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弥彦神社参拝セミナー

先日、新潟県にある弥彦神社で参拝セミナーが開催されました。
牛窪も運営スタッフとして同行させていただきましたが、なんと大阪から新潟までマイクロバスで行きましたー!

この日のために、わたくし牛窪は免許センターで中型免許の限定解除の試験を受けに行きました。

1回1時間の運転講習を合計7回受けた後に、運転試験を受け合格すると中型免許が取得できるという流れでしたが、

見事一発合格!
仲間4人と受けに行きましたが合格第1号となりました。

そんな背景があってのマイクロバスでの新潟行きです。

運転は3人。

1人約2時間30分の運転となりますが、こんな感じで出発しましたー!

真っ暗だよーー!!

それもそのはず、25時に大阪を出発し翌朝8時30分に新潟へ到着するスケジュールです。

運転手3人でがんばりしたー♪


深夜の高速はトラックがバンバン走っていましたが、こんな時だからこそ、妙な会話に発展するものです。

尾坂:深夜はトラックばっかなんすよねー

牛窪:トラック多いよね、大変な仕事だよ。一人で何時間も運転するんだから、自分との戦いだよね。

尾坂:もしかしたら前世で人と絡みすぎて疲れちゃったんじゃないですか、で、一人になりたいって今世はトラックの運転手になったとか。

牛窪:あー、あるかもね。それだったら尾坂くんさー、前世〝飛脚〟っぽいよね。それか走れメロスに出てくるメロスとかで、伝令伝えようとして途中で敵に見つかって作戦バレたとか。

で、今世こそは絶対伝令届けてやるぞーって生まれてきて、マイクロバスの運転手になったんじゃない?

尾坂:あー、確かにそれありそうっねー。でも、そう考えると牛窪さんもマイクロバス運転してるから、そうなんじゃないっすか?

牛窪:あー、確かにメロスとか親近感あるよね。俺らの前世、メロスだわ。

という、たわいもない会話をしなが、早くも交代の時間になりましたので、運転手チェンジです。

夜の高速を安全運転で走る牛窪。
途中で朝を迎える牛窪。

朝日が眩しくてグラサンを借りた牛窪。

そんなこんなで会場となるホテルに到着!


セミナーのための場づくり開始です!

入り口に大国主命がお出迎えしてくれていました。(ホテルのオーナーさんが気に入って飾っているそうです)

マイクロバスから荷物を運び出します。

会場は前日入りしてくれたメンバーが音響機材のセッティングなどはやってくれていました。

セミナー前は「場づくり」というものをしていきますが、その話をすると、弥彦神社の参拝セミナーのレポが場づくりの話だけで終わってしまうので、また、どこかで書いていきます。

全員で徹底的に掃除していきました。

リハーサルも入念にやりました。

リハも終わり受付スタートです!

物販もしていくのでブースも作りました。
大好評でしたねー。

牛窪も「THE SHIFT」や「NEXT DIMENSION」「新時代創造経営塾」や「DIMENSION CODE」など、小田さんが講師をされる講座に参加してくださっている方からたくさん声をかけていただきました。

ありがとうございます<(_ _)>

そんなこんなで、セミナーの時間が近づいてきましたので、運営陣はみんなでお弁当を食べてセミナー本番を迎えます。

弥彦神社参拝セミナースタートです!!

今回の弥彦神社参拝セミナーは、金曜日、土曜日と2日程で開催しましたが、2日合わせて300人以上の方々がご参加いただきました。

メイン講師を務めるのは「羽賀ヒカル」さんです。

小田さんは羽賀さんと出会ったことにより東京から大阪楠葉へ引っ越すことになるのですが、その話をすると長くなってしまうので機会がありましたら別ページでお話しさせていただきます。

牛窪はというと、、、毎回、照明を担当させていただいていますので、こんな感じで部屋の端っこにいることが多いです。

パーテーションで仕切られてる中で相棒の遠藤さんと、こんな機材をいじっています。

この日は小田さんはお話されませんが、全体の指揮をとっていました。

「どんな人と一緒に生きていくのか?
パートナーシップも誰と、どこをみていくのかが大事です。

深い信頼関係によって守られているのか?
大事な人との信頼関係を築くには、今まで踏み込まなかった部分に踏み込む勇気が必要。

見過ごしてきたこと、ある一定の距離感を踏み込んで破壊していくことでしか、新しい関係性は生まれない。」

という話からスタートしました!


