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名前のないものの方から教える
音楽を教える、というとき、
リズムとか、拍子記号とか、五線譜の読み方、
伝えなきゃいけないものがたくさんあります。
ト音記号のドの位置や、ヘ音記号のソの位置
二分音符は2拍のばす、(そもそも一拍ってなんだ?)
ドはハ長調の主音。
付点四分音符は一拍半のばす。
でも、ものには名前より先に存在があります。
「拍」にも、「主音」にも、音楽、というフィールドで息づいているもので、名前を知らなくてもそれに触れることができます。
それにふれて、その実感があって
それにいつか名前があることに気がつく。
そんな伝えかたをしたいのです。
リンゴの絵を見せて、この1と、拍の一拍が同じ、
だから、
リンゴ三つで3拍のばす。
なんて教えかたは
私にはできません。
あの、脈々と終止符まで止まることのない、拍。
その存在に触れて、戯れて、
付き合いかたを覚えていく中で、
名前をいつかおぼえる。
友達になった後で、名前をしる、
名前で呼んで、さらにうれしくなる、みたいな。
だから、幼児期には、
必ず遊びの中に忍ばせておきます。
童歌や、絵描き歌の中に。
https://utenamuse.jp/warabeuta-lesson/
(わたべうたを音楽室に取り入れることについて、hpの記事)
名前は確かに有用なので、
いらない、とはまで言わないけれど、
どうも世の中、順序が逆というか、
むしろ、その示すのほうは手薄なのではないか、と、
音楽に関わらず、ものを知るときに、
そんなことを考えます。
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![音楽前夜(谷中みか)](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/7090636/profile_2833076fb42d76adaa0ff1b7ed0f2e8a.jpg?width=600&crop=1:1,smart)