構想を積み重ねた結果、もう一つの拙作を生み出したが、それが正(まさ)しく、今回のこの拙作『思慕 国家の利益と人民の幸福を謀るもう一つの祖国戦線』である。
2.2.3 労働問題と社会問題
歴史学や社会学を学ぶと同時に、私生活や社会生活等をも学んでいくと、誠に「塵も積もれば山となる」や「人の振り見て我が振り直せ」等の諺を体得することが出来る。今現在、自分はそれがやっと少しずつ出来始めている。今現在、自分はある医療機関の一般の医療従事者・アルバイト従業員・外勤者として働いているが、不徳な経営方針・愚劣な営業活動・非情な労働環境・時代後れな勤労体制、そして、勤労意欲に、道徳心や倫理観、責任感や義務感等はおろか、職業的や応用的ではなく基本的な協調性や社会性等(例えば、挨拶・言葉遣い・態度・礼儀作法・時間や約束の厳守等)ですらも、著しく不足や欠如している。その為、自分はハンナ・アーレント先生が述べた「凡庸な悪」という言葉を、自分は、学術的にも日常的にも、深く体得し続ける日々を送っている。
2.2.4 情報に知識と社会の関係
前回の拙作『社会善』の完成の裏には、以上のような背景があり、この拙作から、「凡庸な善」即ち「個人善」つまり「学び知る」の積み重なりとその増加・深化・持続こそが、「社会善」つまり「情報社会の抜本的な改良」・「知識経済の知的な確立」・「知識基盤社会の持続的な実現」等を成し遂げると、自分は心の底から誠に強く願っている。
2.2.5 実践哲学
しかし、「社会善」では、どちらかと言えば、抽象的・総括的・哲学的な内容の方を重点的に著述したため、最重要参考文献であった『論語』や『ティルックラル』を確りと深く研究しては、批判的・発展的・独創的に模倣にして、具体的・個別的・日常的な内容をも確りと著述しようと挑んでみたもの、確りと省みると、やはり、それらの著しい不足ぶりや未熟ぶり等は、明らかである。これは拙作『愛国的個人主義のマキシムズ 根本原理・行動原則・格言』(デザインエッグ社; 第1版、2022)でも、同様のことが言える。
そこで今回の拙作は、前述の二つの拙作『社会善』と『愛国的個人主義のマキシムズ』を批判的に継承して、具体的・個別的・日常的な内容の方を重点的に著述していくことを決行した。そして、「愛国精励」(Patriotic diligence / Chuyên cần yêu nước)と言う労働観念に労働思想・労働教育に労働学習、そして労働方向に労働方法を、この拙作で提言していくことを決行した。
2.2.6 厳酷な現実
今現在、こよなく愛する第二の祖国日本「働き方改革の実現」(「働き方改革」の実現に向けて |厚生労働省 (mhlw.go.jp))や「人生100年時代構想」(「人生100年時代」に向けて|厚生労働省 (mhlw.go.jp))に「新しい資本主義」(新しい資本主義実現本部/新しい資本主義実現会議|内閣官房ホームページ (cas.go.jp))が大いに呼び掛け続けられるも、現実は厳酷であり、税金や物価等と時給や給与の反比例的な関係、大幅な円安や止まらずにますます加速する少子高齢化、理念の形骸化や現実での有名無実ぶり等が現実である。天命は無情であり、そして、国運も時流も悲惨である。
しかしだからこそ、各個人で、生活に健康・労働に成長・学問に進歩・娯楽に喜楽等を、自力で自分自身の為に確りと確保し続けることに挑戦することが、正(まさ)に「凡庸な善」即ち「個人善」つまり「学び知る」の積み重なりとその増加・深化・持続であるのではないだろうか?そして、個人善が、社会善へと発展し、そして同時に、社会善を成し遂げる道の一つには、「愛国心」という美徳があるのではないだろうか?自分は心の底からそう誠に強く思う。この拙作では、この思想と志を実践躬行しながら、確りと真心を込めて著述して、読者の皆様方に真摯に提言していく。
2.2.7 労働の価値
