本の記憶#6 中原中也詩集 中原中也著
中原中也のことを知ったのは、中学1年生のときだった。
ただ、そのときの僕は、中原中也という名前を知ったというだけで、実際に作品を読んだのは、それから少なくとも10年は経っていたと思う。
当時、中原中也のことを僕に教えてくれたのは、1学年上の先輩だった。
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先輩は、色白で背が高く、長い髪をいつも後ろで1つに束ねていた。
落ち着いていて物静かな印象。でも、明るくて優しい人だった。たぶん、彼女がいつも笑顔だったからだろう。
僕と先輩は、全部で6人いる生徒会メンバーの一員で、学校行事の企画・運営や生徒会新聞の発行など、雑多な仕事をともにする間柄だった。
メンバーの中で、僕だけが1年生だったから、先輩は、いつも親切に気にかけてくれていた。
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その日は、放課後、先輩と2人で、学校の近くにある図書館に行った。
なぜ、2人だけで図書館に行ったのかは覚えていないが、おそらくは、生徒会新聞のネタか何かで、本を借りに行く必要があったのだと思う。
それで、先輩と読書の話になった。
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「原井君って、何か本を読むの?」
「そうっすね。よく読むのは、スラムダンクとかですかね。」
僕は真面目に答えたつもりである。本当のことをいうと、僕の愛読書は「ドラえもん」だったのだが、中1男子のプライドで、そのことは言わなかった。
「私はね。中原中也。原井君は知ってる?」
「ナカハラチューヤ???」
もちろん知らない。
先輩は、僕が知らないということを悟ると、カバンの中から1冊の本を取り出した。
中原中也の詩集。大きめの単行本だった。
「詩を書く人なの。ちょっと顔を見て。」
先輩に差し出された本を見ると、中原中也と目があった。正直、なんともいえない。
とにかく、先輩は、中原中也に傾倒していた。僕にとっては衝撃だった。先輩は、やっぱすげぇ。なんだかわからないけど、レベル高けぇ。
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図書館の子どもコーナーに、高さの低いテーブルと小さなイスがあった。僕と先輩は、2人で横に並んで、それぞれ小さなイスに座った。
先輩は、テーブルの上に中原中也の本を広げた。そして、彼女が気に入っている詩や、その解釈を教えてくれた。
正直いうと、よくわからなかった。
「苦悩」、「別れ」、「悲しみ」、「切なさ」、「寂しさ」といった詩に込められた情感について、当時の僕に、理解できるはずがなかった。
自分があまりにも単細胞で薄っぺらく感じた。
一方で、そういった人間の心の機微について深く共感できる先輩が、とんでもなく大人に感じて、僕は素直に尊敬した。
それにしても、いつも見ていた明るい先輩は、実は心の中でそんなことを思っていたのか・・・。
そう思うと、なんだが、僕は先輩の秘密を知ってしまったような気がして、もうこれ以上秘密を聞くのは良くないと、ひとりで勝手に気まずくなって、なんとも居心地が悪くなった。
それで、僕は、居住まいを正そうとしたが、横に座っている先輩が思いのほか、僕の近くに迫っていたので、今度は、急に緊張してしまった。
ああ、先輩は、なんだか随分と大人で、僕の知らない世界をもうたくさん知っているんだなあ。
そう思って、詩の内容はよくわからなかったけど、やっぱりこのまま隣に座って、先輩の話をしばらく聞いていようと思った。
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図書館を出るころには、薄暗くなっていた。
帰り道、僕は、なぜだかわからないが、先輩と2人で歩いているところを、誰かに見られやしないかハラハラした。
先輩は、物静かな印象だったけど、実はそれは、話し方が落ち着いているだけで、本当は結構、おしゃべりなのだなと思った。
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