ハローワークに行くのは、人生振り出しに戻った気分だったけれど
どうしてこんなことで涙が出てしまうのだろう。
ばたばたと準備を始める。社会保険喪失証明書、年金手帳、マイナンバー、運転免許証。離職票はやっぱり届かなかった。あと印鑑は、いらないか。でもとりあえず持っていこう。他にも———
わからないけれど心配だからと思い、私はいつも鞄をパンパンにしていた。人差し指一本で持てそうな小型の鞄だけを持ち歩いている人を見かけると、たくましいな、うつくしいなと思ってしまう。私の場合、あらゆる心配事が止まってくれない。
家から、急ぎ足で出かける。別に何も急ぐことはないのに。
道中、脇から汗がつうっと流れる。心が波打ち騒ぎ、落ち着かない。健やかな夫婦や、子どもたちが私を横切っていく。それは未来が駆けていくように見えた。街だけは明るい。自分の心の居処が狭くなっていく。
なんとか歩を進め、心を進め、到着した。
自動ドアが開く。
足を一歩踏み入れただけで、心臓が激しく波打つ。視界には漢字がたくさん並んでいた。職業訓練、障害、雇用保険、失業保険。ここに書いてある文字、あらゆるものが怖い。自分のざらざらとした心の肌を、針で刺されているような気分だ。それも全部、"いい記憶がひとつもない"せいでもあった。
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10年ほど前も、私は同じように手続きをしに来ていた。
新卒で入った会社を、うつ病とパニック障害で退職した。次の職場の目処も全く立っていなかった私は、失業保険を受け取るためにハローワークに向かっていた。
施設内に入ると、そこはどんよりと暗かった。職員の方も、来ている方々も、皆うつむいていた。私はつられるようにして声が小さくなる。「失業保険を申請したくて…」と、総合受付の人に尋ねてみた。
「はい!?!」
受付の方は、いきなり機嫌の悪そうな剣幕。思わず私は、たじろいでしまった。怯えるようにしてもう一度、「失業保険を申請したくて」と声をなんとか張る。うまく声が出てくれない。いつの間に私はこんな虚弱になってしまったのだろう。
「ああはいはいじゃあこれとこれ書いてこれ持って○番のところに行ってください」
早すぎて聞き取れない。私が単に元々混乱していただけかもしれない。なんとか「もう一度お願いします」と私は胸を曲げ、目を必死に、申し訳なさそうな形にする。
「だから!これを書いて、ここに行ってください!」
どうしてこんなにも怒っているのだろう。私が何かしてしまったのだろうか。辞めた前職でも、ずっと怒っている上司がいた。先輩がいた。後輩がいた。私には理解ができなかった。いろいろなストレスを溜め込んだり、責任が大きいと、人はそのような姿に自然と変化するのだろうか。気弱で、職場でヘコヘコし続けて、心病んでしまっただけの私が、そんな相手の態度に文句など言えるはずなかった。言う必要もなかっただろう。
私は記入台で、必要項目を埋めていく。
もう一度私はやれるだろうか。ここからどうしていこうか。不安ばかりで胸の中が痛む。汗も止まらなかった。するとそんな時、どこからか声が聞こえてきた。
「何度言ったらわかっていただけますか!?」
「仕事ってそんな簡単なものじゃないんですよ!」
「この書類が無いと手続きできないんです!わかります!?」
職員の方が、窓口で声を尖らせていた。なんだこの環境は。受付の人も怖かったが、窓口でもそうなのか。荒れ狂い、これが正常とでも言わんばかりではないか。"ハロー"ワークとは、よく言ったものである。笑顔の人は、誰ひとりいない。
それもそうか。
仕事を辞めた人たちがほとんどなのだ。明るいはずがないか。皆必死だ。ぼんやりしているだけでは、人はのたれ死んでしまう。職探しするなり、再就職するなり、失業保険を受け取るなり、自分で動かなけば生き延びれない。ハローワークはそれに協力してくれている。私が何も言えることはなかった。
私は記入を終え、番号札を取る。
しばらくして番号が呼ばれ、私は窓口の方に恐る恐る記入した用紙を渡す。
「離職票あります?あと身分証」
この方も無愛想だ。私は早く逃げ出してしまいたかった。だけれど、ここで手続きができなければ失業保険が受け取れない。すがりつくような自分が情けなくて、苦しくて、悔しかった。真面目に頑張ってきたのに、私はどうしてこんなにも弱くなってしまったのだろう。唇が歪み、心臓がねじれるような苦痛だった。
「希望職種どうします?」
そんな私を気にかけることなど当然なく、どんどんと質問が飛んでくる。私は言葉に詰まってしまった。えっと、と言ったところでまた飛んでくる。
「そんなんじゃ仕事決まりませんよ?」
こんなにも嘲笑う表情を、人はできるのだなと思った。映画やドラマの世界に私は迷い込んでしまったのだろうか。台本通りかのように、私は目を滲ませてしまった。
私は手続きを終えたが、最終的に失業保険を受け取ることはなかった。再就職をすぐに果たした。ただそこで私にこびり付いたハローワークへの印象は根深く、もう二度とここへは来たくない。そう思っていた。
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この場所は初めてだった。
現在の私は10年前に住んでいた場所から引っ越し、新たな場所で生活をしている。自ずと向かうハローワークの場所も変わった。これから入る場所は、私にとって新鮮さを帯びていた。とはいえ、こびりついた痛みは同じもので、一歩踏み入れただけで、トラウマが走馬灯のようにかけ巡りだす。そんな中、目の前の人が口をゆっくりと開く。
「こんにちは〜」
