書評 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」 イラストエッセイ 「読まずに死ねない本」 019 20240729
宮沢賢治を童話だと思ったことはないんです。
もちろん子供も読めますけど、大人も楽しめる。
宮沢賢治は昔の一般的な日本文学全集には収録されていませんでした。文学とはみなされていなかったんですね。今は、ちゃんと収録されるようになりましたけれど。
いわゆる日本文学(純文学)の幅が狭かったんだと思います。
漫画は今、市民権を得ています。でも昭和の頃、手塚治虫、白土三平、水木しげる諸先生が活躍されていましたけど、漫画は子供が読むもの、ちゃんとした芸術ではないと思われていました。つげ義春さん自身も「自分の作品を、たかが漫画」と表現しています。
でも二十一世紀に入って、漫画は立派な芸術とみなされるようになりました。日本芸術院に漫画部門が設置されたのは、2022年のこと。つい最近です。でも、漫画はもう日本を代表する芸術形式だと誰しもが認めるようになったということです。
宮沢賢治が素晴らしい文学作品だとみなされるようになったのと、同じ流れに見えます。それまでは「たかが子供の読み物」と思われていたのです。
余談になりますけれど、司馬遼太郎さんや松本清張さんなんかも、大衆作家として、文学とはみなされていませんでした。でも、二人とも現在の純文学作家よりずっと「文学的」ですよね。
シェイクスピアを見ても分かるように(あと、歌舞伎や文楽もそう)、本当に素晴らしい作品は、純文学かエンタメかは無関係だと思います。むしろスタートはエンターテイメントで、本当に優れたものが芸術として残ると言っても良いかもしれません。
宮沢賢治の文学。現在一番近いのは、村上春樹さんだと思います。つまり、宮沢賢治を文学として受け入れるキャパが日本文学に生まれたということですね。もっとも、村上春樹さんを文学と認めないという人たちも少なからず存在しますけれど。日本文学には、カフカやホフマン、ポーのような、「幻想文学」とでも言うべきジャンルがなかったのです。(江戸川乱歩は未だに文学とはみなされていません。)
今昔物語や、雨月物語なんかの伝統はあるのですけどね。
宮沢賢治は全集を持っていて、折にふれて読み返す作家です。筑摩書店の全集は重いので、文庫、キンドルと何種類も持っています。笑
賢治は目に見えないものが見えているんです。自然の中に普遍的な世界、夢の世界(あちらの世界)への通路がごく普通に、どこにでもあることを教えてくれます。そしてそこから学ぶことによって現実が違う風に見えてくる。新しい生命が吹き込まれる。わたしたちの死んだような心が再生する。
夢のような世界が見えるなんて、なんかアブナイと思うかも知れません。でも、現実しか見えていない人の方がずっとアブナイ。
ユングは「あちらの世界」から学ぶことの重要性を指摘しました。同時に、こちらの世界に強力な基礎を持つ必要も。こちらの世界が不安定な人があちらの世界へ行くと、そのまま帰ってこられなくなっちゃうんです。あくまでもぼくたちが生きるのはこの現実です。
賢治にとって、こちらの世界の強力な基礎が、地質学のような科学的精神でした。このバランスが、とても良いのです。
村上春樹さんの小説の主人公たちが、夢見がちな風変わりな人ではなく、堅実なルーティンを持つ現実的な人々であることも同様です。
おすすめは、全集ではなく、新潮文庫です。
「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」「ポーラノの広場」「注文の多い料理店」
四冊で賢治の神髄に振れることができます。(詩集を入れると五冊)
話は違いますけど、電車の中や病院の待合室なんかで文庫本を読んでいる人、減りましたねー。たいがいぼく一人です。笑
スマホの中には「あちらの世界」の通路はありませんよー。笑