最強の武将「上杉謙信公」

弥彦神社がある新潟を代表する人物と言えば、色々思い浮かべると思いますが、戦国武将でいえばこの方、上杉謙信です。

戦国時代、実際に天下を修めたのは織田信長、豊臣秀吉、そして、徳川家康です。

しかし、実際に戦わせたら誰が最強なのか?
と聞かれると、皆口をそろえて歴史マニアは「上杉謙信」の名を挙げます。上杉謙信はとにかく頭が良く、戦(いくさ)では負けたことがありません。

毘沙門天(びしゃもんてん)を深く信仰していて、
「我がいなければ毘沙門天もありはしない。我が毘沙門天を拝めば、毘沙門天も我を五十回か三十回は拝んでいるはずだ」

という名言が残っていたり、戦の前は祠にこもって、毘沙門天に祈り続ける。
そして、毘沙門天と合一した状態で戦に臨むので、常にゾーンに入った状態で戦えたそうです。

「川中島の戦い」は有名な話ですが、武田信玄と川中島を巡って何年にもわたって戦っていました。

そこでは戦略、戦術、高度な地学戦が繰り広げられていたそうです。
それだけ戦が強かった上杉謙信ですので、領土拡大の戦をどんどん仕掛けていったのか?
というと、そうではありません。

領土拡大の為の戦は一切しませんでした。
上杉謙信が戦う時は、「助けて」って頼まれた時だけ。
つまり、他国からの救援を求められた場合のみ戦いに臨んだそうです。

その時の、上杉謙信公はというと、完全にゾーンに入っていて次々とひらめき、「次こっち、次こっち」と、パッ、パッと動きながら考え、100手先をも予想して戦術を立てていたそうです。
(この動きながらひらめくことを「動中の静」と呼びます)

セミナーの中で羽賀さんはこう話していました。

「上杉謙信の戦には義があるんです、世のため人のためなんです、他国から救援を要請された戦は、絶対負けなかった。」

まさに、義を持っての戦い!
好き好んで戦をしたわけではなく、大義のために、助けを求める人のために
上杉謙信は他国と戦ったのです。


カッコイイですよねー!

私利私欲のための戦いではなく、義をもって敵に相対す。
その時の上杉謙信は最強だった。
男として、カッコよすぎます(゚Д゚)ノ

そんな上杉謙信ですので、信頼は絶大です。
上杉が何のために戦っていたかを、敵である武将たちも知っていました。だから、上杉謙信のライバルのはずの武田信玄でさえ、自分が亡くなる直前に、

「いざとなったら上杉を頼れ」

と家臣に伝えたほど絶大なる信頼をよせていました。武田だけでなく、織田信長や北条家からも信頼されていそうです。


「NHK天地人」上杉景勝×直江兼続

また、叔父上杉謙信の養子になり、のちに上杉家の跡目となった「上杉景勝(かげかつ)」と、その家臣「直江兼続(なおえかねつぐ)」の話は、聞いていて熱くなりました〜♪

NHKの大河ドラマ「天地人」の26話で描かれているこちらのシーン。

戦国武将で愛の歌を歌ったのは兼続だけ。
そして、文武両道のオールマイティ武将だった兼続は天下人、秀吉をも魅了します。

「天下を修めるための、もう一つの力が欲しい」

秀吉は才能あふれる直江兼続を部下にするために、上杉景勝との仲を裂こうと試みるのです。

そんな窮地に立たされていることを事前に察知した兼続。
(秀吉に大阪城に呼びだされる直前に)
千利休の娘、木村佳乃演じる「お涼」とお城の中で、こんなやり取りをしていました。

お涼:かつての殿下は戯言で人を笑われるような気さくなお人柄でしたが、今は違います、殿下のお力をもってすれば、あなた様のお命は
いかようにもできます。どうかお命を大切に。

兼続:相手が誰であれ、武士には譲れぬものがある。後には引けぬと決めたからには己を貫き戦うまで。

お涼:揺るがぬ、そのお心量にはまぶしゅうございます。

兼続:後は一切、時の運じゃ、吉と出るか凶と出るか。

お涼:ご武運をお祈り申し上げます。

兼続:では、参る!

(そして、景勝と兼続は秀吉が待つ大阪城に旅立つのでした)

「どうじゃ、我が、黄金の茶室は」

大阪城の黄金の茶室に2人を招く秀吉。

お茶を入れた後、舞台を外に移し、いよいよ、兼続を引き入れようと、目の前に金を差し出します。

しかし、眉一つ動かさない兼続。

秀吉:足りんかー!どうじゃこれで!

(更に金を積むが、一切、態度に変化を見せない兼続に、秀吉はこう叫びます)

秀吉:わしの家臣になれ!!

(それに対して、兼続は間髪入れずにこう答えました)

兼続:恐れながらお断りいたします。我が主君は、上杉景勝をおいて他にございませぬ

秀吉:このわしに、恥をかかすのかー!!

