見出し画像

【読書10】大杉栄 僕は精神が好きだ

僕は精神が好きだ。
しかしその精神が理論化されると大がいは厭いやになる。

私は精神(=有機的な思想)が好きだがセオリーやドグマとなると嫌になる事が多いです。

理論化という行程の間に、多くは社会的現実との調和、事大的妥協があるからだ。まやかしがあるからだ。

セオリーやドグマとなるとリアルとの折り合いがあったり羊頭狗肉となりやすいからだ。

精神そのままの思想はまれだ。精神そのままの行為はなおさらまれだ。生れたままの精神そのものすらまれだ。

ありのままの精神は思想にはほとんどならないし行動はさらにならない。
純粋な精神などほとんど持続できない。

この意味から僕は文壇諸君のぼんやりした民本主義や人道主義が好きだ。少なくとも可愛い。しかし法律学者や政治学者の民本呼ばわりや人道呼ばわりは大嫌いだ。聞いただけでも虫ずが走る。

論壇の人々の民本主義や人道主義はまだ可愛いので受け入れられるが法律や政治の学者たちのリーガルな物言いは好ましいと思わないわけだ。虫唾すら走ってしまう。

社会主義も大嫌いだ。無政府主義もどうかすると少々厭になる。

社会主義もセオリーからの要請が強くなるので受け入れがたい。
アナーキズムもセオリー的になってしまうため受け入れがたくなる。

僕の一番好きなのは人間の盲目的行為だ。精神そのままの爆発だ。しかしこの精神さえ持たないものがある。

結局は人の精神(=有機的な思想)の爆発が大好きだ。ただしそれすら持たない人は結構いますね。

思想に自由あれ。しかしまた行為にも自由あれ。
そして更にはまた動機にも自由あれ。

個々人の思想(=有機的な思想)は自由な方がいい。
行動もモチベーションにも同じ事が云えるわけです。

■感想
大杉栄の考える自由というものがよくわかるであろう。あらゆる〇〇主義というものが個々人の有機的な思想を守るのであれば良いが教義的なものとなると逆の働きが生じる。個々人が精神とは何かを考える必要があるのだ。

いいなと思ったら応援しよう!

真のPenguin@意識低い系
学習教材(数百円)に使います。