私の成長記録⑤虐待後遺症の発症Ⅰ
こんにちは!!
丘咲 つぐみです。
14回目の記事になります。
私が抱える病は、摂食障害と希少難病に留まりませんでした。
虐待の後遺症として、様々な精神疾患を発症していくこととなります。
複雑性PTSD
境界性人格障害
社会性不安障害
パニック障害
鬱病
恐らく、これらの疾患は、虐待サバイバー(虐待経験者)の多くが大きな問題として抱えています。
私の場合、これらの中でも特に、複雑性PTSDと社会性不安障害に苦しめられました。
複雑性PTSDの私
複雑性PTSDとは
児童虐待によって、複雑性PTSDを発症する確率は21%~55%です。
この割合は、大災害や事故によって発症する率よりも格段に高い数値です。例えば、阪神大震災による被災現場経験者による複雑性PTSDの発症率は、9.3%でした。
また、戦争現場を経験した兵士も複雑性PTSDを発症する確率が非常に高いと言われていますが、児童虐待経験者の脳は、兵士の脳と類似しているという研究結果もあります。
生きていれば、どんな人でも苦痛を経験したり、嫌な思いをします。そういうことがあった時、人に愚痴を言って聞いてもらったり、何か好きなことをして気分を紛らわせたり、もしかしたら、ただ単純に時間が流れるだけで嫌な気持ちが和らいだりと、事が起こる毎に克服する努力をして、人は乗り越えていくのではないでしょうか。
こうすることで、トラウマとはなりません。
しかし、通常の範囲を超えた極端なストレス(例えば、戦争、犯罪被害、虐待、交通事故、災害、など)を体験すると、「心」がそれらを受け入れられなくなってしまい、長期に渡って、「トラウマ」として心に残ってしまします。
これが、複雑性PTSD発症の始まりです。
複雑性PTSDを発症すると、どんなことが起こるのか
・ 日常的に強い恐怖感や戦慄を感じる
・ 侵入体験(トラウマ場面を急に思い出してしまうこと(「フラッシュバック」と言います。)更には、記憶が蘇るだけでなく、実際にその出来事を再び体験しているような感覚に陥り、状況が認識できなくなることもある。)
・ 回避(トラウマに遭遇した場所や場面に近付けない。トラウマを想起するような出来事を避ける)
・ 否定的な思考(罪悪感、疎外感、自分を過剰に責める、悪いことばかり考える)
・ 麻痺・無気力感(感情が死んでしまう、何も感じない、何もできない、意識が遠のく、人を受け入れられない)
・ 過覚醒(自律神経の内の交感神経が過剰に高くなることで、過呼吸、不安、不眠、動悸、頭痛、吐き気、悪夢を繰り返し見る、集中出来ないなどの症状が表れる。)
・ 感情のコントロールができない(ちょっとしたことに驚く、怒る、涙ぐむ、落ち着かない)
このような症状は、トラウマに遭遇した直後から起こることもあれば、数か月後、数年後、時には数十年後に突然起こる場合もあります。
だから、児童虐待被害時の場合、被害を受けている最中や直後にこれらの症状を発症することは余りなく、思春期に入った頃から症状が出始めたり、人によっては40歳、50歳近くになってから、という方もいらっしゃいます。
私に複雑性PTSDの症状が表れ出したのは、定かではありませんが、恐らく、17歳~19歳の頃だったと思います。「定かではない」というのは、この症状が緩やかに始まり、ジワリ、ジワリと私の生活を脅かすものとなっていったため、明確な「始まり」を思い出すこともできないのです。
例えば、
日常生活の特に何の変哲もない場面、お掃除をしているとき、愛犬と遊んでいるときに、ふっと虐待を受けているときの記憶が蘇って来て、恐怖に震え出します。この文字通り、実際に震えが止まらなくなり、掃除機を放り投げて、部屋のできるだけ隅っこに身体を追いやり、芋虫のように丸くなって頭を抱えて震え続けます。時には、恐怖で発狂したり、過呼吸になったり、嘔吐が止まらなくなることもあります。発作が治まる頃には、顔中が涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていて、掻きむしった髪の毛が散らばっていて、身体のあちこちに傷みが残っています。「発作の痕跡」とでもいうのでしょうか。
