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卯岡若菜
2018年6月30日 20:23
ものを書く中で、ぱっと目を引く何かがある人をいいなあと思ってしまうことがある。それは、決して本人にとっていいものとは限らない。不幸な過去とか、生きづらい障がいや病気なども、名前がつけられるものは目を引くから。ものを書く上で、そうしたものは目を引くひとつでしかないことはわかっている。結局最後は書いたものがすべてだ。「何か」なんていうものはただのラベルに過ぎない。そのことはわかっている。…
2018年6月27日 17:15
「あ、今、創作脳のスイッチを入れたい」という衝動が沸き起こるサイクルがある。同じ文章なのに、仕事の文章がしっくりこず、創作の文章ならば書けるときがあるのだ。とはいえ、「いや、仕事が押してますから」という状況も大いにある。優先すべきは迫りくる納期。創作は二の次にしなければ。……という状況下にいるくせに、どうしても書かずにはいられなくなる、ときもある。この状態は、創作脳的に「待ってました」
2018年6月23日 21:40
「やりたいことが見つからない」「好きなことがわからない」と言う人がいる。「行きたい方向性がわからない」と言う人も多い。欲求は目に見えない。だから、第三者が「こうなんじゃないの?」と指摘することはできない。その人が言葉を発していれば、そこから推し量ることができる程度で。わたしは、書くことが好きだ。どちらかというならば、得意なことでもある。そんな思いで今の仕事に飛び込んだけれど、「そこから
2018年6月22日 12:05
「win-winでいきましょう」という言葉がある。「お互いの利益になるように」、だろう。ビジネスの場で使われるイメージが強い。わたし自身は、言われたことも言ったこともほとんどないのだけれど。取材から取材への移動中に、「win-winを目指しているわけではないなあ」と唐突に思った。わたしがしている取材は、ジャーナリズム的なものではない。「こんなところがあるよ」「こんな人がいるよ」という、「ね
2018年6月11日 17:00
何かを書くとき、わたしは「誰か」を想っている。小説であっても、児童文学であっても、仕事の記事であっても。そして、「誰か」に寄り添いたいと願っている。正確には理解できないかもしれないけれど、せめて想像だけはしてみたい。その上で、伝えられる言葉を書きたいと思っている。だからだと思うのだけれど、読み手を書き手の思い通りに動かすことを求められるものを書くのは、苦手だ。書けないという意味での苦手では
2018年6月8日 14:23
「自分の心を見つめ続けることがマンガを描くことなら、それはとてもつらい仕事ではないですか」今朝の「半分、青い」に出てきた鈴女のセリフだ。(記憶で書いているため、多少違います)人気漫画家の秋風羽織は、鈴女たち漫画家の卵に、自分の感情に向き合う必要性を説いている。それこそが、「オリジナルティ」にとって大切なことだと。自分の感情に向き合うことは、なかなかにしんどい。見て見ぬ振りをしたい感情を
2018年6月7日 06:25
「ほらほら、こういうのが好きなんでしょ?」という姿勢でものを言われると、たとえそのものが本当に好きだったとしても、「いや、別に」と言いたくなってしまう。わたしが天邪鬼だからかもしれないけれど、でも気持ち良く感じない人は結構いるんじゃない?いるよね?と思う。上から目線で「好き」を放り投げられても、うれしくないし、心にも響かない。なかには、ムッとする人だっているだろう。きっと、この「ムッ」をう
2018年6月5日 11:18
叔母からメールがきた。「出産が迫る妹にお祝いをあげたいけれど、若菜ちゃんのときって何をあげたっけ?」とのこと。「本人に聞いてごめんねー。ばあちゃんだから忘れちゃって」軽快な文章が、叔母の声で再生される。実家の親は、メールになると途端に「ど、ど、どうしましたか」とこちらが感じてしまうかしこまった文面になってしまうので、叔母の「そのまんま」な感じが楽しい。叔母は社交的で朗らか。それでいて細やか
2018年6月1日 11:40
久しぶりに小説を書いた。書き上げたことに満足しつつ、果たしてどこかへ届くんだろうかという想いも抱きながら、昨日noteにあげた。効率性やスピードがとかく重視される世の中において、小説を読むことや書くことは、きっと真逆に位置している。ノウハウやマニュアル、ハウツー本(やnote)が光を浴びがちなのは、最短距離で目的地や理想郷に辿り着きたいと考えている人が多いからだろう。その一方で、創作は瞬間