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自分の価値って?☆これからの因果応報☆その②パターンを選ぶ・心のアンカーを外す




☆もし神様に
「たった今、10億円をあげましょう」と言われたら
貰いますか?

ほぼ答えは「いぇす」でしょうね。
ところが続きがあります。

「しかし、それと引き換えに、あなたは明日の朝、死にます」
と言われたら?

もし「それなら、いらない!!」と答えたならば
自分は、知っていることになります。

自分の明日には、10億円以上の価値があることを。

多分、明日も、今日とはそんなに変わらない1日。
しょーもないことで、泣いたり笑ったりするだけかもしれない。
それでも、その1日を過ごす自分には、10億円どころではない価値がある。

「それなら、いらない!」と即答したならば
本能的にそれを知っている。

頭で考えれば、自分の1日にそんな価値があるのかどうか?などと
くどくど思考を始めてしまうが
それがエゴという自我の発想パターンである。

本能は知っている。

☆先日の記事で、
これからの因果応報の世界において
指針にしておきたい3つのことの
その①をあげました。



今日は、その③を先に。

今年の夏は、色んな分野において大波予報。
ライオンズゲート時期あたりは、まさに。
あらゆることが「解放」モード。

量子力学の実験の結果を最近、よく見ているが
日本・世界の研究者の皆さんに感謝。
どうも実験の意図に、哲学との融合が垣間見れる。

量子が示す現在は、過去まで変えるという振舞いをする。
また、観測者の意思によっても、結果が変わるというような
実験結果も出ている。

時空を超えた因果応報だ。

先日、「新周波数」の世界をクリエイトしていく
というような記事もあげたが

その世界線をクリエイトするには
「因」が必要。

その鍵は「観る者」という観測者だ。
つまり、人生においては、自分の意識のこと。

☆ところが、私達というのは
いつもいつも、同じような「因」を生み出すというパターンから
なかなか抜け出せない。



たくさん自分と向き合って、内観したりしている人でも
自分のパターンは、なかなか気づきにくいもの。

そもそも、固定観念の中で内観してたりなんかすると
抜け出せない沼化。ここがトリッキー。

これへの気づきがとても重要だ。
だから、固定観念をぶっ壊す必要があるよっていうわけ。

そして、もう「手放せた!」と言っていたにもかかわらず
「おためしがきた~」なんて言ってたりする人も多いですよね。

おためしって、確かにその表現も間違いではないけれど
言い方を変えれば、「まだそのパターンを持っている」ってだけにすぎない。

癖。潜在意識の。
大癖なのだ。

そして、それが常にアンカーになっている。
それが「因」

☆船にアンカーをする理由は?
船をそこに、とどめておく為ですよね。



船を出航したければ?
アンカーをはずさないと、自由になれない。

つまり、アンカーを、ちょっと外すとかないのよ。
船を出すには、外すか外さないか。しかない。

ということで、前置きが長くなっておりますが
今日のテーマ「パターンを選ぶ」という本題に入っていきます。

☆人はみな
だいたい同じようなことを引き寄せ
同じような反応をする。
それがその人のパターン。



なぜそれをいつも引き寄せてしまうのか?
という「因」を、そもそも変えていくことが最も重要なのは、もちろんだが

まず、段階的に
「反応を変える」ことから始めてみる。

さきほどのように
「また、お試しきた」っていうのは
同じことを引き寄せている状況なわけだが

お試しだ!と思ったならば
そのあとの、反応を変えることで
新しい世界線が見えてくるだろう。

お試しきてるのに、いつもと同じ反応では
「何も変わっていない」ことをあかしているだけだ。

☆いつも、自分が同じパターンに陥っていることに
まず気づくことだ。



恥、恐れ、不安、心配、怒り、悲しみ、罪悪感、無価値観・・
などなどが、みな手放したいような代表的なことだと思うが
大概は、自分の現実パターンが、こういったところから来ていることにも
気づいていない。

それらの自分と対自したくないから
なおさら上手にそれらから自分を守るすべを覚えて、すり替えてしまう。
何者かの仮面をかぶったりもする。
そして、自分らしさがわからなくなっていく。

