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#フクシマ
フクシマからの報告 2019年冬 全村避難解除から2年 自然のつくった氷の芸術は 除染による破壊から無事だった
2019年2月中旬、福島県飯舘村をふたたび訪れた。いつも通り、村の四季の自然をカメラに納めるためである。
厳冬の村は寒かった。最高気温が摂氏0度。日が陰るととマイナス5度以下に下がる。風が強いので、体感温度はもっと低い。「寒い」というより「痛い」という感じだ。刺すような冷気で足先や手指、耳がキリキリと痛い。
2011年3月11日から始まった福島第一原発事故で吹き出た放射性物質のプルーム(雲)で
フクシマからの報告〜2019年冬 佐野ハツノさんをしのぶ 原発事故から8年 事故当時を知る人々が 力尽き・病気になり・亡くなる現実
佐野ハツノさん(冒頭の写真)が亡くなった、とインターネットのニュースで知った。頭をいきなり殴られたような衝撃だった。しばらくパソコンの前で体を動かせなくなった。取り返しのつかない失敗をした。なぜもっと早く会いに行かなかったのだ。自分を責めた。2017年秋のことだ。
70歳。がんだったという。
ハツノさんは、福島県飯舘村で農業を営みながら民宿を開いていた。同村は、阿武隈山地の標高500メートルに
フクシマからの報告 2019年春 山間部は高線量・海岸部は無人 中心部だけが新築ラッシュ まるで「復興ショウルーム」のよう
福島第一原発事故で放射能汚染を浴びた福島県の地域はいまどうなっているのだろう。そこに住んでいた人たちはいま、どこで、どうしているのだろう。街は村は、どうなったのだろう。現地を自分の目で見て、当事者たちに会って話を聞く。それを報告・記録していく。それが、私が2011年春からずっと続けている作業である。
今回も、2019年3月15日〜19日、福島県南相馬市・飯舘村・浪江町などを訪れた。8年間で現
<フクシマからの報告 2020年春> 津波と原発事故で消えてしまった JR富岡駅前の商店街を再訪 住民の95%が消えた町で ホテル経営に挑戦する地元民に会った
東日本大震災による津波と原発事故で、消えてしまった街がある。福島県富岡町にあるJR富岡駅(常磐線)一帯である。地名では「仏浜」という。前回の本欄で書いた「夜ノ森駅」の一つ南、東京寄りの駅である。
「浜」という地名の通り、海岸からわずか500メートル。ホームから海が見える。静かなときは波が砕ける音が聞こえる。電車は1時間に1〜2本。1898年開業。小さな木造駅舎が立つ、ひなびた駅だった。
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フクシマからの報告 2021年夏 俳人・中里夏彦さんが語る原発事故・下 頭では帰れないとわかっていても 心は帰りたいと願い続ける 奪われたふるさとの記憶
前回の本欄で、福島県・双葉町出身の俳人・中里夏彦さん(64)のお盆のお墓参りに同行した報告を書いた。
中里さんが生まれ育った家は、福島第一原発から西に5キロ(道路沿い。直線距離で3キロ)にある。噴き出した放射性物質の雲(プルーム)の直撃を浴び、10年後の現在も立ち入りが禁止されている。いやそれどころか、双葉町全体が人口ゼロの無人地帯である。
2021年8月13日に撮影した冒頭の写真でもわかる
フクシマからの報告 2022年冬 原発事故被害地の農業は どれぐらい回復したのか? 福島産米の価格は事故前を上回り 「風評被害」はもはや実在しない 被害地から農業者が激減したことこそ実害
今回のテーマは「福島第一原発事故被害地の農業はどれぐらい回復したのか」である。
福島第一原発事故が起きてから、2022年3月11日でまる11年である。同原発から噴き出した放射性物質が農地や住宅地、工業・港湾地帯に降り注いで建物や土壌を汚染し、10年以上が経過した。
特に汚染の重篤だった同原発から半径20キロ内の地域から、国は住民約9万1,000人を強制避難させた。「住民が全員強制避難」というこ
<フクシマからの報告 2021年秋> やはり放射性物質を運んでいた 福島第一原発から1キロを走るJR常磐線 茨城県ひたちなか市にある 洗車場と隣接公園の土壌線量データ入手 仙台・品川間を走る列車の汚染を確認
今回、JR常磐線の車両に付着した放射性物質の実測データを入手したので、記事を無料で公開する。懸念したとおり、同線の車両は福島第一原発から出た放射性物質を運んでいた。
2020年3月にJR常磐線(東京・上野〜宮城・仙台)が東日本大震災以来9年ぶりに全線開通した時、私が懸念したのは、福島第一原発事故で噴き出した放射性物質を、車両が付着したまま沿線に運んでばら撒いてしまうのではないかという点だった。悪