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全身全霊ではなく、半身で生きよう。『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』から学んだこと
この本を購入してから、6か月が経っていた。
読まれないまま、スマホの中に「積ん読」になっている1冊。
考えると悲しくなる。
タイトルを見たときに、「あっ、これは私のための本だ!」と思った。
本当に、最近本が読めないのだ。
集中力が続かない。なぜだか読む気になれない。
年のせいだろうか。読みたい気持ちはあるのに。少なくとも、購入したときには「読みたい」と思ったはずだった。
何かをつかみたくて買った本。
電子書籍はどうにも目がすべって頭に入らない。やっぱり、紙の本よね。
そう思って買った紙の本は、混んだ電車の中で読む気になれず、持ち出さない。じゃあ家で読めばいいのに、家にいたらダラダラとスマホを見たり、電子書籍で漫画を読んだり、紙の本は開かない。
やっぱり、電子書籍だよね。
試行錯誤してそう思って、今回はえいやとスマホでいつでもどこでも読める電子書籍で購入したというのに、やっぱり読み進められない。
やっぱり、年のせいなのかな。
もう、好きなことすら楽しむ気力体力が落ちてきているんだろうか。
いや、そもそも、「本を読みたい」という気持ち自体が、カッコつけの産物で、もう本当はそんな気持ちも枯渇してきてるんだろうか。
ああ、嫌だ嫌だ。
気分は半泣きだった。
いやいや落ち着こう。そこまで思い詰めることじゃない。
だけど……
この本を購入してから、6か月が経っていた。
『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』
著者: 三宅 香帆、集英社新書(発売日:2024年4月17日)
※Amazonのアソシエイトとして、宮野真有は適格販売により収入を得ています。
そもそも、どこまで読んだんだっけ。確か、買ってすぐ少し読みすすんだはず。
そう思って、電子書籍を開いてみた。
おもしろい、なるほど、と読みすすんだつもりだったけど、まえがき、序章の次、第一章が始まってすぐ、13%のところで読書はストップしていた。
続きを読もうとしてみたけれど、もはやどういう話だったか完全に忘れている。途中から入室したセミナーぐらいわけがわからない。
もくじに戻ってみた。
この本は最終章の十章まである。わずか十分の一で挫折したらしい。
合わなかったのかなあ。でも、細かい内容は忘れても、「この本は私のための本だ。おもしろそうだ。読もう!」と思った感覚だけは覚えている。
このまま読むのを諦めるぐらいだったら……。
もくじを改めて眺めてみた。
【目次】
まえがき 本が読めなかったから、会社をやめました
序章 労働と読書は両立しない?
第一章 労働を煽る自己啓発書の誕生――明治時代
第二章 「教養」が隔てたサラリーマン階級と労働者階級――大正時代
第三章 戦前サラリーマンはなぜ「円本」を買ったのか?――昭和戦前・戦中
第四章 「ビジネスマン」に読まれたベストセラー――1950~60年代
第五章 司馬遼太郎の文庫本を読むサラリーマン――1970年代
第六章 女たちのカルチャーセンターとミリオンセラー――1980年代
第七章 行動と経済の時代への転換点――1990年代
第八章 仕事がアイデンティティになる社会――2000年代
第九章 読書は人生の「ノイズ」なのか?――2010年代
最終章 「全身全霊」をやめませんか
あとがき 働きながら本を読むコツをお伝えします
この本は、「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」という問いへの答えを提示するために、まず明治時代にさかのぼってから、コロナ禍前の2010年代までの、労働と労働者と流行して読まれた本の歴史をひもといている。
興味深いけれど、仕事帰りの疲れた頭にはさっぱり入ってこない。
しかし「待てよ」と思った。
このまま敗北して挫折感とともに読むのをあきらめるくらいだったら。
……途中すっ飛ばして、結論から読んでもいいんじゃない?
まじめな普段の私だったら、そんなことしないと思う。
だって、本は著者が時間とエネルギーをかけて作りあげてくれた、山あり谷あり楽しみありの長いハイキングコースのようなもの。そこを一歩一歩たどることこそ、著者への敬意であり、読書の楽しみってものだから。
でもこのとき、私は確かに疲れていたし、ちょっと参っていたと思う。
このまま読まずに終わるよりは、ずっといい。
著者の三宅さん、ごめんなさい!
そうして、私はいきなり、[最終章 「全身全霊」をやめませんか]から読みはじめたのでした。
結論からいうと、大正解でした。
なぜなら、私が一番読みたかった内容が、そこにあったから。
「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」に対する答え、そして、著者からの強いメッセージが。
また、最終章の冒頭では、著者が第一章から第九章までを要約して、この本の内容をふりかえっていた。
ありがたい!
なるほど、そういうことが書かれているのか!