「本来の安心」ではない安心で、防御する。
そこに、わずかな光を見出してしまうのだ。

こわいよね。
自分をある意味、守るための仮面や、方法だったわけだから。
それを取るなんて、こわい。そうじゃない方法を選ぶなんて、こわい。

だから、また同じパターンを続ける。
保険みたいなもの。これがあれば、とりあえず安心という。


最終的には、仮面を剥ごうにも
「本当の自分への信頼」が見いだせない限り、人は仮面は剥がせないだろう。
他の方法があるなんて、信頼出来ないのだ。

こわいもの。
「自分に保険をかけて、守っていたものを、失ったら?
その先の自分どうなるの?」って。

自分を信頼できなければ、
仮面を人は取らない。

自分の未来を信頼できなければ
その他の方法という選択肢は探さない。

そしてそれが、
現状維持が「安心」というコンフォートゾーンである。

本当の安心はそのゾーンではなく
本来の自分という存在を知り、そこが安心の場所であるという、
「本当の自分を見出し、それを信頼する」という解放こそが
目覚めである。

だから、そのための精神性や心への取り組みを第一に
講座やクラスで進めることを優先している。

だが、それは誰しもが、すぐに見出せるものでもない。
心の中にある手放さないとならないものがアンカーになっていると、
それが重しになって邪魔するので
アンカーが多かったり、めちゃオモだと、
その自我が、目覚めを邪魔してくるのだ。

☆まず、日々出来ることとして
パターンを思い切って、変えるということを
意識してみる。



例えばだけど
いつも、誰かのいいなりになってしまう人は
何かしら、そうすることで、自分を守ったり、自分の存在意義を見出せるというような
「利得」という光を、そこに見出すパターンになっている。

もっと言うと
他人軸に意識が向いてる方が安心よね。
なんかあったって、その人のせいに出来る。自分はみじめな対自はしなくてする。
これが、実は根底にあったりする。

潜在意識のもっとも、奥深くにある深層心理の話だが。
これはのちほど、パワーかフォースかのお話でする。

☆本来の自分の存在というチットを、見いだせないまま
今までとは違うパターンを選択するのは、こわい。



それでもね、やってみるのよ。
どうすればいいか、わかんなくても
今までの反応パターンを、やめてみる。

例えば、これはほんと例えばよ。
もし、いつも、不本意だけで言いなりになってしまう自分が嫌な人。
上司だろうが、愛する人だろうが
「NO」って言ってみる。

こわいよね、上司にその先どういう扱いや評価をうけるか、
こわいよね、愛する人がそっぽ向かないか。
でも、パターンを変えるなら「NO]って言ってみる。
とかね。

多分、それでうまくいかなかったトラウマもあるだろうし、
もちろん、その後のことなんて、わかんないよ、どうなるか。

でも、確実なことは
今まで通りのいいなりという
今までのパターンの世界線だけは、なくなる。

自分を信頼できるようになってから「NO]って言う。
それも良いよ。

だけど、いつになったら自分を信頼できるわけ?
おじいちゃん、おばぁちゃんになってから?って話。

もちろん、「本当の自分を見出し、それを信頼する」という解放。
その自由を手に入れることは、やったほうがいい。
そして、そのノウハウってのは、あるわけだから。

それも同時進行で、パターンを選ぶ。

さっきのは、一例であって
「NO」というだけが、選択肢じゃない。
選択肢は無数にある。

また、言動の話だけではなく
心の反応もそうだが
わかりやすく
他にも言動のことで例えてみようか。

いつも、お金がないないと言っている人がいるとしよう。
その現実を引き寄せている「因」がある。
それは、ここではさて置くとして

お金がないというときに、いつもやっている反応パターンがあるはずだ。
例えばだけれど
節約するとか、やりたくないこと我慢して稼ぐとか。
それぞれの、反応パターンがある。

こわいもんね。そうしないと。
これ、世間一般では常識だろうが、今は倫理的な話や、良識の話はしていない。

他のパターンという可能性があることに、視点をむけていくということが
現状を変えるには必要だよねっていう話。
変えたいならばっていう話。
それでいいなら、それでいいのだから。

まず、自分には、他のパターンは、ないって、決めつけちゃってる。
世間や、昔から引き継いでいる固定観念も呪縛になって。

そして、その人は
それでなんとか、その場はなるという成功体験をするので
そのパターンが、その人の成功という利得になっている。
コンフォートゾーンになる。

☆可能性は無限にある。
全ての情報は、可能性としてこの宇宙にただよっている。
量子力学の世界のように。



何者かが、ひとつのパターンを選択したときに、
その情報という波は、粒になって具現化される。
逆をいえば、何者かが選択しなければ、それは起こらない。
それが何かしらの「因」

