自由への旅路 第二章 ⑦ 「神との対話」
自分の理解度に合わせてF婦人が次に指定したテキストは、ニール・ドナルド・ウォルシュの「神との対話」だった。
こちらは先の「原因と結果の法則」と違い、
作者の人生に起きた奇跡……彼の苦しみに満ちた人生対する疑問に、神が自動書記の形で答える……言わば「啓示」について書かれたものだ。
正直、当時はこの人のだらしなさや、いかにもアメリカ的でご都合主義的な内容に、
「そんなわけないでしょ?」と、
ジト目で見ていたように思う。
がしかし、いつの間にか自分もだらしない生き方だけは似てきているので、偉そうな事は言えないのであった。
信じられないような不思議な体験談ではあるけれど、
この時は自分もまだ殻から抜け出せていなくて、
今、普通に言われている「自分の生きたいように生きる」事は利己的であり、
あやふやな根拠に基く成功体験を本にして金儲けするってどうなのか?との思いも強く、
自分の求める生き方ではないなと感じていた。
ようするに、まだ、他の人の生き方や考え方をジャッジしていたのである。
それは返す刀で自分さえも裁いていたのだが、
そんなことも当時は全く理解していなかった。
しかし、「引き寄せの法則」や自分が神の分霊であること、つまりワンネスに関する考え方などを知ったのもそれが初めてであり、
この作品に出会えたことや、引き合わせてくれたF婦人にはまたまた感謝である。
久し振りにユーチューブで彼の自伝映画を観ると、実は自分と重なる(ネガティブな)部分が多くあって、
もしかしたら当時はその内容に無意識的に「同族嫌悪」を感じていたのかもしれないと思えた。
でも今、改めて観た感想は素晴らしいの一言だった。
「対話」の内容はさて置き、
彼は40代でホームレスになってしまったが、
そこで得た出会いを通し、失敗したり助けられたりしながらも、やがて身に起こる全てを受け入れ、ジャッジしない事を学び、結果、様々なマインドブロックからも解き放たれて、ついには自分の天命を見出す事が出来たんだと感じられ、観るうちに自然と涙がこぼれてきた。
映画が始まってまもなく、ある講演会の時に聴衆が結婚と離婚を繰り返してきた彼を責めるのだが、これまでに多くの人々を傷つけて来たことを素直に認め謝罪する彼に、もはや以前観た時の様な嫌悪感は感じなかった。
なぜなら後半部分のある回想シーンで、母親が幼いニールに優しい言葉で
「あなたは誰も愛せない」
と言う場面が出てきており、恐らくそれが呪いの言葉となって刷り込まれ、その後の人生に多大な悪影響を与えた事を今になって理解したからかもしれない。
彼もアダルトチルドレンなのだろう。
そしてまた、その母親もアダルトチルドレンであったに違いない。
しかし終には、繋いでいた母の手を自ら離す子のシーンが添えられており、その呪縛から逃れ、負の連鎖を断ち切れたことが暗示されていた。
機能不全家族において、男の子の将来は父親との関係よりも母親との関係が良好であったかどうかが重要なのだと、どこかで読んだ事がある。
ニールの場合が正にこれだと思う。
母親の刷り込みは彼の女性に対する見方を歪めてしまい、パートナーと心から信頼関係を築くのが難しかったはずだ。
そしてそれは、まるで鏡の向こうに映る自分を見ているようにも思えてならなかった。
当時の勉強会ではここまでの考察はしなかったかもしれないが、F婦人もこの映画がお気に入りだと言っていたのを覚えている。
もしかしたらそれは、ニールが悟りを開いた僧侶のようではなく、むしろ同族であるアダルトチルドレン故の人間臭さ、不完全さを彼の内に垣間見ることで、
ある種の共感を抱いていたからかもしれない。