大まかにではあるけれど、著者の主張をざっくり頭に入れたうえで、その後の主張を読むことができた。
これが、一番読みたいと思った「それは私のことだ。私の問題だ。私の悩みだ」と感じられるエッセンス。最終章にぎっしり詰まっていました。
今、読めてよかった。
その内容は……。
著者の三宅さんが提案しているのは、「半身」での働き方。
これは、「全身全霊で」働く男性の働き方に対して、身体の半分は家庭にあり、身体の半分は仕事にある女性の働き方として、社会学者の上野千鶴子さんが表現した言葉だという。
かつて労働のために読書で得られる知識、教養が必要な時代があった。
今はそうではない。
現代の労働において必要なのは、自分に必要な情報を得て、それ以外は「ノイズ」として除外し、自分の行動を変えていくこと。
でもそれだと、労働に関係しない文化的な時間を楽しむ余裕がなくなる。
それでいいのか?
「働きながら本を読む」ために必要なのは、読書で、自分に関係のないノイズの文脈を取り入れる余裕を持つこと。
そのために必要なのは、長時間労働の改善だ。
……と、ここまでは「うん、うん、そうだよね」と読むことができた。
このあとが結構、目からウロコだった。
ドイツ在住の哲学者ビョンチョル・ハンによると、21世紀に生きる私たちの問題は、新自由主義社会の能力主義による、「もっとできる、もっとがんばろうという自分の中の意識、自分の望み。それが私たちを疲れさせ、うつ病にさせる」というのです。
私たちは、自分で自分を搾取してしまう、というんです。
私たちは、自由によってうつ病になることもある、と。
「えっ、そうくる!?」と驚きつつ、「確かにそうかも」と我が身をふりかえる思いになる。
なぜなら、私は個人事業主として30年仕事をしてきて、会社や組織には属していなくて、その意味では自由だったにも関わらず、やっぱり疲れるし、ときにはブルーにもなることを体験してきたからです。
つまり第八、九章で見たように「自己実現」を仕事で果たそうとする社会では、私たちはどうしても「自己実現」の奴隷に自らなってしまい、結果としてバーンアウト、そして鬱病を生み出してしまうのだ。
株式会社 集英社. Kindle 版.
メインの仕事だけではない。
副業についても、体を休めるための余暇についても、「より有意義に」「より無駄なく」過ごすことを「私たち自身が」望むために、現代は、私たちの生活のあらゆる側面が仕事に変容する社会になっている、という。
そんな「トータル・ワーク」社会に生きているから、私たちは本を読む気力を奪われてしまうのだと。
仕事だけではなく、家事も、育児も、介護も、趣味も、つきあいも、私たちは「全身で」関わることを求められがちで、そしてしばしば「ついそうしてしまう」。
なぜなら、その方が「楽」だから。複雑なことを考えなくてもいいから。
そうして、私たちはバーンアウトする。燃え尽きる。
私はここまで読んで、うーんと唸ってしまった。
「たしかに」と思ってしまったのだ。
たしかに、私は自分がやりたい仕事をがんばってきた。
やりたいことに集中するのは、忙しくて大変でも、別の意味ではラクなことだった。
その結果、疲れてしまったとき、「何がいけなかったのか?」と思った……。
個人事業主として仕事をしながら、親の介護をしながら、パートの仕事をしながら、やりたい仕事をやりながら、趣味の活動をしながら、あれこれ考えてきたモヤモヤしていたことの尻尾をつかんだような気がした。
日本に溢れている、「全身全霊」を信仰する社会を、やめるべきではないだろうか? 半身こそ理想だ、とみんなで言っていきませんか。
株式会社 集英社. Kindle 版.
すごく「たしかに……!」と思ってしまったので、ほかの人の感想も聞いてみたい。
たぶんこの本は、「どうやったら働きながら本が読めるのか?」だけを手っ取りばやく知りたいという人には、不評かもしれない。
そのことについて書いてあるのは、わずかな量だから。(うれしいことに、本の末尾に、著者なりの忙しくても本が読めるようになるコツも、ちゃんと紹介されています)
でも、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』についての答えは提示されるし、「あーはいはい、長時間労働のバカヤローって話ね、そりゃそうだよ、この社会が悪い、時代が悪い」と読みながそうとすると、「敵は自分の内側にあり」って話になって「へぇっ!?」ってなるしで。
とてもおもしろかったです。
なんと最終章しか読んでいないのに!
たとえば本を読むことだって、当然ではあるが、半身の取り組みでいいのである。
株式会社 集英社. Kindle 版.
ここまで読んで、私は安堵のため息をホーーッとついた。
どうしてもきちんと読みとおせなくて、ズルをして最後から読んだけれど、それでも感想を言っていいかな、と思えたからです。
というわけで、これから、さかのぼって前の章を読むつもりです。
全身全霊ではなく、適度に力を抜いて。