事象はランダムな行き当たりばったりでは、起こっていない。
すべて、蓋然性がある。

ただ、それだけのシンプルな仕組み。

だからいつも、自分が、ワンパターンであることに
まず気づき、それをやめること。

やめるということは、必ず何か、他の選択が必要だ。
その時にまた、ワンパターンになるのではなく
柔軟に選択肢を多くもつこと。

この時には、A.
この時には、B.
という固定観念ではなく

この時には、それ以外に無限な組み合わせの答えは、自分で出せると
まずはそれを信じてみること。

易経などを学ぶとわかってくるのは
その時々で、ベストな選択がある。
それが人生を立命していくことであって
これといった正解が全てに固定されていることは、まずない。

んで、思い切って
いつものパターンをやめること。

ある意味、それが
「悟りあきらめる」

自分の人生も、他者の人生も
全てを同じように信頼できたら
「悟りあきらめる」ことが出来るのだ。

☆こわいよね。まだ信頼できないうちは。
こわいときは、むしろ、
変人に助言を求めたらいい。



今までの自分と同じ価値観の人の助言では、また同じパターンになる。
堂々巡りのカルマのループ。

同じ価値観で、同じパターンに居る人達と、
愚痴を言い合うことも
時には慰めになるだろし、

いつものパターンの自分を
「このままでいいのかな」と安心させてくれるような言葉も
その時、気が楽になるかもしれない。

でも、そのままでは、そのままだ。

ありのままとは、自我のエゴのままという意味ではなく。
本来の自分に開き直ることであり

つまり
無為自然のことである。

☆人には、第二感情というのがある。
例えば、一番わかりやすいのは
「怒り」。



怒りは第二感情であり
その下に、自分で認めたくない、感じたくないものが潜んでいることが多い。

例えば、みじめな気持ち、悲しい気持ち、悔しい気持ち、
思い通りにならない憤りなどなど

それらを自分で、感じたくなさすぎて、受け入れられなくて
「怒り」ということにすり替える。

プライドが高いと、「みじめな自分」は自分でみたくない。
だから、それを打ち消すために
外側への「怒り」を利用する。

「私は怒っている」と思っていても
実はそれは、フェイクだったりするのだ。

通常、子供のころというのは
自分の思い通りにならないことに対して
泣いたり、怒ったり、喧嘩したりしながら

だんだん、自分の思い通りに成らないことに対して
自己受容するという処理方法を学ぶ。

また凸も凹もある自分も、周りも受容する。
それが、この世界での自己実現である。

それをいつまでも、認めたくないのでは
子供のままなのだ。
世界に色んな思想や人種がいると、世界を見てもなお
自分がノーマルで、周りが違うと思っている。

象の鼻が長いのではなく、人間の鼻が短いとも見れる世界だ。
どれもこれもが大当たりの世界なのだ。

ちょっと前に「子供たちがキレやすい」とかいわれていたが
十分その前に、世界中の私達大人も
自己受容、自己実現なんて出来てない。

☆過去に味わったそんな感情に
いつまでも、執着してしまう。



「もう、あんな思いしたくない」
だから、保険をかける。
仮面をかぶる。

その場合
発想の根本は、みじめな思いをもう、したくないという恐れからきている。

しかし、量子の世界でわかるように
過去の情報というのは、今ココにはない。
もうないのだ。

あるのは、無意識にそれに執着している自分だけだ。

その自分は、そこにずーっと執着した目線で
波を粒に変え、現実を生み出していく。

そして、やっかいなのは
起こることも、泣くことも、自分を責めることも、
「いけないことだわ」と
自分の感情を封印してしまうことがある。

そのように抑圧しすぎた場合
やがては、失体感のように、心や身体で感じる力を失ってしまう。
ストレスに対する恒常性が働いていない状態。

ストレスというのは、誰にでもかかる。
だって、そういう世の中に生きてんだから。

ボールは、蹴ったりバットで打ったりすると、凹みます。
でも、元に戻ります。
それがストレスによって歪んだものを正常化させる働き。

しかし、あまりに心を抑圧してしまうと
その力を失っていく。

凹んだまま、また蹴られては、また凹んで
