われわれは、未来の世代に対する責任を果たしているか?(「2040年の日本」より)
少し批判的な表現が入ってしまうかもしれないですが、著者の思いの込められた表現を引用する上で失礼の無いようにしたい、そして自身への戒めも込めてという意図であると、ご理解いただければありがたいです。
今回は、野口悠紀雄「2040年の日本」 (幻冬舎新書 2023)で印象的な部分を引用し、少し思いの丈を述べます。
1 書籍&著者紹介
今回、引用させていただくのはこちらの書籍です。
https://www.amazon.co.jp/dp/4344986830
書籍紹介
今回、こちらの内容について詳細な紹介はしませんが、主に著者の専門分野である経済に着眼して、各章で量的、統計的データを元に論じられています。
おしなべてみると、総じて日本の窮状が述べられています。
著者紹介
経済の専門家ですね。今年で83歳になられる方です。
2 われわれは、未来の世代に対する責任を果たしているか?
タイトルの内容は、書籍の最後に登場します。
一応ですが、著者の日本人観や日本の再建像に全て同意する訳ではありません。ただ、この本で述べられている日本の未来予測は、自分は専門家ではないのでその是非がどの程度かは判断しかねますが、少なくともかなりの根拠をもって論じられていることは分かります。
そのような優れた知見をもった人生の先輩が、著作の末筆にこのように述べられていることに、大きな敬意を抱きました。
3 年功序列で「上」になった方々に思う
なぜ、自分にとって、上記の引用が印象的だったのでしょうか。
今後の日本について、見方や方法には議論の余地があるかと思いますが、年長者が自身の責任に向き合って、活字として表現されていることが、貴重だったからではないかと考えています。
現状の日本が、自分のいるコミュニティが苦しい状況にあるとしたら、どのくらいの人が、かつての自分がその責任の一端を担っていたと感じるでしょうか。
多くの人は、他人のせい、とりわけ政治や組織の「上位層」にいる人々の責任を論じるかと思います。
それは、昼間のカフェでも、夕方の飲み屋でも、地域コミュニティでも、あまり変わらないように感じます。
とりわけ、「最近の~」のフレーズに続くような言葉、暗に「自分たちの頃は良かった」という言葉は今でも耳にします。
大きな組織で出世するような方の一定数は、肌感覚ではありますが、まだまだその印象は拭えません。
その一方で
以前、自分が就職したての時、ベテラン女性が主任でしたが
とおっしゃっていたのがとても印象的でした。
真摯に仕事に向き合われている方だと感じたことを、今でも覚えています。
4 そして、自分たち現役世代に思う
そして現在の自分。アラフォー、いわばバリバリの現役世代です。
つまり、言ってみれば最も「何とかできる」世代とも言えます。
ただ、現状はどうでしょう。
他人のせいにしていないでしょうか。
「最近の~」と言っていないでしょうか。
そう聞かれると、実はあまり自信はありません。
口にはしないように心がけていますが、端々に出てしまっているのかもしれません。
何より、
「われわれは、未来の世代に対する責任を果たしているか?」
と聞かれると、
返事に窮してしまうように感じます。
自分一人にできることは、大したことはないかもしれません。
ただ、それでも何かはできる世代、ポジションにいます。
自分たちの世代が、それぞれの場所で、「未来の世代に対する責任」を少しでも果たそうとすれば
未来に少しでも「正の遺産」を残せるのかもしれません。
83歳を迎えられる著者から、そんなことを考えさせられました。
5 終わりに
いかがでしたか?
不快に思ってしまった同世代の方がいらっしゃったらスミマセン
思わず「noteに書こう」と思ってしまう表現でした。
著者に比べればまだまだ生きた年数は短いですが、日々を大事にしたいと感じました。
最後までお読みいただきありがとうございました。