押し殺されてしまうのではと感じてしまうくらいの恐怖の中で、愛犬を力いっぱい抱きしめて、どうにか「ココ」に踏み止まろうと必死になっていたこともありました。
恐らく私は、この愛犬の存在が無かったら、ココに踏みとどまることは出来なかったと心から思います。
実際、自殺未遂も何度もしました。
また、「何の変哲もない場面」以外にも、虐待経験をした場面を想起するようなきっかけがあると、大変に取り乱します。
・ショートカットの女性を見る
・旧姓の表札を目にする
・大きな声の男の人
・ふるさとの所在する「県」に足を踏み入れる行為
こんなこと、日常生活のたくさんの場面に散りばめられてしまっているため回避することはなかなか難しいものがあります。特に「ショートカットの女性」なんて、街中に溢れていますが、目に入ってしまうと、動悸や過呼吸が始まり、街中であることなどお構いなしに倒れこんでしまう程の発作を起こしてしまいます。
ショートカットの女性、それは私にとって母親を想起させるアイテムでした。
だから、私は外に出るときは、下を見て、顔を隠して歩くようになりました。時期によっては、帽子を深々と被って、サングラスをして、変質者と思われても仕方ないくらいに挙動不審な姿で歩いていたこともあります。
こんな人を街中で見掛けたら、私だって少し距離を置かないと怖い、と感じてしまうでしょう。
その他にも、こんな症状は、もう日常の当たり前です。
・何をしていても、「自分が悪い」「自分が責められている」と感じる
・小さな失敗でいつまでの自分を過剰に責める
・どんなに親切な人でも「拒絶」してしまう
・身体の居場所が無くて落ち着かない
・小さな音や風に過剰に反応して驚く
・人の「目」が異常に気になり、外出はおろか、部屋中のあらゆる隙間という隙間にガムテープを張って人の「目」が入らないようにする
・すぐ泣く、怒る、体中が強張る
・何があっても感情が動かなくなる、
・自分は生きていてはダメな存在、人を不幸にする存在という強迫観念に憑りつかれる
だから、私は「生きたい」ということを一度も感じることができないまま、仕方なく、「死ねないから生きてる」というスタンスでいました。
目標は常に、「今日死ぬこと」
社会性不安障害の私
社会性不安障害とは
「社会恐怖」とも呼ばれ、日本では、「対人恐怖症」と言われていたこともあります。
人前で恥をかいたり、恥ずかしい思いをすることを極度に恐れ、そのような状況に強い不安、恐怖、苦しみを感じるようになります。
人前に出る、更には人と接点を持つだけで緊張し、わけもなく不安・恐怖してしまう症状から、その程度が大きくなると社会生活にも支障をもたらすようになっていきます。
私の場合、こんな症状が表れました。
・人から声を掛けられるだけで頭が真っ白となり「パニックになる」
・玄関先のインターホンが鳴るだけで恐怖を感じ「居留守」を使う他選択肢が無くなる
・電話に出ることができない
・電話を掛けることもできない
・メールやLINEの通知音に怯える
・メールやLINEを開くことに恐怖を感じ相当期間開くことすらできない
カウンセリング治療をして頂いていた臨床心理士の先生から、こんなことを言われたことがありました。
電話に出た後に、実際に怖いことは起こったの?
起こらないでしょ?
と。
確かに、実際に怖い出来事なんて起こっていません。
臨床心理士の先生としては、「怖いことなんて起こらない」ということを知る、体験することの繰り返しによって、克服していけるという趣旨でおっしゃってくれた言葉なのだろう、と今は理解しています。
しかし、この時の私には、そんな風に解釈をすることは出来ず、唯一理解を示してくれる存在だと信じている先生から、拒絶されている、理解されていない、と感じてしまい、絶望したまま帰宅し、その後、カウンセリング治療を暫くお休みすることとなってしまいました。
少し長くなってしまいましたので、この続きは、また次回にしたいと思います。
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