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【読書感想文】幸せの「形」

凪良ゆう『神さまのビオトープ』講談社、2017。を読んだ

今月2冊目。

よろよろしながら、なんとか2冊を読み終えた。よかった(10月からの3ヶ月で6冊読もうとしている)。最初の1ヶ月目、なんとか発進できた。

やれやれ。

この本は、凪良ゆうさんの一般文芸としては、初めて出版された作品らしい。

この本の2年後2019年に、『流浪の月』(2020年本屋大賞を受賞)が出版されている。

以下、あらすじと感想。

【あらすじ】

主人公は、結婚2年目に夫(鹿野・かのくん)を交通事故で失った、うる波(うるは)。

彼女は幽霊となった鹿野くんと、鹿野くんが亡くなる前と同じように暮らしている。

幽霊の鹿野くんを、うる波以外の人は見ることができないらしく、鹿野くんとおしゃべりするとは、誰もいない空間に向かって一人でおしゃべりすることになる。

そのうる波が出会う人たちと、その生き方を描いた小説。

【感想】

この本では、誰にも理解されない心や愛や恋のあり方が、テーマとして扱われている。

その人の「幸せ」の問題と直結する、心や愛や恋のあり方。

うる波にしか見えない幽霊の夫との生活は、うる波が「彼はもう亡くなって、ここにはいない。この幽霊は、わたしの妄想だ」と言ってしまったら、思ってしまったら、終わってしまう。

薄氷を踏むような、危うい均衡の上に成り立っている幸せ。

それでも、うる波は時に迷い疑いながら、自分の今の幸せを幸せだと言い切る。

本文中に、

わたしがなにに幸せを感じるかは、わたし自身ですら決められない。

もともと幸福にも不幸にも決まった形などないのだから。

p.285 より引用

という言葉が出てくる。

私の幸せとはこれです。幸せの「形」とはこうです。

今の時代、私を含め、多くの人が自分の幸せ、自分らしい幸せの形を探す。

そこでは、明確な幸せの定義を求めたり、幸せの形とはなんだろうと自問したり、他者に説いたり。

色々ではあるものの、幸せという目に見えないものに、固定した概念、意味付けをしようとする。

全ては塞翁が馬などと言ったら、元も子もないのだが、考えてみると、幸福も不幸も、決まった形なんてないのだ。幸福も不幸も、どんな形をしていて、どんな受け止め方をしていいのか、分からない。禍福は糾える縄の如しとも言う。

うる波は交通事故で最愛の夫を亡くしたけど、幽霊となった夫と変わりなく暮らすことに(他の人から理解を得られなくても)、幸せを感じている。

多くの人から、身近な人からも理解されない幸せ。それは寂しいことだし、辛いことだ。孤独だ。

でも、うる波の幸せを否定できる人は、うる波以外にはいない。

心は自由だから。

この本のタイトルは『神さまのビオトープ』という。

ビオトープとは、生命空間、自然空間のこと。

平和で、愛に満ちた幸せな空間として、神さまがビオトープを作ったとしても、神さまさえコントロールできない世界。

幸せの形も不幸の形も、曖昧で、揺らいでいて、掴み所がない。

自然とは、当たり前とは、なにか。

自然な心、愛、恋の形。生命の形。生命のあり方。あるべき姿。

しっかり掴んだつもりで、それが本当に確かなものとは限らない。

誰もが形を決めたがるけど、そんなものはない。

私は私の幸せを信じていくしかないのだ。

うる波の場合は、(今のところ)鹿野くんの幽霊という存在を信じ続けること。

そして自分は、この今が幸せなのだと、思うこと。

決めることではない。そもそも決められないのだ。

誰にも否定できないけど、肯定もできない。

形を決めることなく、形にはめ込むこともなく、ゆらぎながら、その曖昧さに迷ったりしながら、感じるもの。

それこそが、幸せというものなのだろうなと、思う本だった。

【今日の英作文】
誰よりも一所懸命働いているという自慢ほど退屈なものはない。
The boasting that I work harder than any of my coworker isn't as boring as everything else.

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