同じ楽器で揃えることに意味があるのか
吹奏楽部などで同じ楽器に統一しているところがあるようですね。僕が関わっているところでそういった話は聞いたことがありませんが、入部すると、この楽器屋さんでこの型番から選ばなければならない、なのだと。やっぱりその発想は、音色の統一ということなのでしょうか。それとも他の(大人の事情的な)何かがあるのでしょうか。
確かに楽器を統一することで得られる何かはあるかもしれません。もしかすると、質が安定している楽器(安すぎない楽器)を使用する意味なのか、逆にめちゃめちゃ高額な楽器を買ってしまった部員の存在から巻き起こる面倒ないろいろとかも考えられます。
もしも同じ楽器で統一する理由が「安定した演奏」なのだとしたら、個人的にはちょっと違うかな、と思います。と言うのも、僕はどちらかといえば楽器よりもマウスピースのほうが音色の質に直結していると考えているからです。
極端に考えてみればわかると思いますが、ホルンみたいなめちゃ深Vカップと、エリックさんモデルの淺いカップのマウスピースの人が仮に同じ楽器を使って演奏しても統一感からはほど遠い結果になるわけです。
しかし、マウスピースを統一させる、というのは無理があります。そうなってくると…なんで同じ楽器にするのかな?と疑問のスパイラルが起きてしまう。
個性が重なり合って生まれるサウンドが好きです
個人的な考えでは、個性が重なり合って生まれるサウンドが好きです。つま先から頭のてっぺんまでぜんぶ統一する発想は日本的というかアジア的というか、そうした文化があるのは否めません。
特に日本では、出る杭は打たれる的発想がとても強い。でも僕は出る杭がいっぱいあってゴツゴツしているくらいが最初はちょうど良いと思います。各自がどんどん伸びたり大きくなったり柔らかくなったり硬くなったりと主張して、そこでみんながみんなを認め合い、共感し、仲良くなったときに生まれる音楽のほうが楽しいと思うんです。
みんなが一歩引いてビッチリ揃っているのを美とする日本人の気質を否定するわけではないし、そういうのも好きなんですが、なにぶんやっているのは西洋の音楽ですから相性があまり良くない。
余談ですが、この話を書いていて思い出しました。若い頃、寄せ集めのオーケストラに参加した時の指揮者が「C管ロータリートランペット使用」という注文がありました。確かに、オーケストラではピストンかロータリーどちらを使用するかはパート内で相談して決めたり、指揮者の意向を聞くことはありますが、なぜC管?と思って本人に聞いてみたら、B管は音が太いから合わない。だからダメだと。
何言ってんだこの指揮者?
ということがありました。面白いから練習の時にピストンB管でしばらく吹いてみましたが全然気付かれませんでした。そんなもんです。
荻原明(おぎわらあきら)