さて、我が祖国ベトナムの詩人「Bách(バック) Tùng(トゥン) Vũ(ヴ)」先生の労働に関する詩を、以下の通り、原文と対照しつつ私訳して、ご紹介する。この詩の題名は「Lao động là vinh quang」(労働は崇高)である。
また、『論語』(子張19:7)と『ティルックラル』(620)に、それぞれ以下の言葉がある。
2.2.8 労働と愛国心
以上の詩と二つの格言から、自分は、「愛国精励」という思想を創造しては、実践躬行して、道を以て悲惨な国運や時流に非情な天命でさえも押し退け、そして国利民福に貢献することを志した。
この志こそが、正に「思慕と懐古的な継承に革新的な挑戦の道」となり、そして、「国家の利益と人民の幸福を謀るもう一つの祖国戦線」となるように、自分は生涯に亘って、思慕の念を懐き続けては、哲学並びに学徳を以て、懐古的な継承に革新的な挑戦の道を極致まで致し続けて、国家の利益と人民の幸福を謀る為の不撓不屈で不断の奮励努力を成し続ける。そして自分はこう誠に思う、
自分は、誠に成っては、過去の数々の涙を汲んで、数々の教訓を得、誠に徹しては、数々の涙を流し続けて、数々の徳行を成し、誠を尽くしては、未来への数々の涙を流して、冥助を成していく。
必ずや、数多くの失敗や挫折に孤立を繰り返し続けることになる。それらを、自制心や自己批判に克己心等を以て、誠に確りと乗り越えて、格致日新を以て学び続け、そして、改善に成長や進歩等し続けていく。それが、自分の徳であり、道であり、また、戦線である。己自身と天命と戦うという、極めて危険にして最も重要な戦線である。この戦線での勝利とその戦果は、他ならぬ徳と道であり、この徳と道が、国家の利益と人民の幸福となるよう、「学んでは、更に学んで、常しえに学ぶ。」(Học, học nữa, học mãi.)。これこそが、自分の修徳にして修道であり、そして、幸福である。
2.2.9 参考文献と説明
さて、今回の拙作の参考文献と、その動機に構成や関連性等は、それぞれ以下の通りとなる。
まず第一の参考文献は、以下のホー・チ・ミン主席の二つの手紙と、主著の一つである、党員達への注意書・指導書である。この三つは、一九四七年に著述されて公開されたものであり、今年で七十五年の年月が経った。今こそ、敬愛するホー・チ・ミン主席の遺徳を、誠を尽くして、確りと批判的・発展的・独創的に継承した。
次の参考文献は、中国の大元の官僚で儒家であった張養浩先生の三つの著作『廟堂忠告』・『風憲忠告』・『牧民忠告』、そして死後に、一つの著作に統合された『三事忠告』と言う傑作である。この傑作は、張先生の仁徳に忠愛・大義に徳行・智徳に信念等が詳述されており、その遺徳を、誠を尽くして、確りと批判的・発展的・独創的に継承した。その為に、以下の訳書を参考にした。
次に、「愛国精励」という思想の創造の為に、民族に国家主義や民主主義と、愛国心に愛国主義や愛国活動等について研究する為に、以下の二つの名著を参考文献とした。この二作は、極めて広範囲で詳密な分析や詳解等がある傑出した研究書である。御二人の著者への敬服の念をここに示す。
そして次に、自らも女工として過酷な労働環境で過ごした経験を持ち、そして、先見の明と深い洞察力を以て、社会主義や共産主義の問題点を適確に見抜き、また、多方面・多分野の諸学への数多の深い思索を行い続けるも、実に残念ながら、三十四歳という若さでお亡くなりになってしまわれたフランスの女性哲学者「シモーヌ・ヴェイユ」先生の数多くの著作とその思想や遺徳等を研究しては参考にさせて頂いた。
政治的にも文化的にも、そして歴史的にも、やはり「国家主義」や「民族主義」、そして、「愛国心」や「愛国主義」等は、権力者達の専制や独裁、そして、全体主義や軍事行動の正当化等に悪用され続けた/され続けていることは、実に残念ながら事実である。故に自分が提唱する「愛国精励」という思想にもまた、そのような不可避の潜在的な危険性や暴力性等がどうしても存在してしまう。前述したホー・チ・ミン主席の三つの著作と、張養浩先生の主著の一つ『三事忠告』にも、それらが潜在しており、不可避の潜在的な危険性や暴力性等を、自分は前回の歴史小説の拙作『一人は皆のために、皆は一人のために。 倫理的全体主義から熟議民主主義へ』(デザインエッグ社; 第1版、2022)にて著述した。
