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私の成長記録⑦結婚と出産と離婚と

こんにちは!!
丘咲 つぐみです。

15回目の記事になります。

前回までの記事の中で、私の抱える様々な病気のことをお話してきました。
そんな中で、かつての「夫」となる人と出会い、男の子を授かることができました、25歳の時のことです。
しかし、この時、脊髄の希少難病はまだ発見される前であり、まともな治療も受けられないでいました。もちろん、虐待後遺症についても、全く克服などできていません(寧ろ、まだどんどん酷くなる一方の時期でした)。
そんな中での妊娠出産は、壮絶です。
若い女性が夢に描くような「幸せに包まれた妊婦生活」「生まれたばかりのかわいい赤ちゃんを抱っこできる幸せ」など、私にとっては、遠い世界のおとぎ話のようなことです。
妊娠4か月のころ、病院のベッドで、

もう、今すぐ殺して~

とベッドの策を握りしめながら、小さく、小さく叫んだことを思い出します。お腹の中にかわいい赤ちゃんがいるにもかかわらず、なんて酷い母親だと思われてしまっても仕方ないかも知れませんね。
なぜ「ベッドの策を握っていたのか」というと、脊髄疾患による激痛と、水腎症という病気による激痛に耐えていたからです。妊娠中ということで、使用できる薬にはとても制限があり、通常時以上に痛みに耐えた生活となっていました。脊髄疾患による痛みだけでも耐え難いものがあるにもかかわらず、水腎症にまで見舞われるなんて、私は、どれだけ神様に見放されているのか、と恨んだものです。
散々痛みに耐えた後、そのまま失神してしまうこともしばしばでした。

その後、妊娠8か月の時に、超未熟児として無事に男の子を出産することができました。

しかし、夫とは、子どもが1歳を迎えたころに離婚することとなります。
元の夫には、ただただこう言いたいです。

ごめんね

夫婦の離婚は、どちらか一方にのみ原因があるということはほとんどないのだと思います。
しかし、当時の私を受け止めてもらい、共に歩むことなど、きっとどんな方でも不可能だっただろうと思うほどに、私の状態は最悪でした。
身体はボロボロ、日々酷くなる虐待後遺症の症状にボロボロ、摂食障害に支配された生活にボロボロ。自分自身が「ココにいる」というだけで必死で、相手のことを考えられる余白などどこにもありませんでした。
私の人生に巻き込んでしまったことを、元の夫にはただただ謝りたいです。
また、たとえ短い時間であったとしても、こんな酷い状態の私と共に歩んでくれたこと、そして、可愛い息子を授けてくれたことに、頭が下がります。

ボロボロの状態のまま乳飲み子を抱えての生活がスタートしました。
どんなにボロボロの状態だろうと、子どもにはそんなこと関係ありません。

そんな頃でした。
脊髄障害の病名が判明し、すぐに手術が決定したのです。

入院生活は6カ月以上になりました。
子どもと離れ離れになった入院生活の中、今後の生活のことを考えると、とてつもない不安が押し寄せてきます。

私の責任で、父親と引き離してしまった
手術しても、どこまで生活が改善するか分からない
もしかしたら、生涯に渡って、歩行困難のままかも知れない、
もしかしたら、生涯に渡って、この激痛と戦い続けないとならないかも知れない
誇れるような学歴も資格も何もない
頼れる親も親戚もいない
働けないのだからお金もない

こんなにもいくつもの悪い条件が揃っていて、乳飲み子を抱えて生きていけるのだろうか。
考えれば、考えるほど不安で仕方がありません。

もしかしたら、それなら離婚せずに、元の夫にしがみついていれば良かったのでは、と思う方もいらっしゃるかも知れません。
しかし、「夫にしがみつく」よりも「離別」を選ぶということは、複雑性PTSDを発症している人にとっては、そんなに珍しいことではないそうです。
複雑性PTSDにより、極度に人を信用することができず、何があっても「私が悪い」と責めてしまう、どんな場所に居ても「安心」することができない、また、家庭や家族というものに過剰に反応したり、囚われたり、無意識の内に避ける、などということもあります。
私自身も、離別までの間に、「夫にしがみついていた方が楽なのではないか」と考えたことは一度もありませんでした。


手術後には、病室とリハビリ室の往復の毎日が始まりました。
まだまだ傷みが激しい中でのリハビリは、一言で「過酷」です。
そんな時、唯一ホッとできる場所が、病棟の中の面会スペースでした。
私と同じように、長期間に渡っての入院生活を送っている方々が賑やかに集まっています。どの方も、心の中ではきっと、それぞれの苦しさを抱えていたと思いますが、その空間には、いつも笑い声が溢れていました。
私は、皆の輪の中に入って行くことは思うようにできませんでしたが、それでも、その空間は居心地が良いと感じていました。だから、皆とおしゃべりしなくても、その空間の中に入り、いつも書棚から適当に本を取って眺めていました。

そんなある日、私は、ある雑誌を手にすることとなりました。
普段なら手にすることなんてないような雑誌。
きっと、もうほとんどの本を見てしまったから、仕方なく手に取った雑誌。

しかし、この雑誌によって、私の人生が一気に動き出すことになるのです。


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