テツガクの小部屋21 プラトン⑤
・プラトンの構想する世界構造
世界はまず英知界(ノエータ)と可視的世界(ホラタ)に分けられる。前者は永遠不変の存在であり、後者は生成消滅の支配する非存在である。英知界はさらに弁証法の世界と仮定を原理とする数学の世界に分けられねばならない。前者はイデアの世界であり、その頂点に善のイデアが存在する。このイデアの世界に関してのみ知識がありうる。数学にかかわる知は悟性的な分別知(ディアノイア)である。他方、可視的世界はさらに現象の世界と芸術や仮象の影の世界に分けられる。前者の知は臆見ないしは信念(ピスティス)であり、後者に関しては想像(エイカシア)があるにすぎない。
我々が直接見るものは、それゆえ非存在であり、存在の仮象である。存在、イデアへのあこがれが哲学(愛知)である。プラトンも哲学をエロスの行為とした。
・洞窟の比喩
可視的世界に置かれた人間の状況をプラトンは洞窟の比喩によって語っている。我々人間は洞窟の奥に縛られて壁に向かって座らされている、囚人にも等しい存在であるという。背後にローソクが立てられており、それが我々の影を壁に映しだしている。我々はその影を見て、真の実在だと思いこんでいるのである。
この鎖を解いて洞窟の外に脱出する者が哲学者である。外に脱出した者は強烈な太陽(善のイデア)によって最初は何も見分けることができないであろう。しかしやがて彼の眼は慣れてきて、周囲を見分けることができるようになる。その結果、彼は全てを認識し、それまでの自己の立場を理解するに至る。もし彼が真の哲学者なら、真実を仲間にも知らさねばならないと考えるだろう。彼は再び洞窟内にとって返して仲間に真実を告げるが、もはや人々は彼のいうことを信じようとしない。洞窟内の暗さのために彼の眼は今度は洞窟内を見分けることができなくなっており、彼の立居振舞は無様にならざるをえないからである。世が哲学者をあざけり、疎んじるゆえんである。
しかしプラトンは、鎖を解いて洞窟から脱出し、善のイデアを見た者こそ、すなわち哲学者こそ、国家の指導者たるべきことを説いた。哲学者が王となるか、王たるものが神の配剤によって哲学を学ぶにいたるかしない限り、国家の悲惨は救われないというのが、プラトンの信念であった。これを哲人王説という。(実際には彼はこの信念をもってディオニュシオス2世の教育にあたり、惨めな失敗をしたのだが。)
参考文献『西洋哲学史―理性の運命と可能性―』岡崎文明ほか 昭和堂