【舞台・小説メモ】さよなら鹿ハウス/丸尾丸一郎
※ネタバレややあり。
物語の舞台は13年前の東京。
たった、13年前。
私より大人の人が「過去」として語る時代が、私にとってそう遠い昔ではないことに、ひどく焦りを感じた。
※1「一歳の赤ちゃんの一年は人生の一分の一であるが、四十歳の僕の一年は四十分の一でしかない」という、年齢と時の流れの早さに関する定説の後に続く、※2「意味のある時間も、意味のない時間も、無関係に分母に足されてしまう」という作者(劇作家)の言葉は、他人事ではなかった。
サボっているわけじゃない、楽をしたいわけでもない。必死で食らいついているのに、頑張り方すら分からなくなって、次第に頑張るための資金も底を尽きていく……。そんな状況が描かれた本作に、頑張りだけではどうにも上手くいかない夢を追ったことがある人なら、痛いほど共感すると思う。
自己投資だと思って見当違いなことに精を出し、「何をやってるんだろう」と虚しくなったり、それでもゆくゆくはそんな経験がちゃんと活きたり。
真っすぐ突き進んでいるようで、寄り道だらけにも思える日々が、いつか大勢から認められる結果に繋がるのだろうか。確かなことが分からないまま年月は、10年単位で平気ですっ飛んでいくんだ。きっとこれから、ますます加速して。
人からの評価は結果が全て。だけど自分だけは過程を誇ることが出来るから、私だけは今の私を見捨てずに、なるべくなら楽しんでやろうって、いつも思ってきたけれど、『過程そのもの』が、こうして大勢の胸に響く作品になることもあると、この物語は教えてくれた。とても、とても勇気づけられた。
「伝説になった」でも「伝説を目指し続けている」でもなく、「伝説になりたかった」という過去形の言葉にだからこそ、胸を打たれた大人が大勢いるだろうと思った。私も、そのうちの一人だ。
今も演劇界で生きる作者が、当時の野望を過去形として語るには、どれほどの覚悟と勇気がいっただろうか。懸命に生きた過去にも、懸命に生きる今にも、納得しているからこその、過去形なのだろうと思った。
失礼ながら、私はこの舞台をきっかけに劇団鹿殺しを知ったのだけど、今もなお、多くの人を楽しませる劇団が続いていることこそが、何よりも励みになる。
伝説は、これからも作られていくんだ。
※1、※2:作品「さよなら鹿ハウス/劇団鹿殺し 丸尾丸一郎・著」より抜粋