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か弱い存在でいたくない人へ
一度きりの生で何を手に入れたいか
僕が発達障害と重篤なうつ状態の根本治療に手を出したのは30代半ばでした。
いい歳こいたオッサンがか弱い人間でいることは許されないと気づくのに時間がかかりすぎました。
人生4割くらい終わっちゃってるので一刻の猶予も残されていませんでした。
そりゃ現代日本にはさまざまな形での「シェルター」が存在します。
障害者雇用枠、自助グループ、ネットのコミュニティ...
そこから生涯出なければ文化的な最低限の精神生活は保障されるかもしれません。
アメリカの黒人ゲットーとはやはり違います。
でもそこにいて何が手に入るのか考え、自分の人生の理想像と比較した時、まったく興味が湧きませんでした。
考え方は人によって様々で、何が良い悪いなんてないと思います。
ただ僕はお金が欲しい、他人の尊敬を得たい、自分の選んだ異性の愛情を得たい、そんな俗欲の強い育ち方をしました。
自分の存在を他人に証し立てたい欲望は誰にでもあると思います。
どこまでで満足・妥協できるかは本当にその人次第です。
不幸な人とは現状と理想が離れすぎてる人で、現状を何一つ我慢できなかった自分は、見方によってはきわめて「弱い」人間かもしれません。
おまけに大して若くもありませんでした。
が、ひとすじの希望は、人間は現在が上手くいっていれば辛かった過去も大して気にならないこと。
そして「あの不幸があったからこそ今の自分がある」と、偉そうに心の底から言えてしまうのです。
この世も捨てたものではありませんね。
怒りを忘れないで
発達障害や精神疾患の根本治療について僕に相談を持ちかける人は、少なからずワガママな人達です。
我が強くて「なんで自分がこんな目に!」という怒りの気持ちを持っている人です。
そういうタイプは途中で折れません。
そんな人たちの相談を聞いてても昔の自分を思い出すことが多いです。
我が強い人間はいい意味でも悪い意味でも周囲に影響を与えます。
でも思うのですが、周りをまったく振り回さない人間って、存在しないのと同じじゃないですか?
その更に先にある他者の尊敬など、勝ち取れるはずもありません。
誰かに認識されたい、自分はここにいるぞと認められたい、そして自分のコミュニティの外に出ても胸を張っていられる人でありたい。
健康で幸せそうな人なんて電車に乗って街に出るだけで山ほど目にします。
そういう人たちと何かで繋がっても、自分は自分だと胸を張って時間を共にしたい、そう言う気持ちはあなたの中から本当に消えてしまったのでしょうか?
誰のせいであっても同じ
精神症状の話で、自責・他責思考の是非がよく話題に上がります。
自責も他責も行き過ぎると、物の捉え方が周囲と大きく乖離しトラブルの元になるからです。
(心理学における「認知の歪み」については ↓ )
ただそんなことより重要なのは、誰のせいでも現状は変わらないということです。
ネットには障害者の賃金や社会保障の薄さから「日本は終わってる」と嘆く声があふれ大量の共感を得ていますが、
「自分の不幸が社会制度のせいならそれでオーケーなの?」
といつも思います。
今ここにいる自分の現実を直視できれば、誰のせいにしようと現状は変わらないことに気がつくはずです。
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誰のせいかは脇に置いて冷静に現実に対処してください。
ライフハックや適職につくことで何とかなる人はそれに越したことはないですが、当時の自分の脳機能低下はちょっと度が過ぎていました。
治療できますよ。
適切な判断と試行錯誤を重ねれば。
そのための地図としてマガジン「健常者になろう!」を書いていますので、か弱い存在でいるのが憤ろしい人は脳機能の低下や精神症状をなるはやで人生からどけてください。
そして「あの頃の自分があったから今の自分がある」と言って多くの人から妬まれるのを期待しています。
以上です。
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