そのままペチャンコになったボールは
元に戻れなくなくなる。

そうなる前に、
自分の心の反応は、素直に受け入れ
そして、そのパターンを変えれるのだという
無限な可能性に目を向けて欲しい。

☆変えたいことがあるならば、
今までやっていたパターンをやめて
他の選択を探してみるということです。

同時に、「本当の自分を見出し、それを信頼する」という解放も
取り組む。

そして、最初にお話したように
自分の一日には、10億円どころではない価値が
あることを知っているという
「I know」な自分を認めて欲しい。

その1日で
何が出来るかわかんないよ。

誰かのためになるかどうかなんて
わかんないよ。

それでも、それだけの価値があることを
本当は知ってる。

それを勇気に変えてみる。

☆昔、流行った
パワーかフォースかっていう本の中の



人の意識レベルは17あるというお話を
以前したと思う。

エネルギーレベルの最も低い順に
恥→罪悪感→無感動→深い悲しみ→恐怖→欲望→怒り→プライドと続く。
ここまでは、自分の人生を困難にするフォース。

プライドの次に勇気がくる。

勇気以降は、パワーというエネルギーが増える。
勇気→中立→意欲→受容→理性→愛→喜び→平和→悟り

その意識エネルギーは
言い換えれば「因」である。

そこから物事を引き寄せたり、選択したりするわけだから。
さっき話した、「みっともない・みじめだ」と思う屈辱感は恥に値するので
もっともエネルギーレベルが低い発想の「因」になる。

第二感情の話をしたが
それがこの、恥を認めたくないので、ちょっとランクアップして怒るみたいな感じだね。

愛・喜び・平和・悟り
というような領域を、ヨーガやヴェーダなどの精神世界の学びでは取り組んでいくわけだが

もちろん、ここに一致していく自分が見いだせてくると
その意識の「因」の力で
自分のその世界線がクリエイトされていく。

しかし、その前のフォースの領域の意識がある限り
そこに引き戻されてしまう。

それが、さきほど話したアンカーになってしまうだろう。

だから、
その領域にある潜在意識の癖というアンカーを手放していくことも、同時に必要だ。

つまり、精神性や霊性の学びだけではなく
心の学び、潜在意識という意識の領域を整えていくことも大事であると考えている。

どちらも大事だ。

愛や、平和や悟りを知らずして、人はどこへ向かえばいいのかわからない。
愛や、平和や悟りを見出したくても、恥や罪悪感や恐れ、悲しみがアンカーになると
それが重しになって、動きに制限がかかり、そこへ向かえないのだ。

よくこれらを、ネガティブ・ポジティブで捉える人たちがいるが
それは誤釈を招くので、あまりネガ・ポジで考えないほうがいい。

あくまで、自分の人生を自由に自分らしく充実して生きれるかどうか?
意識の指標だと捉えたほうがいいだろう。

アンカーが重りになり人生を先に進めない
「要因」になるということだろう。

勇気以降の意識では、そういったフォースのアンカーを外して
軽やかに自分を生きているイメージは
文字の波動からも伝わる。

ちなみに、それぞれの持つ感情はこうなっている。
フォースの方は、かかない。そ
勇気以降のだけ、書いておくね。

意識パターンの選択の参考になるといいね。

勇気→肯定
中立→信頼
意欲→楽天的
受容→赦し
理性→理解
愛→尊敬
喜び→静寂
平和→至福
悟り→表現不可能

ヨガの修練や、瞑想で
見出す世界は、まさに信頼・赦し・愛・静寂・至福、
そして言葉では表せない真我の無の世界。
そこにはもはや、肯定も否定もない。

まずは
自分の今日一日の価値を肯定してあげること。

肯定されているから、
自分だけではく、この世界に全ての物・者は、存在出来ているのだと
認めること。それが受容。

次回の記事では、
これからの因果応報、その③
赦し・受容の愛を忘れない
こちらを書いていきます。
赦し・受容・愛は、パワーにも出てきていますね。

私達のこれからの世界線に必要な視座
引き出していきましょう!

ということで、引き続きTTTで
宜しくお願いします(*‘∀‘)

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