The Mouse of Amherst / きみがおとなになるまえの詩集
詩の本を立て続けに2冊読んだ。
The Mouse of Amherst (Elizabeth Spires)
noteで邦訳の存在を教えていただき調べたところ、原書が入手可だったので即決。
(ハードカバー、今ならまだ安く入手可ですよ!!)
修士論文をEmily Dikinsonで書いたので、これはぜひとも読まねばと。
論文を書く際にだいぶディキンソン関係は調べたのに、これは私の網に引っかからなかった。網目がでかすぎたな。
かわいらしい薄い絵本。ハードカバー64ページ。
ゆっくり読んでもすぐに読みおえてしまったが、
……なんという愛しさだろうか。
Dickinson家に小さな荷物を持って引っ越してきた白ネズミのEmmalineは、人間の住人・Emilyが書いた詩を手にし、衝撃を受ける。
Emmalineはその紙の裏に、生まれて初めての詩を書く。
Emilyからも「お返事」の詩が届く。
「だれでもない」ふたりの、ひそやかな「文通」がはじまり――
私は大学院でディキンソンの詩を読んだ、気になっていたけれど、
じゃあどの詩が好きだったか、今でも暗唱している詩はあるか、と言われると困るくらいで、そんなだから研究者になる道なんかなかった。
(教員になるなら専修免許があったほうがいいと思ったから院に行った)
修士論文を書くために読んだけど、
そんなあからさまな「目的」なんかないままに、ただ好きになる時間。
ただ読んで、魅せられる時間。
それが本当は必要だった。
今思い出せるのは、House of Possibilityの詩とか、
海の波が表すEternityの詩、
そしてこれだけは忘れない2語、 “Amethyst Remembrance”。
ネズミのEmmalineはEmilyの詩を本当の意味で、読むことができた。
本物の詩にふれた彼女の内からも、ことばがあふれだす。
「ことばというものがどれほど無限の神秘を秘めているか」……
ネズミと、引きこもりの女性。
小さな存在。
どれほど小さくても、無限の思いをことばに託すことができる。
私は結局、詩のPossibilityではなくProse(散文)の現実に住んでしまっているが、また手放せない宝が一つできた。
この素敵な本をご紹介くださったのはこちらの記事。↓↓↓
ありがとうございました!
『ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集』
続けて読んだのも、なぜか詩の本だった。
作者は斉藤倫。
プロフィールに『えーえんとくちから』の編集委員だったとある。
すごく得心がいった。わかる。というかうれしい。
『えーえんとくちから』(笹井宏之)で呆然とするほどすごい歌はたくさんあるけど一首だけ。
どうやったらこの歌が。いったい、どこをどう通ってどのようにして……
さて話を戻して。
斉藤倫はjunaidaの絵本ということで読んだ『せなか町から、ずっと』が中身の文章もよくて、気になっていた。
この本も涙が出るような本だった。
「ぼく」の家を気軽に訪ねてくる「きみ」。
小学生の男の子と、大人の男性。
会話をする中で、「ぼく」はそのときそのときにぴったりの詩を「きみ」に紹介する。
「ぼく」が小さな「きみ」に向ける目線、かけることばのあたたかさは、切ないくらいだ。
やがて、二人の関係が読者にも明らかになる。
名前のつかないつながりのなかで、
そこに確かにある「ぼく」から「きみ」への慈しみが、
宝石のように輝いてまぶしい。
「うしろで何か」松井啓子
『句集 無伴奏』岡田幸生
このあたりが気になって、もっと読みたいと思った。
詩というものは、贈り物になりえるのだ、と思った。
ことばにできない思いをことばにしようとして、共有しようとして、
ことばにならないまま、言い換えがきかないまま、
その形以外になれないまま差しだされ、受けとられ、伝わっていくもの……
(高校生の茶ぶどうによる詩をそっと提出↓)
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