プロフェッショナルとは諦めること
明らかに見極める
「諦める」という言葉って、ネガティブな意味で使われることが多いですよね。
出来ないから諦める、やっても終わらないから諦める、仕方ないから断念して諦めるなどなど。どう考えても諦めるって言葉にいい意味を感じられないですよね。
これも今は間違った言葉の使い方ではないのかもしれない。言葉は時代に応じて変化するものだと思いますし、そうであってもいいと思います。
ただ、「諦める」っていう言葉を使うときがきたら、この記事を読んだことを少し覚えていてほしい。出来ることならば頭の引き出しの隅の隅の隅の方に塵くらいの感じでも構わないので、置いておいてくれるとありがたい。
「諦める」は、「│諦観《たいかん・ていかん》」、「│諦聴《たいちょう・ていちょう》」
「物事の本質をよく見極める」、「物事の核心に読み切る」ということであり、明らかにしていることを表す言葉です。
明らかにするというのは、全貌を捉えて、宇宙の真理である因果の道理を明るみに出来るということです。
難しく「因果の道理」なんて言葉を使っていますが、結果には何かしらの原因が存在していて、
その原因の時点で結果というのは自ずと決まってくるということですね。
因果(いんが)とは、
「ものごとの原因と結果」を意味する
言葉です。
原因と結果=因果。
「善いのも悪いのも、自分が受ける結果は、
自分で作るんだよ!」という、仏教の考え方であり、「因果応報」「因果因縁」といった
ことわざは、日常生活でも
因果応報(いんがおうほう)とは、「善い行いをすれば幸福をもたらし、悪い行いをすれば不幸をもたらす」という意味で、自分の行った善悪の行為が結果となって現れる、という仏教の考え方です。
因果因縁(いんがいんねん)とは、
「過去の行いが原因となって現在の結果に現れ、現在の行いは未来の結果につながる」
という考え方です。
因果は「原因」と「結果」
因縁は「原因」と「条件」
ということなんですが
こんなに書いておきながら、ざっくり言うと
もうこれ以上深く掘り下げることが出来ないところまで到達した状態、もうこれ以上高く上り詰めることは出来ないところまで行き着いた状態のことを『諦める』というのです。
それ以上になってくると、もう自分の手では負えなくなってくるので、仏教とか真理などの話はこれくらいにして、なぜこんなことを書いたかといえば。
本日、2月6日はプロフェッショナルの日なんです。ということで、万が一いやいや、億が一、
もっとだなぁ~。
那由多が一(こんな言葉ないと思うけど)、まぁ、とてつもなくない可能性で、プロフェッショナル―仕事の流儀に出演したとして、
『宗田さんにとってプロフェッショナルとは?』
と聞かれたときに、
『プロフェッショナルとは諦めること』
って言いたいってだけなんですけどね(笑)
出ることはないので、noteで書いてみました!
なので、宗田はまだまだ未熟者です。
諦めるなんて口にしてはいけないので、
いずれ諦めました!と言える人間になりたいものですね。
ということで、本日、2月6日は
プロフェッショナルの日です!
皆さんにとってプロフェッショナルとは?
プロってどんな人ですか?
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
それではまた。