不可避の潜在的な危険性や暴力性等の一つの形は、思うに「倫理的全体主義」であり、この主義は、序盤では、極めて数多くの良好な成果を生み出すも、それを継続させ続けると、やがて、独裁に専制の正当化と持続をはじめ、硬直化あるいは形骸化してしまった倫理に基づく全体主義の確立、そして更に事態が悪化すると、暴力の正当化に美化等が大いに展開されるのであろう。
我が祖国ベトナムでも、かつては、「革命道徳」(Đạo đức cách mạng)という理念や、「個人主義の排斥」という呼び掛け等が、ベトナム労働党(今現在のベトナム共産党の前身)で盛んに掲げられていたが、思うに、これが正(まさ)に、倫理的全体主義の実例の一つである。以下の通り、その理念と呼び掛け等の中心人物であったホー・チ・ミン主席の言葉を引用して、その実例を紹介する。
晩年の一九六九年二月三日には、ホー・チ・ミン主席は「革命道徳を向上させ、個人主義を払拭する」(Nâng cao đạo đức cách mạng, quét sạch chủ nghĩa cá nhân)(同上; 第15巻、p.546)という講演を行う等、個人主義の完全否定と、革命道徳という閉じられた道徳を提唱しては奨励し続けた。
このホー・チ・ミン主席の思想は今現在に至るまで悪用され続けて、ベトナム共産党の一党独裁や抑圧政策の正当化、人権の制限や弾圧、民主化や自由化に多元化の否定や排斥等の根拠の一つとされている。以下の通り、日本語訳された有名無実な実態を示す情報源の一部を、参考として記載する。
独学孤陋に頑迷固陋、壮言大語に虚誕妄説、偽詐術策に貪吝刻薄、これらがこよなく愛する我が祖国の政情であり、また国情であり、そして民情でもある。そこで、自分は、カール・ポパー先生やベルクソン先生の批判を誠に学んでは、閉じられた道徳に満ち溢れた閉じられた社会を着実に打破する為に、開かれた道徳を自ら学んでは、修めて、行い続けることで、開かされた社会の一因にして一員となっていく。
だからこそ自分は、ホー・チ・ミン主席の「個人主義の否定」という道を深く共感と理解しつつも、それを批判的かつ発展的に継承して、「個人主義の肯定」という道を創っては践んで行く。これが、自分の哲学・思想であり、温故知新と格致日新であり、そして、「新革命道徳」(Đạo đức cách mạng mới)と、「もう一つの祖国戦線」(Một Mặt trận Tổ quốc khác)である。
この、温故知新と格致日新の実践、そして「新革命道徳」と「もう一つの祖国戦線」の実行の為に、シモーヌ・ヴェイユ先生の数多の著作とその思想や遺徳等を、誠を尽くして、確りと批判的・発展的・独創的に研究しては参考した。翻訳・研究・出版の関係者各位への深謝の念をここに示す。
その他にも以下の通り、現代的にして日用的、そして実用的な参考文献を研究しては参考にした。
そして拙作『思慕』の十六の題材は、胡(こ)錦濤(きんとう)氏が提唱した「八栄八恥」(社会主義栄辱観)の標語を独創的に詳解と活用したもので、出典は以下の通りである。(原文とその記事は既に無い)また、拙作『思慕』の参考文献とした拙作と、表紙の枠の出典と製作者様の名も、以下の通りである。
拙作が、思慕のある国家の利益と人民の幸福を謀るもう一つの祖国戦線となることを、誠に願う。
3 結語
今夜は、夕食作り・片付・運動・風呂を終えた後、早速、ホー・チ・ミン主席の著作と張先生の著作を研究し、そして明日の早朝から、哲学サイトの更新を行って、こちらのサイトでも宣伝させて頂きます。
平素より拙ブログ・拙サイトを愛読して下さっている読者の皆様方に、深謝の念をここに示します。