つながりから得る倫理観…
2024年 10月20日(日)
今日の景色…
〈気になる記事・後半…〉
自身の発明が”戦争”に使われ「生まれてきたことを後悔」…ダイナマイトを発明したノーベルから学ぶ「この世の本質」
(記事本文抜粋…)
世界で最も有名な人物の一人、アルフレッド・ノーベルの話をしましょう。
「この惨めで半病人のアルフレッド・ノーベルは、この世にうぶ声をあげて登場したときに、人道的な医師によって窒息死させられていればよかった」
これはノーベル自身が、自分の兄に送った手紙の一節です。
別に病気だったわけでも貧乏だったわけでもありません。
当時の彼は、ダイナマイトの発明から得られた利益で、ゆとりある生活をしていました。 では、なぜこれほど自虐的な言葉を吐いたのか。
…ダイナマイトは、第一次、第二次世界大戦で大量に使用され、多くの人々の命を奪うことになります。このことを嘆いたノーベルは、その莫大な遺産を世界の科学発展、平和維持に活用することを望み、ノーベル賞が生まれたのです。
ノーベルの名前が出たならば、もう一人の科学者の名前も出てきます。
アルバート・アインシュタイン。 20世紀最高の科学者といわれる彼は、「E=mc2」という世界一有名な数式を遺しました。この数式は、核融合、核分裂反応の基礎となっています。 つまり、原子力発電はアインシュタインの発想をもとに実用化されているのです。そして、核兵器も。
アインシュタインは、広島、長崎への原爆投下を嘆き、「われわれは戦いには勝利したが、平和まで勝ち取ったわけではない」と演説しています。
そして、1955年には、核兵器の廃絶や戦争の根絶、科学技術の平和利用などを世界各国に訴える内容のラッセル=アインシュタイン宣言に署名し、科学の軍事利用への反対を強く表明しています。
ロケットもダイナマイトも核技術も、すべて、「道具」に過ぎません。それをどう活用するかは、人間が考えることです。
核兵器の脅威の責任がアインシュタインにないことは明らかです。
起業家の中には、新たな革新技術によって、あるいは既存の技術、アイデアでも、発想力や想像力によって使い方を変えることで、これまでにないビジネスを起こそうとしているケースも多くあります。
テクノロジー、アイデアは、それだけではただの「道具」または「素材」に過ぎません。どう活かしていくかは、人に委ねられています。
だからこそ、それを活かす人には、創造性だけでなく、倫理観が求められるのです。
👉この世の発明というのは…
その多くのほとんどは、始まりはその発明者の『より良きもののため』という想いから生まれているはず…。
ただ…
その『より良きもののため』に発明された技術やノウハウが、いつの間にかその発明者の想いとは裏腹に、その邪悪な魂の持ち主により「間違った使い方」がされ、その悲惨な結果結末をもたらす事が多々あります…。
そんな結果をもたらすのであれば…
はじめから無い方が良かったのではないか…。
発明しなければ良かったのでは…。
そんな自責と後悔の念に苦しんだことでしょう…。
この世は…
時代とその文明の発展と共に…
常に進化し向上して行くもの…。
でも…
一説によれば…
かつてあったと言われる文明では…
今のこの世の中よりももっと進化し発達した高度な文明と社会が存在していたという…。
ただ…
そんな今よりも進化していた文明というのも、結局はその高度な技術やテクノロジーのようなものを使う人間が、その「使い方」「使い道」というものを誤り、その“過ち”によって、その“人災”によってその文明が滅び滅亡して行ったという…。
しかもそんな人間による“人災”によって…
この世にかつて存在していた文明・人類が一度だけでなく何度も失われ滅亡して来たという…。
そんな人間の愚かな“過ち”によって…
繰り返されて来た「人類滅亡」という危機…。
もしかしたら…
今、この時代、この文明の、この愚かなわたしたち人間によって、その「人類滅亡」の新たな危機が目の前に迫っていて、それがまた繰り返されようとしているのかもしれません…。
この世の中にあるものを…
どう使いどう活かしていくかは…
この時代を生きるわたしたち人間に委ねられています…。
そして…
かつての先人たちが経験したこと…
そしてその「後悔の念」も含めて…
それらの想いをこの時代にどう活かして行くかも、今を生きるわたしたち人間に委ねられています…。
そしてそこには必ず…
適切な「良心」と適切な「倫理観」がなければなりません…。
神の子人間としての…
そしてその「良心」と「倫理観」を知り身につけるにはやはり…
今一度、その“神”という存在を意識して…
その“神”なる存在と一人一人が向き合って…
その“神”なる存在と一人一人が直接つながる必要があるように思います…。
どこかの宗教やカリスマによって間接的に繋げてもらうのではなく…
わたしたちすべての人間は…
そもそも“神”なる存在と直接つながっている『神の子』そのもの…
それを忘れ…
それを意識せず…
「神抜きで生きる社会文明」とその時代には…
必ずその衰退と滅亡の結果が待ち受けています…。
今のこの世を生きるわたしたち人間の中で…
どれだけの人間がそれに気づきそれに覚醒めてそれを意識して生きることが出来るのか…
はたまた…
その“神の子”という本来の自分に気づくことなく…
この世の物質的な事だけに囚われてこの世のこの人生を終えてあの世に帰って行くのか…。
これから迎える夜明けの晩の結末というのは…
そこに掛かっているのかもしれません…
〈気になる記事・前半…〉はこちらから…
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