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20240904 イラストエッセイ「読まずに死ねない本」0024 ソフォクレス「オイディプス王」

 オイディプスは、その知恵によってスフィンクスを退治し、テーベの王になりますが、ある時テーベに疫病が発生します。
 アポロンの神託によれば、「テーベの先王の殺人事件が未解決であることが原因」とのこと。
 オイディプスはその知恵により、殺人犯を追求するのですが、結局、犯人は自分だということを突き止めてしまう。しかも先王は自分の本当の父親であり、その妃を妻としているということは、自分の母親と結婚したということまで分かる。
 結局オイディプスは自らの目をえぐりだし、放浪の旅に出ます。

 ちなみに心理学の祖、フロイトはこの物語から「エディプスコンプレックス」という概念を提唱しました。

 「オイディプス王」はギリシア神話を題材にした、古代ギリシアの悲劇詩人、ソフォクレスによる戯曲です。
 オイディプスは推理小説の探偵さながらの謎解きで犯人を追い詰めてゆくのですが、観客はみなギリシア神話を知っていますから、彼が犯人と知っています。知らずに自らを追い詰めてゆく過程にサスペンスが生まれるのです。 
 最も賢いとうぬぼれるオイディプスが、実は最も無知であったという皮肉。
 現代の読者が読んでも、手に汗を握る展開です。

 ぼくが大学時代に師事した西洋古典学の研究者、川島重成先生は、ギリシア悲劇は「人間讃歌」だと教えてくれました。
 ギリシア悲劇は、人間が滅びる物語です。並外れた能力を持つ人間が、結局は人間の分際を乗り越えて神々の領域に足を踏み込み、滅ぼされるんです。
 オイディプス王の場合は、知におぼれた主人公が、神々の目から見れば無知であったというお話。
 人間はどれほど偉そうにしていても限界がある、ということです。
 こういうお話のどこが人間讃歌なのか?

 人間の最大の限界は「死」です。
 一方、神々は不死である。
 それでは神々はうらやましい存在であるかというと、違うんですね。というのも、神々は不死であるがゆえに、「命がけ」「懸命に生きる」ということがない。
 懸命に生きることがない人生には輝きがないのです。
 だから、たとえ滅びようとも、限界があろうとも、人間の生涯には輝かしい瞬間がある。それを描くのがギリシア悲劇です。人間の素晴らしさと限界はセットになっている。
 だから、ギリシア悲劇は人間讃歌だというのです。
 オイディプスの場合は、スフィンクスを倒すほどの知恵を持つ男が、全力で難題を解決します。
 誰にも 真似できないことです。
 

 悲惨があっても人生は素晴らしい、ではありません。
 悲惨があるからこそ、人生は素晴らしい。
 そういうことです。

 わたしたちは人生に困難や悲惨がないようにと願います。
 けれども実際は困難や悲惨のない人生などありません。
 それらすべてを含めて、人生を肯定する。
 ギリシア悲劇はそんなことを教えてくれるんです。

オイディプス王 古代ギリシアの壺絵より 模写


 

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