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生物の体はよくできていると言うけれども、人体はそれほどよくできていない。

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いかがお過ごしですか!トビタケです。

今日は、前に途中まで読んでいた養老孟司さんの『考えるヒト』を読んでいました。

積読(つんどく)という言葉を最近よく聞きますが、重読(じゅうどく)や復読(ふくどく)は聞いたことがありますか?

重読は、同じ著者の本をいくつも読むことで、復読は同じ1冊の本を繰り返し読むことだと言います。

よく考えてみると、何かを文章で人に伝えたいときに「たった1通り」の表現の仕方で書かれたものを、「たった1回だけ」読んでもらうだけでは伝わるものも伝わらないのではないかと思います。

つまり、繰り返し複数の表現の仕方で伝えようとして、何度も相手に読んでもらう、聞いてもらうということが必要になります。

なので、YouTubeをやっておりますが、あらためて大事なことは何度も伝えてみようと思いました。


本編

『考えるヒト』を読んでいると、面白い一節があった。

 われわれのからだは「よくできていますねえ」という人が、ときどきある。右のような例を見ていると、それほどよくできているとはいえない。入力については、五感というくらいで、最低でも五種類はあるわけである。どれか一つが壊れても大事件ではあるが、ともかく入力が完全になくなるわけではない。だからヘレン・ケラーの話がある。彼女は目も見えず、耳も聞こえなかったが、最後には触覚を利用して、ことばがわかるようになった。しかし、いくらヘレン・ケラーでも、筋肉が動かなければ、どうにもならない。コミュニケーションと呼ばれるもの、これは意識的には、まったく随意運動に依存するのである。

養老孟司『考える人』p.94

われわれのからだは、それほどよくはできていないのか。

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