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人と音楽のあいだを満たすものについて

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人たちのかけがえのないいとなみと連動する音楽のことを考えたい。 音楽学者ではないけれど、いえ、だからこそ見えてくる音楽があるはず。音のない音楽のことや、自然のなかの音楽のことなど…
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#音楽教室

あそびは日常か非日常か。

子どもたちの遊びと音楽のことを昨日書いた。 その連想ゲームみたいなもので、 ふと、 遊びっていうのは果たして日常なのか、非日常なのか、 というどうでも良いような、とても大事なことのような といが生まれてきた。 暮らしの中に息づく遊び・・なんていうじゃないですか。 わらべうた、とか。 私も子ども向けのワークをするときには、 日常に出会うもの、小さな虫や、動物や、お母さんの仕草や 隣のヘンテコおじさん、そんな題材を大事にしている。 でもな。 取り上げている題材は確かに暮らしの

小さい声に、小さい声で答えること。

ピアノレッスン生のグループワークの時。 幼児さんクラスは 生徒の一人が即興で何か歌い出したかと思えば、 それをいつしかみんなで歌っていたり、 クレヨンを人に見立てて友達とごっこ遊びをやったり、 好き放題やっているようだけれども、 私が小さい声で話し始めると、同じようにトーンを落としてくるようになった。 場を読み、場を作るのが上手くなってきてるなと思う。 そういう遊びの言語をだんだんとこの子達は身につけてきている。 歌はいつも手遊びや、ドローイングと一緒に。 歌を歌だけで歌

手放すことはじぶんにしかできない

マガジン・"音楽"を伝える音楽教室に 前回に書いた記事、音程感を補修していくことをかいたものの中で、「掴むことより手放すことのほうが難しい」、と書いて、あれから手放すっていうことについて、つらつらと考えています。羅列というか覚書みたいな感じで書き出してみました。これは正しいと思っているわけではなく、「手放す」という言葉に対する私の中の情報を引き出してみよう、という試み。辻褄はあっていないかもですが、とにかく書き出してみました。 教える側は「掴む」ことを前提としている 何

音楽を描く?

興味が尽きないのは、音楽が生まれるところ 音が一つ。 * もう一つ増える *     * そうすると、その間に音楽の動きが生まれて それが流れをなし、いくつか合流してきて、本流になって、やがて、またどこかへ去っていく・・・どこにもないのに、確かに存在している、音楽。 感じるところから始まる音楽体験と演奏へのアプローチ 音楽と仲良くなるためにすることは、 演奏をきく人、楽器を奏でる人の自然なしぐさと音楽とを 感覚を通して結ぶこまやかな作業。 私は音楽を教える仕事を通

名前のないものの方から教える

音楽を教える、というとき、 リズムとか、拍子記号とか、五線譜の読み方、 伝えなきゃいけないものがたくさんあります。 ト音記号のドの位置や、ヘ音記号のソの位置 二分音符は2拍のばす、(そもそも一拍ってなんだ?) ドはハ長調の主音。 付点四分音符は一拍半のばす。 でも、ものには名前より先に存在があります。 「拍」にも、「主音」にも、音楽、というフィールドで息づいているもので、名前を知らなくてもそれに触れることができます。 それにふれて、その実感があって それにいつか名前がある

例えば、今、音楽と少し距離のある生徒とアンサンブル

例えば、今、音楽と少し距離がある生徒とハノンうちは、音楽教室から脱皮して音楽室をやっています。(とはいえ音楽を学ぶ場所にかわりはありませんが・・) そんなところにやってくる生徒の中にも、なんとなくここににきてる、なんとなく続けてる、という様子の生徒もいます。 なんだかんだ生徒との付き合いが長いので、なんか親戚のうちくらいにおもわれてんのか?という感じで、とにかくちゃんと時間にはやってきて、くてっと話をしてかえる、みたいな。 ことに中学一年生ともなると、忙しくて家で練習もでき

風鈴・全方向に聴覚はひらく

音楽室の手洗い場で手を洗ってこちらをふりかえり ピアノに向かおうとして、 ちいさい生徒が あ、 といって、洗い場を振り返りました。 そう、さっきまで物音を立てていなかった洗い場の風鈴がリラリラと風に吹かれて 一瞬、その子を誘うように鳴ったことに いち早く、その子は気がついたんやね。 音楽室の洗い場周り。 風鈴は木でできた円筒のもの コシチャイムという風鈴で純正律の和音が響きます。 生徒が持ってきた野の草や貝殻も一緒に飾っています。 音楽室は、全方向窓があって

