落合陽一的な世界を迎えるための教育③ 2017年の佐藤ツヨシな思考
なんとなく、3年前の自分を振り返る今日この頃、
いい感じの雨降りに、嫌なはずの雨降りでしたが、少し上機嫌です。
では、今日も、はじまりはじまり。
落合陽一的な世界を迎えるにあたってどのような教育ができるのだろうかと考えている最近ですが、今日僕が感じたことについてつらつらと書いていこうと思います。
落合陽一さんの作品「Fairy Lights in Femtosecond」を見て感じた「空中に浮かぶ光のメモボード」=「空中に浮かぶ光の黒板」がほしい、という僕の思いはなかなかすぐには叶えられないかもしれませんが、昨今の教育の中で言われているICT教育という中にヒントがあるのではないでしょうか。
勤務校ではICT教育化の波に乗る形で教員にiPadが配布されています。
そしてアクティブラーニングやICT教育を進めようという動きができています。
ICT教育やアクティブラーニングといった新しい言葉を聞いて、今までの教育を全て変えて新しい何かを始めなければと意気込んでいる先生方もいますし、
またそれに進むことができずにオールドパラダイムの教育をかたくなに推し進めようという考えの先生方もいます。
iPadを用いてICT教育を行うということは本当に違うことを行うことなのでしょうか。
僕は未だに紙とペンのザラザラとした感触は好きですし黒板とチョークの感じも大好きです。
紙とペンや黒板とチョーク僕はこの組み合わせの延長線上がiPadであって新しい何か魔法の機械という風に感じたことはありません。
iPadを用いることによって旧来の黒板に縛られた授業から物理平面を克服した新たな場を獲得した教育というのが展開出来るのではないかとワクワクしています。
いまだに黒板とチョークを用いる授業がメインになっていますが本格運用が始まりアイディアが固まってきたらiPadを用いて物理平面を克服した、情報の量と質のレベルアップした授業が出来るのではないかというふうに考えています
まだまだ「教える」という中で物理的平面の限界が問題となる場面が多いわけです。
そこにiPadが加わるだけで物理平面というのは理論上無限大に増えていきます。
もちろんサイズやデータの受け渡しに関して問題がないわけではありませんが黒板で書いていたものをiPad上で行うというだけで僕は自由に教室内を動き回ることができるわけです。
生徒たちも手元にタブレットがあれば僕の板書を手元で確認することができます。
またそれに情報を付け加えて僕に直接質問することもできますし、あなたの提案することができます。
また生徒間での意見交換やお知り合いといったこともタブレット上でいつでもできるわけです。
また生徒は教員が話している内容について疑問を覚えた時に質問することももちろんできますし、その場で検索をすることもできます。
また自分の考えに似た考えがないかすぐ検索することもできますし自分の考えの妥当性というのを確認することができます。
また情報はデータとして扱われることになるので、ものすごくコンパクトに手元においてことができます。
生徒はスマートフォンやタブレットなどのデバイスがあれば、
クラウド上で同じデータを編集することができるので、
スマートフォン片手に宿題を行ったり、
スマートフォン片手に宿題を提出したり、
またスマートフォンを用いて調べ学習をしながら、グループワークをすることもできるはずです。
たった1枚のタブレットで魔法のようなことはできませんがそれに近しいことができるはずです。
この授業というのは何も新しい取り組みではありません。
今まで紙とペン黒板とチョークで行っていたことの延長線上がただ単にiPad上で行われているというただそれだけのことなのです。
ただこれだけでも授業のスピードや密度というのは高まってきますので、生徒個々の興味関心に応じた授業の展開が容易になってきます。
その中で教員は生徒それぞれにアドバイスを送り、調整を図り、興味関心から出た直感を学問的に正しい方向へ導くことができます。
これから先、魔法の世紀を迎えるにあたって、
今使える魔法を最大限に活かした教育、これを展開する時期が到来しています。
僕自身に魔法は使えなくても魔法の世紀を迎える生徒を育てることができます。
魔法を使える生徒たちを育てることができるのではないか
その可能性を感じた今日なのでした。