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「支えてあげたい背中」もあれば『蹴りたい背中』もあるからな、じゃあないけれど、「じゃあな、リスト」をつらつらと祝詞のように連ねる番組観てるほど世の中はヒマじゃない、って視点もあるんだからな。

ひとまず懸案の本を2冊ほど読了。

岩田徹『一万円選書』(ポプラ新書)

金谷武洋「日本語は亡びない」(ちくま新書)
-「この本取って出し」|torov|note

ってかなり古めの記事ですが、それでもたまに反応が返って
来る記事ですけど(地味に嬉しい)。
 堂珍の「ほん」欄でこの「日本語は亡びない」を薦めている
こともあった砂川にあるいわた書店の岩田さん、がこの岩田徹に
あたると。

 まあ出自的には全く砂川を出てはいない経歴だけど、学歴の
中に「函館ラ・サール&フレンズ」って要素があり、そこから
北海道では話題になってた佐藤泰志などのラインに繋がっている
っているのが、この人の何よりの探求心と来歴になっているのが
なるほどよく理解出来た。

 以前の著書よりも本の紹介に関してはアップデートされていて
結構見知った本を挙げているのもなかなかポイントが高かった。
 まあ付箋チェックまではして読破したから、内容解析と考え
させられる部分に関しては後日。

じゃあ多分に納得はしがたいような矛盾のコトバを孕みながら
かつてのジャケットにはロールシャッハテストみたいな意匠が
施されていると「夢チカ18」で一青窈がもの知らずのインタ
ビュアー安田顕に語ってもいたこの曲でも持ってくるか。
一青窈で「大家(ダージャー)」。

牟田都子(さとこ)さん「文(ぶん)にあたる」(亜紀書房)

noteを始めて半年経ちました。毎日更新。なので今日は
朝昼晩三回更新にチャレンジ。まずは朝編。|torov|note

以前来歴と書評に関してはこちちらで紹介した一冊の本。

ようやっと楽しみにしてぼちぼち余暇があれば読んでたこちらの
本もようやく読了。
 やはりあの落ち着きとたたずまいは、といふか校正者になる
以前は図書館司書をしてた経験が(レファレンスも一通りしていた
話題も書かれている)ちゃんと人生と仕事と読んで来た本の系譜に
顕れているのかなと。
(なので私も読んだことがある書籍引用が3-4割に達している
感じだった。ここまでのシンクロ率がある本はなかなかない)

 こちらもマメに付箋チェックまで挟んであるのでノート写経
してからぼちぼち感想などを展開していくことになるかと。


 氷室冴子の本を部屋でディグろうと、文庫があるらしき並びに
手を掛けたが、小一時間ほどで済んだはいいけど、なしの礫(つぶて)。
 まあこれはこれで整頓出来たし「プロット・デイレクター」や
「月とにほんご」、そして小林信彦の「紳士同盟」シリーズ2冊
とかは出て来たので、後日に活かそうかと。

流石電撃出自には冷たいアレかい。見事に表紙の表示がねえ。


どこぞのコメントで拾ったかは忘れたけれど、
ユーザーがテレビに本来求めていたのはこういうものだ。

ユーザが求めているのは、
・地上波並みの画質
・簡便な視聴方法
・いつでも見れる

この3つだよ。すごくシンプルだ。

まあそれがアプリのRadikoに関しては満たされていたから
Radikoが根強く支持されているのも納得ではある。
(まあFire HDの尼系にあった方は使い勝手悪すぎたので、
全うに使える方のアプリを拾ってはいますが)

これらを踏まえてアフォリズム的に遺してあったメモには
こうも書かれてましたが。

テレビで観ない
マスゴミはゴミ過ぎてウザい
テレビが無くても別に困らない

そう並べても別に平気なのはそうした最低限の欲求も満たせない
テレビがソフト面でもハード面でも単純にそっぽを向かれる
態度を崩さなかったので、自然発生的に忘れられただけの
話である。

「じゃあな、リスト」をつらつらと祝詞のように連ねる番組
観てるほど世の中はヒマじゃない

でもあるんでな。つまらないストーリーを煽り立てるだけの
いかにもな「じゃあなリスト」に満ちた番組はなるたけ避けて
通って過ごすことにしてますので。
(そもそも虚喝(きょかつ,こけおどし)に基づいてつまらなく
煽り立てるストーリーやトークに対して、「幻滅」の二文字しか
こちらには残ってないので、恬淡に処理するだけ、に過ぎないの
だけどね)

「支えてあげたい背中」もあれば『蹴りたい背中』もあるからな、
じゃあないけれど、を含めた読了と視点の幾つかのお話について、
でした。