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#047.スポ根練習では上達しません

スポ根とは

私が子どもの頃よりもっと以前から「スポ根」という言葉がありました。スポーツ根性の略で、当時テレビでは、スポ根モノと呼ばれるドラマやアニメが流行っていました。「巨人の星」「アタックNo.1」「スクールウォーズ」など。もしかすると若い方でもタイトルを聞いたことがあるかもしれません。


「スポーツ」と「根性」を合体させた言葉の通り、苦しくても辛くても、監督やコーチから厳しい言葉を浴びせられ、暴力を受けても負けずに立ち向かうことで栄光の勝利を手にすることができる、というストーリー。

戦時中にこの思想が強くなったのではと勝手に推測しますが、日本人にはも元々こうした根性論思想が根付いているのかもしれません。現代の、なんでもかんでもハラスメントと言ってしまう風潮になっても、結局のところ根性論で物事を解決しようとする人、根性論に流れてしまう人、無意識に根性論の思考に陥ってしまう人、元来根性論が好きな人が「世代を問わず」いるように感じます。

当時の吹奏楽部とスポ根

私は、と言えばこのスポ根精神が色濃く根付いた時代を生まれた時から過ごしてきたわけで、吹奏楽部では指導者から「バテてからが本番だ」「欲しがりません勝つまでは」とか本気で言われ、吹奏楽コンクール直前には冷房なんて存在しない真夏の体育館で朝から晩まで合奏し続け、音を外せば怒鳴られ、指揮者はキレて帰ろうとするわ先輩は意味もなく後輩を呼び出してはよくわからない説教をし、高校に進学したら集中力を鍛えるとか言ってエアコンのない音楽室の窓とカーテンを全部閉めてサウナ状態で休憩を取らずに何時間も合奏をするという、まあとにかく根拠ない全く意味不明な非効率的練習どころかマイナスになることばかりをさせられていたわけです。結局のところスポ根精神に陥ってしまう最大の理由は、正しい練習や効率的な方法を見出すための情報量が圧倒的に足りないこと、そして指導者の勉強不足の結果です。

そんな時代を過ごしたので、私の中にも根性論の思考は常に存在しています。

擁護するわけではありませんが、根性論の全てが悪いとは思いません。例えばすぐ投げ出さない(とことん追求する)力、だらしない生活をしない、そのようなやり抜くための精神力は持っていて良かったなと思います。しかし生活面ではともかく、音楽の学習においての根性論は問題点やデメリットが多いため、慎重であるべきです。

その最も典型的な根性論から生まれる良くない練習方法について書いてみます。

何度も何度も吹き直す個人練習には要注意


レッスンをしていて「ではこの箇所、吹いてみましょう」とお願いすると、夢中になって間髪入れずに何度も何度も吹き直す方が結構いらっしゃいます。吹き直しは楽譜の通り演奏できない場合に多く、止めずに見ていると何十回でも吹き続けてしまいます。そして残念ながら一度もパーフェクトには演奏できていません。
そうした方は大概音を出す瞬間から意識してしまうため、重要な「セッティングルーティン」が崩れてしまいます。

スポ根アニメなどを見たことがある方はわかると思いますが、例えば野球の「千本ノック」と言われるコーチがバッターボックスから内野の守備に向かって息をつく暇もなくノックを打ちまくる虐待練習です。ズタボロになってボールをキャッチする力がなくなるとコーチが激怒してボールを体にガンガンぶつけてくる。血の汗流せ、涙を吹くな。

ま、こんなシーンがよくありました。こうして虐待的に調教させられるとなぜかめっちゃレベルアップしているのも興味深いところです。

話を戻して、間髪入れず何度も繰り返してしまう習慣は、昔はスポーツでも勉強でも多かったと思います。「できるまで続ける」というのは、反復練習を続けて感覚を体に叩き込ませていく方法です。何度も何度も繰り返していくうちに、何かの拍子に偶然成功するのですが、この問題点はなぜ成功したかその理由も方法もわからないところにあります。したがって効果的でなく、成功率のパーセンテージも極めて低い。だから本番に弱い。

やっかいなのが、人間はこうした状況で「自分頑張ってる感」を覚えてしまうところで、結果は伴わないのに充足感は満たされます。ああ今日もよく練習した!なんか上手になった気がする!と。(上手になってません)

フィードバックができる練習を

レッスンでは、スポ根モードになってしまった時「1セッティングにつき、1回だけ吹きましょう」「丁寧にセッティングをして、1回ずつ大切に演奏しましょう」と伝えます。

もしもその1回が望んだ結果にならなくても、丁寧にセッティングをし、丁寧に演奏することで「今自分はどのように演奏したのか」を客観的に観察することができます。客観的な視点があるとフィードバックができるので、良かったところ、良くなかったところが明確になり、さらに何をどうしたら改善されるのか、どうすればもっと良い結果につながるのか具体的に考えて取り組めるようになります。
こっちのほうが千本ノックをするよりも圧倒的に効率的かつ結果につながる練習になります。

ちなみに、できないことをできるようにする時間は私の中では練習ではなく「研究と実験」と呼んでいます。化学の実験と同じように、目標に到達するには何をどうすることでどうなるのか、多角的に検証していきます。

そして「これだ!」という方法やバランスを見つけられたら、今度はそれを何度でも再現、実践できる安定性を求めて演奏する。これが「練習」です。

ということで今回は根性論と練習について書きました。
また次回です!


荻原明(おぎわらあきら)

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荻原明(おぎわらあきら):トランペット
荻原明(おぎわらあきら)です。記事をご覧いただきありがとうございます。 いただいたサポートは、音楽活動の資金に充てさせていただきます。 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。