世界は未知で多様で知り尽くせない
【うま子の日記】
海沿いの村、いいね~。日本はまだ長い梅雨が明けきらないけど、だんだん蒸し暑くなってきて、いよいよ夏っていう感じ。明日から連休だから、夏休み第一弾。今年は夏祭りがないみたいで残念だけど、実家の子供たちと花火をするのが楽しみ。
正解を導き出そうとせずに、見つめてみる
異国の人達と働くって、学びが多くて試行錯誤だよね。絶対に正しい答えもないし、一度として同じ経験をしない。色々な国で仕事をしていると、仕事のスタイルや仕事に対する独特な価値観の違いって面白くも、悩ましいよね。特に、外国にある日本企業や日本の組織で働く時、駐在員と現地職員の間に生まれる誤解とか、憤りとか、どちらの立場や考え方も一理あるし、完全に正しい答えもない。
でも、色々な国で色々な人を見ていて思ったのは、うし子が言う通り、日本とどこかの国との比較ではなく、日本を地球規模で見てみると、必ずしも日本が「模範的」ではないっていうのが分かる。日本独特の仕事のやり方を「正しい」とか「勤勉でしっかりしてる」「仕事ができる」と決めつけると、もう行きどまっちゃう(心の中で思うのは自由だと思うけど笑)。
私の前任地で素晴らしい上司たちは「あなたの言うことも分かる。大変な状況だよね。」と前置きした上で、「でも日本では、今こういう事が求められてるの。だから協力してくれたら助かるな」っていう低姿勢をいつも崩さなかった。自分たちのやり方が正しいと思うのではなく、私とあの人は違うから、どうしたら伝わるか、同意してもらえなくても、同意できなくても、どうしたら違うという事実を受け入れられるか、に焦点を当てていた気がする。どんなに偉くなっても、そういう謙虚さやおおらかさを持っている人は、本当に仕事以外でも、人として素晴らしいと思った。これって仕事以外でも、全ての人間関係を穏やかなものにするための姿勢だと思う。
色々な国の人と仕事をすることは本当に楽しい。うし子もそうだと思うけど、無理をしてでも、20代を海外で奮闘したのは貴重な経験だったと思う。自分のプライベートも仕事をしない立派な「説明」と考えられている欧州から、民族紛争とか何百年前の戦争の記憶がオフィスに持ち込まれる紛争地帯、怒りを表さない、会議では意見を主張せず、後から根回しをすることが美徳とされる南アジアの山岳地帯。それぞれの文化や国に、いいなあと思うところを見つけて、自分なりに取り入れていく。もちろん失敗や奮闘を繰り返しながらだけど、違いが面白いなと思いながら批評することをやめたら、国際結婚も、外国人と働くことも、楽しめるようになってきた。
光がなくても、黒光りする闇もある
話は逸れるけど、「おおらかで動じない」人達で思い出すのが、チベット人。最近、私にとっては、まさに開拓中の「未知」の文化。とにかく怖くて、清くて、摩訶不思議。スピリチュアリティとの延長線上で、手に取った本がこれ。
第二次世界大戦前に、あるドイツ人が当時鎖国状態だったチベットに、顔にタールを塗ったりして、現地人に見せかけて忍び込んだ実話。もうこの人の探求心がすごい。旅行記としても、明治時代に同じく身を隠してチベットに入った川口慧海の旅よりも、感嘆する程サバイバル(日本人はチベット人ぽく見えるしね)。最終的にこのドイツ人は、秘境シャンバラを見てしまうのだけど、もう異文化そのもの。私達の価値観は覆されてしまう。
その関連で、今更ながら映画『セブンイヤーズ・イン・チベット』を観たよ。みみずを殺すのがいやだから、オーストリア人の主人公(ブラピ)がダライ・ラマから頼まれた映画館の建設ができないという場面があるんだけど、ここでブラピはみみずを集めて別の場所に移しながら、根気よく建設を進めるという方法を選んだの。なんか、すごくシンプルな話だけど、相互理解とか異文化理解っていうものをすごく象徴していると思った。
チベットの文化って、とにかく清いとか悟りっていうイメージがあると思うけど、それ以上に闇の文化があるみたい。特に死に対する価値観(長くなるから、詳しくは本を読んでみて!)。そういう光と闇の二面性がチベットのありのままな魅力を作っているのかもしれない。その価値観は卓越しすぎて自分には馴染まないと思いつつも、個人的には、これぞ、固定観念を持たないようにするために知っておきたい文化だと思ってる。チベットとナチスの関係も強かったみたいだし、秘境シャンバラなんて本当にあるのかとか、謎が多くて面白い。
かなりマニアックな話になっちゃうから、今日はこの辺りで。残りのバカンス楽しんでね~!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?