音のしっぽ

ピアノの音が点々になるピアノに初めてさわった年長さんの男の子。 一生懸命5本全部の指で全身全霊ピアノに向き合います。 ドローイングでやったあの虹のようにピアノを弾いてみよう、ということで。 にじがでた ど・れ・み・ふぁ・そ ああ、むずかしい。 と小声が漏れる。 音が点々となって、身体も一生懸命固くして。 あ、と思って、すぐにそのワークは終わり。 ピアノの減衰していく音をいつまでも聞くピアノの鍵盤をどれでも良いので一つ選んでそこにずっと指を置いておくだけ。 そ

教えることより、学ぶことに興味がある

一年生のまなびかたが無茶可愛かったという話から、私自身、教えることに興味があるのではなくて、「学ぶ」という仕草に惹かれるのだと気がついた、という話。 ・・ 今日もうきうきでやってきた一年生の女の子が開いたのはうちの音楽室でつくった「うたとピアノの本」というテキスト。 そのなかの「みっつずつ」という曲の横に、 りんごが3つずつならんでいる絵を書き添えてあります。 私が描きました。このテキストにはへたうまへたななんちゃってイラストが時々描いてあります。 この曲は3拍子の導

音楽室でのダイヤログ(対話)

体験を補修していく音楽ワークとダイヤログ 大人の個人対象のレッスン、表向きは、 楽器演奏や音楽理論、 そして動線を使った音楽と体験理解の「u.d音楽を描く」、 の3種類になっています。 でも、実際には、ピアノのレッスンでも、必要となれば楽曲練習を一切やめて音楽理論をすることもありますし、音楽を描く、が楽しそう、と言って始めた人が歌や笛をもって、いつのまにか練習に励んでいる、ということもあります。 そして、楽器を学びに来て、音楽を描くことから掘り下げていってみたい、という人も

大切なことはみーんな「メリさんの羊」に教わった

主食は「メリーさんのひつじ」とにかく、「メリーさんのひつじ」が主食。あとは、雑魚。 毎週くるたびに、「メリーさんのひつじ」ばかりをドローイングしたがる女の子がおりまして、多分、一年以上、こればっかりやってました。その合間をぬって、ほかのドローイングもやってみたり、手遊びしたり、最近少しづつピアノも弾きはじめたところ。でも、しばらく我慢していて、もう許されていい頃だ、とばかりに「お絵かきしたーい」と言って、いつものメリーさんの羊。 よく飽きないものです。 はじめのころは、

わからない、がわかるって、冒険だ。

いっつもここでわからなくなるんよー と生徒。 わからないがわかってるってのは、すごい、と、褒めます。 ほんとにそうだから。 わからないって、悪いことじゃなくて、 ”わからない”、が”わかる”に変換されるそのプロセスが その人の人生の支えになると私は思っています。 だから、頭のいい子、すぐ何でも分かってしまう子は わからない、を体験できないと リセットや方向転換や柔軟性が生まれにくくなるし、 わからない→わかった   の変換点で感じることができる リセットしない、しな

これからの音楽教室を考えてみる

是非音楽教室の先生にも考えてもらいたいとおもいたって、書いています。もちろん、音楽教室の人ではない人にも読んでいただけたらうれしいです。 求む、同志。ウチは街の小さな音楽教室で、働いている私も音楽大学も短大卒で、化粧とかは適当だし、すごいなにかの賞をもらったこともなく、猫も時間の途中で邪魔するし、犬は吠えるし、忘れ物は多いし、年賀状も書かない、あまりに音楽教室としての一般的なイメージから遠いので、じぶんでももっと音楽教室らしくならねば、と思うことも、以前はありました。でも、

11月の音楽室

カーテンを密かに付け替えたのですが、誰も気がついてくれません。 ホットカーペットのカバーをふかふかのにしたら、生徒がすぐに寝転ぶので、「生徒をだめにする絨毯」と呼んでいます。 庭からは シコンノボタンがこちらを覗いています。秋たけなわ。 背骨でリズムをとる音楽大好き少年は背骨を大きく上下リズムを取りながらピアノを弾いています。 それをすると、なかなかほかの身体へのアプローチが難しくなるのですが、かと言って「それはしない」といったところで、意味がない。余計こじれるか、反