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学校と教員は、車と運転手のようなもの!?~学校のシステムを乗りこなすのは教員~

1.時代の変化と様々なシステム

 
 戦後以来数十年の時を経て、変化の激しい時代であることが再び学習指導要領に明記されて早数年、学校現場の変化も大きいものとなってきました。

 世の中はAIの台頭、日本で言えば人口減少や価値観の多様化がより顕著になり、それに伴ってか、様々な学校内の仕組みや教育方法がしばしば注目されてきています。

 学校単位の枠組みで言えば、学校再編やカリキュラム・マネジメント。特に人口減少に伴う学校再編の流れは全国的で、義務教育学校や施設一体型小中一貫校となり、学校は一町村に一つだけ、というところも珍しくない現代となりました。

 カリキュラムのレベルで言えば、総合的な学習の時間を中心に、地域に根差した学習や教科を横断した学びが浸透する地域も散見されます。

 教員の体制で言えば、チーム担任制や小学校での教科担任制も少しずつ広がりを見せています。

 授業レベルで見れば、GIGAスクール構想による一人一台端末の浸透はもちろん、自己調整学習が注目されたり、単元内自由進度学習やけテぶれといった考え方や手法に取り組んでいたり、という発信も見られます。

 これらは、おおまかにざっくりと見れば「学校のシステム」と言えますが、多様性の時代、この学校のシステムも、多様な価値観の中、多種多様になってきています。

2.学校のシステムを車に置き換えてみる

 そんな多種多様になってきている学校のシステムと、働き方はブラックと呼ばれ、志望者は減っていると報道されることもしばしばの教員を、車と免許状に置き換えてみます

 まず、学校のシステムを車に置き換えてみます。
従来はセダン型の車が多く、何となく色や形が違っていても、基本的な構造は同じでした。また、車の中身も基本的には、乗って移動することを目的としたシンプルなものでした。

 そこから、ステーションワゴンやミニバンといった形体のものが生まれ、エアコンやカーナビが付き、最近ではスマホと連動するアプリケーションも珍しくなくなりました。また、ハイブリッド車や電気自動車などの構造をした車もできました。
 もう少しすれば、自動運転も一般的になるかもしれません。

 つまり、多種多様なシステムが搭載されるようになってきたり、そもそも車が走る仕組みが変わってきたりしている、と考えることができます。

 学校のシステムと似ていますね。

3.教員を運転手に置き換えてみる

 
 そうなると、運転手にとってはどうでしょう。
 
 多くの車の変化は、運転手を助けるものかもしれません。時代の変化とともに、便利で、快適な装備が多数できています。
 
 ただ、その分、中は複雑になってきます。

 運転席にはたくさんのスイッチやレバーが付いています。得意な人は、それらを使いこなして、快適なドライブをするでしょう。渋滞の中、高速道路でも、入り組んだ道でも、自身は運転をしながら、同乗者にも気を使った操作もさらっとするのかもしれません。

 一方、それほど得意ではない運転手ならどうでしょう。免許は持っているので、基本的な操作はもちろんできますが、快適なはずの数々の装置を使いこなすことは難しいかもしれません。
「このボタン何だろう?」
といったことがあるかもしれません。

 また、大きなミニバンやステーションワゴンだと、狭い道が多い、人通りが多い地域では、運転そのものを嫌がる人もいるかもしれません。

 他にも、実は多様化することによって、修理や不具合への対応も難しくなるでしょう。ちょっと車が故障した時、つくりがシンプルであればどこの調子が悪いか検討がつきやすいですが、複雑であれば、運転手自身ではメンテナンスは難しいかもしれません。ハイブリッドカーのような複合的な仕組みだと、もうお手上げなように思います。義務教育学校や小中一貫教育は、言ってみればハイブリッドのようなかたちでしょうか。

 車であれば修理スタッフと運転手は別の人ですが、残念ながら多くの場合、学校のシステムのメンテナンスと運営は、同じ教員がしていることが多いです。得意でも不得意でも、教員がメンテナンスから運転までこなさなければなりません。

 加えて、自動運転が普及した場合、ドライバーの責任の是非について議論がされていますが、これももしかしたら学校のシステムにも言えるかもしれません。

 何人かの優秀な教員によって、大変素晴らしい学校のシステムができたとしましょう。もしかしたら、全国的にもニュースになったり、視察者が増えたり、書籍や雑誌に掲載されたりするかもしれません。

 しかし、時が経ち、そのシステムをつくった教員たちは異動したり退職したりして、その学校からいなくなりました。同時に、素晴らしかった学校のシステムにも、少しずつ不具合が出てきました。世の中が少しずつ変わるなら、ずっと完璧なシステムなどあり得ません。そのため、メンテナンスが必要になりました…が、つくった本人たちはもういないため、どこをどうメンテナンスして良いかさっぱりわかりません。

 そうなると、このシステム自体を批判する人が出てきます。わかりにくい、複雑すぎる、前の方がシンプルで良かった、そうだ前に戻そう…となり、便利で効果的だった学校のシステムが、従来のそれほど便利でないものに戻ってしまいました…といった例は、実際にしばしば見聞きされるのではないでしょうか。

4.どんな学校システムも教員が乗りこなせるかどうか


 学校のシステムと教員を、車と運転手に置き換えてみました。

 つまり、「どんな学校のシステムも、教員が乗りこなせるかどうか」ではないでしょうか。

 よく「これからの時代は●●だ」「〇〇をすれば伸びるから、取り入れましょう」と、特定の学校のシステムの是非について語られることがありますが、扱うのは教員です。その学校の教員の個性や力量を無視してこれらの価値を語ることは、やや乱暴にも思います。どのような教員が、どのような学校のシステムに乗っているのか、他者が評価や参考にする際は、前者と後者を両方踏まえる必要があるでしょう。

 また、便利でより良い学校のシステムを取り入れ、乗りこなせるのであれば、もちろんそれに越したことはありません。進歩し続ける世の中、学校も、少しずつでも変わり続ける必要があります。

 ただ…優秀とされる一部の教員しか乗りこなせない学校のシステムでは、多くの教員は乗りこなせず、たくさんの便利な機能が生きなかったり、不具合に対応できなかったりします。

 教員は免許をもっており、多くの場合、いわゆる指導力にはそれほど問題ありません。多少のバージョンアップやモデルチェンジには、少しくらい時間はかかっても、適応していくことが多いかと思います。(ただ、時間や労力はかかるため、その分をどこで生み出すかは必須です)
 そのため、教員が努力しても乗りこなせない学校のシステムは、残念ながらあまり効果的ではないかもしれません。

 一方で、全く変化しない学校システムも考えものです。
 これまで、変化する環境に適応できなかった生物種は絶滅してきた訳ですが、変化しないということは、滅びる道に進んでいる可能性をもっている、ということを忘れてはいけません。

 「どんな学校のシステムも、教員が乗りこなせるかどうか」
 このことを念頭に、様々な学校のシステムについて考えていきたいと感じている今日この頃です。

最後までお読みいただき、ありがとうございました☆


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