自動ドアを抜け、総合受付の方がいた。私はある種、癖のようにして足が一度止まってしまったが、予想外の健やかさを前に私は動揺した。ただその私の様子を、いい意味で気にかけることなく受付の方は私に話しかけ続ける。
「本日はどのようなご用件ですか?」
—— 笑顔だった。
信じられなかった。また恐ろしい態度を取られて、私が私でいることを否定され、それでも情けなく失業保険をいただくために挑まなければならないと思っていたのに。
心の中で私は頬をつねる。どうやらこれは夢ではないようだった。
「失業保険を申請したいのですが」
しっかりと、ハキハキと私は喋る。最初から私はできていたのだ。失業保険を受け取る。別にみんなやっている。私は何も間違っていないはずだ。
「ではまずは、こちらを記入していただいて、そうしましたら、今度は○番の窓口に行ってください」
ゆっくり、とても優しい口調だった。私はたったそれだけのことで安堵して膝から崩れ落ちてしまいそうだった。
感動を携えながら、私は記入台へ向かう。
「ああ。また書いている」
心の中で、そう思ってしまった。毎度仕事を辞めると行く場所。ハローワークは私の中でそんな場所としてできあがっていた。だが今度こそ、私は私として生きていけるように退職を決めたはずだ。
失業保険は、失業時の生活や再就職を支えてくれる制度。「働かずに金を受け取るなんてさ」「病んだやつは楽でいいよな」と、昔よく上司に言われた。それも含めてハローワークに行くのは苦しかった。それでも私は、すがってしまったのだ。だけれど今回は違う。
すがってなどいない。ありがたく受け取り、私がたくましくまた前進するために使う。そういう心意気だ。それは「すがる」とは意味が乖離しているだろう。何も恥ずかしくない。何も情けなくない。
悔しいことはたくさんある。もっと頑張れたんじゃないか、もっと他の方法があったんじゃないかと振り返ることがゼロになったかと聞かれたら、そんなことはない。だけれど、それも薄めていくのだ。私の「気概」は段々と上を向いていく。
記入が終わり、番号札を取る。
待っているだけで足が震えた。その自分の震えを見て、また情けなくなりそうだった。それでも手を強く握り、こらえていた。
今まで、どれほど進んだり、積み上げたりしてもこの場所に来ると、「全部無駄だった」と思ってしまっていた。振り出しに戻った気分だった。だけれど、私の10年が、無駄になるはずないだろう。苦しくて、どれほど苦味に耐えてきたと思っている。
「○番の番号札の方——」
私の番号が呼ばれた。
窓口の方の目を、しっかりと見た。大丈夫。私はやれる。そう心の中で唱えていた。
失業保険を受給したいこと。離職票を受け取れていないけれど、仮で手続きが可能かなど、しっかりと事前にまとめてきたことをひとつずつ相談した。ここに来るのは初めてではない。つまり、何も「無駄」だったはずがないだろう。
窓口の人も、笑顔だった。
「これはこう書けば大丈夫です」
「この制度を使えば給付できますよ」
「時期をこっちにずらすといいかもしれません」
たくさんアドバイスをいただけた。説明を受けて、わからないことがあればきちんと質問した。私が胸を張っていれば、それに応えるかのように、窓口の方は親身になって教えてくれた。
雇用保険料だって、今まで沢山納めてきた。私もやることやってきたんだ。思えば最初から、私は情けないことなどひとつもなかった。だから、そういうことを考えるだけで、目から溢れてしまいそうだった。
「これで以上ですね。お疲れさまでした」
色々な手続きを済ませ、私は窓口の方に深くお礼を伝えた。本当は昔、ハローワークでの苦い記憶があること。この場所に来るだけで汗が止まらなかったこと。そんな場所のはずだったのに、あなたが優しかったこと。救われたこと。それら全てを伝えたかった。口には出さず、私はその気持ちが伝わるよう相手の目をしっかりと見て、朗らかに祈った。
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家に帰り、妻に報告した。
「ハローワークの人、すごく優しかったよ」
色々教えてくれた。聞いたことをきちんとメモした。今度、失業保険の説明会に行ってくる。そう妻に話せることがとても嬉しかった。
妻にはよく心配をかけているだろう。私がよく涙を流してしまうこと。働き方に悩んでいること。自分の思うように成果が出ず、私自身の焦りが伝わっていること。だから余計に、「私は大丈夫だよ」と伝えるかのようにして言葉を溢していた。するとそんな私を見て妻は言う。
「あなたが優しいから、周りが優しいのよ」
そのたった一言で、私のこらえていたものが決壊した。ありがとう。涙がとめどなく零れる。それは今までの苦労の記憶と、不甲斐なさ、自分らしさの肯定と、今ある幸せの享受と、あらゆるもので飽和した。単純に嬉しいなどという言葉では片付かないほど心がぐちゃぐちゃで、それでいてただ艶を放ち、麗しかった。
そうだ。私が優しくいられれば、相手も応えてくれる。そう思うことこそが前進だった。自分が優しかったとて、相手に刃を向けられることもあるだろう。それでも優しく生き続けるのだ。それが相手のためでもあり、自分のためにもなる。ハローワークは、たまたまそれをよく映してくれた。
私は弱いだろう。弱い夫だろう。でもそれは間違っていた。私は強いではないか。私は10年前とどれほど変わったと思っているのだ。やってきたこと、乗り越えてきたこと、たんまりとあるだろう。誰と比べていたんだ私は。本当に比べるべきは自分自身とだろう。昔の私より、今の私はうんと強い。
ハローワークに行ってよかった。
またこうしてnoteを書いていて、涙が止まらなくなってしまった。ただこうして涙を流せる自分を、今は誇らしく思っている。