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間(ま)のない表現と感動する表現

先日このブログにこんな記事を書きました。

演奏する人は音を出すことだけに意識を向けず、を生み出す演奏を心がけましょう、といった感じのお話です。よろしければぜひご覧ください。
今回はその続きです。


映画を二倍速で見る行為

映画やドラマを二倍速で観る人の話を耳にしたことがあります。今の二倍速機能って喋ってる言葉がちゃんと聞き取れるようにできてるので、あらすじの把握は一応できるんですよね。

しかし、二倍速での鑑賞は「概要の把握」以上のものは手に入りません。映画やドラマ、アニメなどはストーリーを説明していくことだけが目的では当然ありません。セリフの中にある緩急強弱や、無言で何かを見つめる時間の経過、桜の花びらがゆっくりを舞い落ちるその動きと光。そうした言語以外の様々な時間的経過による要素、現象すべてが表現に含まれています。

個人的にそれがとてもわかりやすいと感じるのが、新海誠監督の「秒速5センチメートル」というアニメです。

このアニメを二倍速で観ても多分何のこっちゃか意味がわからないし、それで作品を観たとは絶対言えないでしょう。

猛烈なスピードで喋るYouTuber

以前YouTubeで、それなりに有名な人だと思うのですが、二倍速で喋っているかのような人がいました。いつ呼吸しているのか?と思うくらい間がまったくない早口で言葉をどんどん並べてくる。内容としてはもしかするととても的確なことを喋っているのかもしれませんが、正直全然耳に入ってこない。少なくとも僕は言葉を捉えようとは思わず早々に動画を閉じてしまいました。

ここ数年でこういった人がとても増えたように思います。ショート動画需要が増えてきたためか(長時間動画を閲覧する人が極端に少ないからなのか)、短時間に情報を全部詰め込もうとするあまり、すさまじい早口になってしまうのかもしれません。編集の仕方もそうですよね。息継ぎをする瞬間や間を意図的にカットしています。
しかしこうした動画は見ていて非常に疲れます。聞く側が相当な覚悟を持って聞く姿勢を用意していなければなりません。聞く側に集中してききなさいと一方的に押し付けてくる早口動画、個人的意見ですが表現としては最低です。

表面的な部分だけで理解した気になると

「現代は時間に追われている」、なんて都合の良い言葉がありますが、僕が知る限り50年前からずっと言われ使われています。だから忙しいのは関係ない。
ここまで話したように今の時代、概要や最初の1行だけを読んですべてをわかった気になっている人が多い印象です。一方で発信する側も、自分が言いたいことを相手に的確に伝えるためにどう表現すべきか、という発想には到達しておらず、当然そうした研究も技術の研鑽もないまま感覚的に喋ってしまう傾向にあるため、発信者の真意や意図を把握されず表面的な部分だけを感覚的に捉えられてしまうために、双方の誤解から炎上することも増えたのだと考えています。

要するに発信側も捉える側も、どちらも主観でしか物事を判断しないからこんな状態になるのだと思います。

相手の立場になること

自分が何か伝えたいと思ったら、伝えたいことを本能のままに叫ぶのではなく「どう伝えたら誤解なく相手に理解してもらえるだろうか」という客観的目線で考える時間を持つべきです。それは下手したてに出たり媚を売るのとは違います。相手のことを思っているからこその思考です。

これをするには「心」が必要です。

心のある言動は受け取る側も心が反応します。いわゆる「感動」です。感動というのはここでは「ジーン」とくることだけではなく相手の意思が把握できる、という意味です。

音楽を表現する人、演奏者は特にこの「心」が伝わる演奏を心がけなければなりません。素敵な作品、自慢の自分の音と表現、作品に込められた思いや自分と重ね合わせた感情、そうしたものを聴く人へ伝えるためには音楽の練習をしている時間だけでなく、日常的に心を動かされる体験をして、心を成長させなければできることではありません。

日頃から心を動かされる体験を

音楽だけでなく小説や舞台、絵画などに触れて感動する。空を見る。花を見る、陽の光を浴びる、楽しい会話をする。美味しいものを食べる、大笑いする、好きな人のことを想う、相手の気持ちになって話を聞く。別に大それたことをする必要などありません。日常にある些細なことに気づき、心が動かされる経験をすることが大切です。

豊かな表現力は技術的な知識や方法をどれだけ持っていたとしても、その原動力である心が豊かでないと相手には伝わりません。

…と、こうした話はいろんなところで耳にするかと思うのですが、音楽も時代によって流行りや良しとされるものが変わっていく部分があります。もしかするとこの先、呼吸もしないで猛烈なスピードで音を並べ立てる演奏が良しとされるとうになってくるのかもしれません。すでにボカロの曲などはそういった感じですよね。それを否定するのも将来の自分の可能性を狭めているようでちょっと違う気もします。

進化すること、変化することを保守的な視点で食わず嫌い、否定的、保守的な姿勢にはなりたくないのですが、時代が変化しても人間の持っている心の本質は変わらないのではないか、とも思うので、やはり人の心に訴えかけられる演奏をすること、そうした音楽を継承していくことは大切だと思っています。


荻原明(おぎわらあきら)


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荻原明(おぎわらあきら):トランペット
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