【エッセイ】あなたがもうダメだ、と思った時に読む話 ~大江健三郎が21世紀の若者に最も伝えたかったこと~
いきなりですが、人はたまに「もうダメだ」となります。悩みがあって、それをどうにかしたくても、どうにもならなくて、気力だけが奪われていく、そんな状態ですね。
今の自分ではどうにもならない問題に直面した時、人間は想像以上に弱いものです。自分にも、経験があります。大学を卒業し、社会に出たばかりのころ、仕事もプライベートもズタボロの時期がありました。繰り返される色のない毎日に絶望していて、とにかく、心の支えを探していました。
そんな時に出会ったのが、大江健三郎のエッセイ『「自分の木」の下で』でした。
彼が障がいを持った子どもを授かった人間である、ということは知っていて、おそらくその時の自分は、今の自分よりつらい経験をした人の言葉を欲しがっていたのだと思います。いや、「欲しがっていた」ではぬるいですね、「すがろうとしていた」のだと思います。なかば吸い込まれるようにして、書店に並ぶ彼の本に出会いました。
彼の言葉は私の一番深いところに届きます。嘘がない本当の言葉を求めるとき(そんなときはだいたい人生に迷っているものです)、私は今でも真っ先に大江健三郎へ寄りかかろうとします。
さて、今日は、悩める人へ向けて、そんな彼のエッセンスを1つ紹介したいと思います。
とりかえしのつかないことさえ、しなければ
大江は言います。
“とりかえしのつかないこと”さえしなければ、人生何とかなる、と。それだけを避ければ、大丈夫だから、と。
”とりかえしのつかないもの”、とは、一度壊れると絶対に元に戻せないもの、です。つまり、いのちです。そして、”とりかえしのつかないこと”とは、自殺か殺人です。
(余談ですが、養老孟子氏も『死の壁』のなかで、いのちの定義を「壊れると絶対に元に戻せないもの」としていたように思います。なんだか通じるものがあるのかなぁ)
人は抱えきれない悩み、あるいは、消えそうもない悩みと対峙し続けると、いずれ気力が底をつきます。そうなると、“とりかえしのつかないこと”への耐性がぐっと減ります。
大げさでなく、生命の危険にさらされるわけです。そんな時、どう問題と向き合って、どう生き延びればよいのでしょう。
問題はAと置け
「とりかえしのつかないことをしそうになったら、しばらくの間待つ力を発揮しなさい」
生きる上でこれだけ覚えておけば大丈夫!の魔法の言葉かもしれません。もう一度。
「とりかえしのつかないことをしそうになったら、しばらくの間待つ力を発揮しなさい」
ここでいうとりかえしのつかないこと、とは、生命にかかわること、すなわち自殺と殺人なのでした。その衝動に駆られたとき、しばらく待つ力を出せ、というのです。とにかく待つことで視界が良くなる、と彼は言います。解決しようとしなくていい、覚悟を決めようとしなくていい、真正面から苦しいことを受け止めなくてもいい、と。
どういうことか。ちょっと例え話を出してみることにします。
因数分解って覚えていますか?たくさんの文字式を一番簡単な整理された形に変形する数的処理です。そのテクニックの一つに「置き換え」があります。複雑な多項式、例えば、(x+y-z)をAと置く、みたいなことです。そうやってややこしいことは脇へ放置します。次にその部分以外の計算を進めます。そうすると、2つ目の(x+y-z)が現れて約分できたり、他の公式に当てはめたりできるようになります。こうして、ややこしさの元凶には触らずとも、それ以外の部分が変形することによって、全体としてうまくいきます。
私は、大江の言う「しばらくの間待つ力を発揮しなさい」というのは、この「置き換え」の論法なんじゃないかと思います。
「置き換え」というプロセスは、一部の複雑性や問題性を一旦脇へ置いておき、その他の自分が影響を与えられる領域へと注力することです。元凶を直接的に解決しなくても、自分が動かせるところを動かすことで、周りの環境が変化していきます。そうすると、やっかいな問題の質、あり方・見え方も、環境に引っ張られて変化していくのではないでしょうか。なぜなら、問題というのは特定の状況や環境に紐づいてこそ、存在するものだからです。
しかし、もしかすると、こんな意見もあるかもしれません。因数分解で多項式をAと置き換えても、上手くいかないことがあるじゃないか(実際ありますね)。数学でも有効でないときがあるなら、数学よりもっと難しい人生では、なおさら効果がないのではないか、と。
そう思うのも、ごもっともです。確かに因数分解よりも人生の方が複雑で、多くの場合困難です。しかし、この作法においては、実は因数分解より人生においての方が有効かもしれないんです。
複雑性・問題性をAとおいて、"他の領域”を変形させていく、のが「置き換え」と「しばらく待つ」の当面の目的なのでした。今、懸念しているのは、他の領域が何も計算できなかったら(変形できなかったら)ということですが、実はこれは人生には起きえないんです。
それは、数学の文字式の場合とは異なり、人生の場合、”他の領域”には、あなた自身も含まれるからです。
元凶の問題をしばらく放っておこうと決めた瞬間、また、それに代えてその他のことに目を向けよう、と決めた瞬間、あなたには確実に変化が起こっています。それらの意思は、とりもなおさず、苦しんでいた自分に吹く新しい風です。成長と言ってしまってよいかもしれません。
とにかく次のことを覚えておいてください。
”とりかえしのつかないこと”が頭をよぎったら、まず、苦しみの元凶から離れて時間を置くことが必要です。その時、その元凶を放っておくことは、解決の放棄ではありません。むしろ、正しい解決作業そのものなんです。
数学の場合、そうはいきません。多項式をAと置いても、そのほかの部分の文字が変わるわけではないです。こう考えると、数学よりも人生の方が易しい場合もあるのかもしれませんね。
しばらく待つ力、とは、言い換えれば、自らが成長する間なんとか問題から自己を守り、自分の生命や尊厳をつなぎ止める力だと言えそうです。
今後、頭の片隅に今日の大江の言葉をちょこっと忍ばせておいてもらえたら、非常に嬉しいです。