【漫画】『枕草子』ってどんな話? ー 猫、あてなるもの、香炉峰の雪 ー
清少納言の随筆『枕草子』。「春はあけぼの…」以外にはどんなことが書いてあるのでしょう?
清少納言の『枕草子』は中学・高校の古文の授業で必ず取り上げられる教材です。
「春はあけぼの…」が有名ですが、『枕草子』全体の内容は季節や自然にとどまりません。風物、風習、人物スケッチ、生活風景、宮中の日々、天皇や中宮、殿上人・公卿らとの交流等々、実に多くの人々が登場し様々なことが描かれています。
まだ“随筆“というジャンルのなかった時代に、清少納言が思いのままにつづった文章の集合体が『枕草子』という作品なのです。
『枕草子』の3つの分類 ー類聚章段「猫は」「あてなるもの」
「春はあけぼの…」で始まり、夏、秋、冬…と続いて「わろし」で綴じるような一つ一つの文章のかたまりを、現代では”章段”と呼んで番号を振り、その冒頭部分をタイトルのように扱っています。
章段ごとに区切ることでそれぞれのテーマがわかりやすく、読みやすくなるわけですが、書かれた当時はこのような区切りはなかったそうです。
今『枕草子』の関連本はたくさんありますが、章段の区切り目も総数も、はたまた章段の順番も本によって異なるとういうのが現状で、特に総数にいたっては280〜330くらいまで、50ほどの開きがあるようです。
この違いは、『枕草子』の伝本の違いによるものですが…これでは不便だということで、国文学者・池田亀艦氏が昭和初期に章段を内容ごとに3つに分類することを提唱しました。その3つというのが、類聚章段、日記章段、随想章段です。
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類聚章段は、「〇〇は…」「〇〇もの…」という標題をもち、その標題にあったものが挙げられていくというスタイルの章段です。たとえば「猫は」ではこんなことが書かれています。
「あてなるもの」はこんな感じ。
なんだか私たちも共感できる内容ですね。
「平安時代にもいちごがあったんだ!」「清少納言もかき氷を食べてたんだ!!」という発見がうれしくて、語感も色彩感覚も素晴らしくてうっとりしてしまいます。
『枕草子』の残りの分類は日記章段と随想章段。
日記章段はその名の通り、清少納言が体験した後宮生活を記録したもの、随想章段は類聚章段と日記章段以外のすべてを含みます。
随想章段の代表的存在「春はあけぼの」はみなさんご存知でしょうから割愛させていただくとして、ここでは日記章段の中で特に有名な「香炉峰の雪」と言われるものを見てみましょう。
日記章段のおもしろさ ー 「香炉峰の雪」で垣間見る先進的な定子サロン
「香炉峰の雪」のエピソードは、「雪のいと高う降りたるを」という章段にあります。短いのでそのままご紹介しましょう。
清少納言の主人で、一条天皇の中宮(※天皇の正妻。複数の妻の中で最高位のもの)である藤原定子の言いたかったことは、「御簾を上げてちょうだい」ということですよね。雪が降っていたので、外の景色を見たかったのでしょう。
でもそれをそのまま言うのではつまらない。ちょっとした謎かけを思いついたので、ついでに女房の機転を試してみよう。
…ということ白羽の矢が立ったのが清少納言だったのです。彼女は見事、定子の期待に応え、皆からも称賛されました。女房としての清少納言の誉れ高いエピソードです。
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ここで出てくる「香炉峰の雪」は、唐の時代の中国の漢詩人・白楽天(本名・白居易)の詩「香炉峰下新卜山居草堂初成偶題東壁」の一部です。
彼はもともと、科挙などの試験に合格し中央官僚となったエリートでした。しかし815年、宰相であった武元衡の暗殺事件に際し「暗殺者だけでなく、それを裏で操っている存在を明らかにすべき」という内容の上書を行ったことが越権行為とみなされ左遷されてしまいます。
「香炉峰下…」は左遷先の江州で詠んだ詩なのですが、そこには悲壮感はなく、悠々自適の心境が読み取れるところに、人々を惹きつける魅力がある詩です。
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白楽天の詩を収めた『白氏文集』は日本にも伝わり、平安貴族に広く受け入れられておりました。しかしそれは基本的に男性に限られた話です。
この時代、漢学は男性のものとされており、女性が漢文を読み書きすることをよしとしない風潮がありました。
当時の日本の国家体制は中国・唐の法制度を模してつくられたので、公文書も日記もすべて漢字でした。政治を司るのは男性の役目でしたので、そこで扱われる漢字=真名が男性のものとされるのは自然な流れとも言えるでしょう。(男性の文字・真名の代わりに女性の文字として仮名が生まれ、和歌や物語文学が育まれていったのは非常に興味深いことです。)
しかし少数ではあったものの女性の中にも漢文を読める者がいたようで、清少納言や紫式部など学者の娘はその代表でした。
また、清少納言の主人である定子もそのような女性の一人です。
定子の母は高階貴子というのですが、この人は非常に学才に優れた人物で、円融天皇の女房として宮中に出仕した後、藤原道隆と結婚し身分が低いながら正妻となりました。定子はこの母親によって、何の引け目も感じることなく思う存分漢学の知識を身につけることができたのです。
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そんな定子が中宮として築いた後宮サロンでは、「香炉峰の雪」に見られるような、教養とセンスの問われるやりとりが繰り広げられます。
この章段は清少納言の自慢話と言ってしまえばそうなのですが、ここで注目すべきは他の女房たちの反応でしょう。
「この宮の人には、さるべきなめり」と言って、清少納言を褒めています。さらに「さることは知り、歌などにさへ歌へど」というように、彼女たちも機転の効いた反応はできなかったものの白楽天の詩自体は知っていたようなのです。
ここで、「当時の女性は漢学を学ばなかったんじゃなかったのか」と疑問が湧いてくるわけですが…。
定子の少し後に彰子(※藤原道長の娘で定子のライバルに当たる女性)のもとで宮仕えを始めた紫式部は、漢学の知識があることで他の女房たちに警戒されていたようですから(そのため彼女は漢字の”一”という字すら知らないふりをしたのだとか!)、清少納言に対する女房たちの反応は、定子サロン特有のものと思われます。
この漢学に肯定的な雰囲気は、やはり主人である定子によって作り出されたものなのでしょう。
女性でありながら漢学に詳しい定子が、それでもなお一条天皇から愛されているわけですから、女が漢文を読むことへの障壁がここにはないのです。
そうした主人のあり方が、清少納言の才能を開花させ、また他の女房たちをも刺激する…。
『枕草子』の「香炉峰の雪」は定子のサロンが先進的な役割を果たしていたことがうかがえる優れたエピソードでもあると言えるでしょう。
【興味のある方へ】
以下、白楽天の「香炉峰下新卜山居草堂初成偶題東壁」全文です。(原文、書き下し文、現代語訳の順)
【参考】
角川書店編(2001)『ビギナーズクラシックス 日本の古典 枕草子』角川ソフィア文庫
大庭みな子著(2014)『現代語訳 枕草子』
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