最近書いた銀河鉄道999の復習のため、とか、これから書こうとしている時をかける少女のため、とか思いながら、図書館から本を借りてきた。
初見で気がついたことのメモ、くらいに思っていただければ幸いです。
それぞれの書籍に対して、関連書籍などを簡単に比較検討していますので、創作活層の参考になれば幸いです。
図書館で本を借りてきた。
1冊目は、銀河鉄道の夜。
実は今まで読んだことがなくて、こんな内容だったんだ、と言う驚きでいっぱい。登場人物の名前がハイカラ(?)でおしゃれ、ですよね。
もうそれだけでわくわくしてしまう。
芥川龍之介の羅生門を読んだときのわくわくに似ている。
あの中に出てくるカタカナ言葉を読んだだけでもうおなかがいっぱいだ。本来であれば、老婆とのやりとりが主題で、”主食”、なのだろうけれども、主題がもうデザートなのかと思うくらい贅沢な小説です。
下人の行方、なんてもう、デザートの後で、観たこともない飲み物が出てきたのかと思うほど感動的だ。
銀河鉄道の夜に戻ろう。
時計屋のショーケース描写が印象的。頭の中では時をかける少女に通じている。
3冊目は、蜜蜂と遠雷。単行本で。
ずっと読んでみたかったのだけれど、やっと借りてみた。本が厚いので、いきなり読み始めると負けてしまいそう、だったので、丁寧に目次に目を通した。
もう、目次だけでやられた、という感じ。コンサート・ホールというか、リサイタルというか、コンテストというか。そんな場面が目に浮かぶ。
本文も読まずに、ググってみると、やっぱり映像化されていて。こちらも機会を見つけて観てみたいな、と思う。
2冊目は、時をかける少女。
原田知世が表紙になっている文庫が家の中にあるはずなんだけれど、引っ張り出すのが大変なので、図書館で借りてきた。
改めて読んでみると、良く出来てるなぁ、という感じ。タイム・リープやテレポーテーションの解説がちゃんとあって、読者はその世界観にどんどん引き込まれていってしまう。
秘伝のタレであれば、継ぎ足してゆくのだろうけれど、これはもう圧倒的に完成度が高くて、そぎ落としてそぎ落として、引き算をして、小さな空間を作り出してみたい、という感じ。
この本が原作となって、実写版やアニメ版が次々と出てくるのがよく分かる気がする。
原田知世・実写版では深町和夫の本名(ケン・ソゴル)が明かされていなかったけれど、今になって思うと、大林監督が残しておいたの置き土産だったのかも知れない。
原作を大林監督がひとりで使い切ってしまっていたら、ここまでたくさんの作品群が残らなかったかも知れません。
元に戻るけれども、設定がもう絶妙で。
だから、ラベンダーじゃなきゃだめ、なんですね。空想科学的に。
もちろん、ラベンダーじゃなきゃだめです。
その花言葉が、文学的に、置換え不能、なのでしょう。
予習:時をかける少女。仲里依紗・実写版。
・ときかけ史上、最も冷静。何度観ても泣けます。
天真爛漫な仲里依紗で物語が始まる。彼女は、やんごとなき理由でタイム・リープをするし、ミッションも見事に遂行する。
クライマックスがもう、ただただ泣ける。
新宿のバス・ターミナルで、なきじゃくる仲里依紗と、それを制止するケン・ソゴル。
画面の前でもう、茫然自失である。
細田守版であれば、一晩寝て起きればチャージされていたかも知れないけれども。。。
原田知世版で「未来人の掟」をたたきこまれてきたリアル・タイムの鑑賞者としては、もうなすすべがない。
村上春樹の羊を巡る冒険のクライマックス。
赤いコードは赤いコード。緑のコードは緑のコード。
同じようにして、頭の中をキーワードがぐるぐると巡る。
東京と上野は違うし、
大宮と浦和は違う。
もちろん、秋田と能代は違う。
仲里依紗がタイム・リープから帰還。
画面の中で、丈夫なガラス・コップで水を飲むシーンがあるんだけれど、確かにそうだ。
喉がすごく渇いたし、すごく疲れ切っている。
エンディングの仲里依紗の笑顔がとにかく素敵。
そのおかげで、未熟な読者である私は、物語の中に置き去りにされることもなく、こちらの世界に戻ってこられる。
エンディングの仲里依紗の笑顔がとにかく素敵。
救われます。