兼続:それがし、幼少のころから景勝の使え、この乱世を生きて参りました。十万億土に旅立つ日が来ようとも、主のもとを離れぬわけには参りませぬ。

秀吉:よう言うたーー!

(そう言うと、刀を抜きながら兼続に近づき、兼続に対して、キリかかる構えを見せます)

秀吉:今一度聞く!その気は変わらぬかーー!

(まっすぐな目で秀吉をみる兼続)

兼続:はい!

(この命をかけた行動で一命をとりとめる兼続。そして、場面が切り替わり、景勝と兼続、お涼が城で話すシーンに変わります)

景勝:さすがは天下人じゃ、自ら器を壊すことはせぬか

兼続:はっ

(言葉の真意が分からない兼続、そのまま景勝は席を立ちその場を離れました。兼続も席を立ちおもむろに庭を眺めていると、家臣が何かを燃やしている現場を目撃します)

兼続:それは

家臣:殿(景勝)がもはや不要ゆえ、燃やすよう、申し付かったでございまする。

(箱を燃やそうとする家臣)

兼続:待て

(家臣から箱を取り上げ中身をあける)

(そこに入っていたのは、景勝が書いた遺言書でした。それを読み上げる兼家)

『本日、ご城中にて、わが身、ならびに兼続に万が一のことがある時は、
家来一党、直ちに大阪を出て、たとえ4千の家来が4人になろうとも、必ずや越後に帰りつくこと。

皆に、わが無念を伝えて天下の軍勢を相手にして一戦及ぶべし。
関白殿下は主従の中を割き、君臣の道を汚す、ファイル不義非道の人と知れたり。

その軍勢100万を誇ると言えど恐るるに足らず。
義を貫くべし。
たとえ、家中残らず討ち死になろうとも
上杉家正義の美名を千年に長きに伝えるべきこと』

「殿、、、万一の時は、殿下と刺し違えるお覚悟で、、、
この兼続の身のために、」

(景勝との会話を回想する兼続)

「(秀吉様の申し出に対して)兼続、お主の好きにするがよい。
何があろうとも、責めは私が負うてやる」

「ご自身の御命と越後一国の命運をかけるお覚悟であったとは、、、」

「殿、、、」

(そして、景勝の書いた遺言書を焼く兼続)

(その後、秀吉に大阪城に再度、呼びだされたシーンに移ります)

(そして、景勝、兼続にこう伝えたのです)

秀吉:景勝、兼続よ、その方らのような無礼者は初めてじゃ!
だが、なぜだか、、、なぜだか楽しかったわい

(間をおいて、涙を流しながら語る秀吉)

秀吉:わしゃー、成り上がりの身。
心底、慕ってくれる家臣はおらん、それゆえ、わしは金銀に頼るしかなかった。じゃが、上杉は我が天下の東国の守護神。心より頼りにしておるぞ。

景勝・兼続:はっ!

秀吉:道中の無事を祈る。

途中、秀吉はどこの誰よりも目利きだと言われているシーンがありますが、秀吉も兼続が金では手に入らないと分かっていてやっていたんですね。

それでも試してみたくなるほど、兼続が魅力的な人物だったのか、それとも、絶妙なところで止める、天下人のおたわむれだったのか、真相は秀吉にしか分かりませんが、ぜひ、見て欲しい作品です。

みんな芯が通り過ぎてて、腹がすわり過ぎてて、カッコよすぎます。

「誰と一緒に生きていくのか?」
「どこを見て生きていくのか?」
「深い信頼関係によって守られているのか?」

それが分かりやすく描かれている作品でした。


上杉謙信や景勝、直江兼続のスゴイところとは?

人類の歴史はハイアラキー(ピラミッドの頂点に立つ人たち)が作っている。

皇帝、王、お金や経済を握った人、銀行持ってる人、財閥がお金を発行できる日本銀行やアメリカのFRBも株式会社であって、誰かの持ち物。
宗教やマスメディア、貨幣などは、人を支配するためにハイアラキーによって作られてきたものです。

当時、ピラミッド構造の頂点にいる、信長、秀吉、家康に屈しなかった。大義のためにお金、政治経済に屈しなかった武将たち。

人は知らず知らずのうちに、階層構造が染みついています。

それは「内なるハイアラキー」とも呼んでいますが、比較意識、差別意識、上下意識、そもそも上下はないはずなのに、比較して落ち込む
・・・もっと力があったら、ポジションがあったらと、力を求めてしまう。

でも、大事なことは今の私でできることはないか?
それを考えることです。

そして、「内なるハイアラキー」をなくしていくことです。

それは言い換えると、「わたし」をなくしていくことでもあります。

「わたし」さえ良ければいいという、個人主義をなくす、自己中をなくす、「わたし」を無にして空にして消していく。

上も下もない。

人は社会の中で、助けられて生きているだけです。
人はすべての関わりの中で生かされています。

誰かの活躍は100人の支えがあって成り立ってるし、何気なく食べている食事だって、飲食店、小売店、生産者、郵送業者と辿っていくと、1食のご飯を作るのに、30万人の人の手がかかっていると言われています。

だから、自分一人では何もできないんだということに気がつくこと。

それが本当の意味で腑に落ちたなら、自然と感謝が生まれてきます。

仕事でも技術でも、自分よりも前に切り開いてきた人がいます。
言葉だって、テクノロジーだって、学問だって、医学だって、誰かが必死に努力して創り上げてくれたものです。

思いや感謝こそが、「内なるハイアラキー」を消してくれるんだな~とセミナーを受けて感じました。


セミナーの舞台裏と乗っかるエネルギー量

セミナーの舞台裏では、運営陣のお弁当を、セミナー前日から仕込み、当日の25時から5時30まで、お弁当の盛り付けをしてくれました。

そうやって大事に作ってくれたお弁当を今度は別のスタッフが、そこから5時間かけてセミナー会場まで運んでくれました。

音響やカメラ機材も、前乗り隊が7時間30分かけて車で運んで事前にセッティングしてくれていました。

当日、セミナー会場を掃除してくれたメンバーは十数人。
早くから来てくれて、場を作ってくれました。

セミナー講師も、毎日、毎日、1日たりとも欠かすことなく、仲間内でプチセミナーをしてこの日に臨んでいましたし、

物販チームもセミナー参加者さんにとって、何が必要かをミーティングにミーティングを重ねて、持っていく商品を決めていました。

機材のチャックから、当日のリハーサル、演奏の準備、受付や誘導をしてくれた仲間たち、そして、新潟の地にわざわざ足を運んでくださった参加者の皆様。

参加者の方とお話しさせていただきましたが、
「この日だけは絶対参加したかったから、仕事を切り詰めて、切り詰めて、時間を調整して参加しました。」という人は1人や2人ではありませんでした。

決して1人では作れないセミナー。

全部のエネルギーがセミナーに乗っています。

誰1人として欠けていたら、あのセミナーにはなりませんでした。

上も下もない、上杉謙信公や景勝、兼続のように、公のために生きること。
くり返しですが、人を想いやる気持ち思いや、感謝の念こそが、「内なるハイアラキー」を消してくれるんです。

次回の神社の参拝セミナーの舞台は、「出雲大社」です。

また、みんなで力を合わせてセミナーを作っていきたいと思います。

と、肝心の弥彦神社の参拝の様子をお届けしないうちに終わらせてしまうところでしたので、最後に団体参拝の様子をお届けして終わりにしたいと思います。


セミナー後はいよいよ弥彦神社への団体参拝です

スゴイ話をたっぷり聞いた直後に、ホテル前に集合〜♪

ホテルの目と鼻の先にある弥彦神社へ向かいます。

鳥居をくぐって〜、参道を歩きます。
(空気が澄んでいて、清々しい気持ちでした)

途中で御手水で身を清めて〜

いよいよ御本堂へ向かいます。

こちらが御本殿です。

目に飛び込んできた御本殿を前にして、荘厳なたたずまいに背筋がピンとしましたが、ただ、どことなく温かみもあり胸がポカポカしました。

セミナー後は本堂の中でご祈祷を受けます。

(御本殿の中は撮影禁止です)

神主さんが祝詞を奏上してくれて、巫女さんが舞を舞ってくれました。

(特別な参拝の仕方はセミナーで習っていますので)ご祈祷が終わった後は、各々、お参りをします。

おみくじも引きました。
(おみくじの引き方も実はあります( ̄▽ ̄))

時間までフリータイムです。
ゆにわ塾の会員さんや、THE SHIFT やNEXT DIMENSION、経営塾に参加してくれている方々が小田さん、次々入れ替わって小田さんと話していました。

最後はメイン講師の羽賀さんから一言いただいて現地解散です。

2日に渡り300名以上で弥彦神社へ団体参拝しましたが、一体感がハンパありませんでした。みんなの思いを一つにして臨んだ弥彦参拝。

この日のことは一生忘れないと思います。

以上が弥彦神社の参拝セミナーのレポとなりますが、何か感じでもらえたら嬉しいです。
また、気づきや学びがあったら記事にしていきたいと思います。


ちなみに、会場の撤収もみんなでやりました。

帰りも、もちろんマイクロバスでの7時間30分の旅です。
(帰るまで気を抜かないようにねー♪)

というわけで無事、帰宅して弥彦神社参拝セミナーは幕を閉じたのです。
ご視聴、ありがとうございましたー♪

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