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【美術館やアートの楽しみ方】#06 仏像展示はテクノロジーで進化するか。 (2019東寺展の立体曼荼羅より)


「国宝 東寺-空海と仏像曼荼羅」(東京国立博物館 2019.3.26-06.02)を題材に、“進化する仏像や宗教観の魅せ方”について、楽しみ方を紹介したい。
この特別展、すごく良かったので。
※このブログは展覧会感想ブログであり、宗教上の思想や知識は僕にはありません


1、“東寺展”への期待

東寺にはよく行く。京都へ行くたびに、立体曼荼羅を観に寄るのである。
だから2019年に『東寺展』が開催されることを知っても、みどころは“立体曼荼羅の史上最多出品”だというが、何度も現地で実物を見ているしわざわざ東京で観ることもないなと思ってたんだが、
でも逆に、普段とは違って“どんな展示方法でみせてくれるのだろう”という期待がうかんだ。
特別展にはそういう楽しみ方がある。
専門家のキュレーターがアイデアを注ぎ、
“2019年らしい魅せ方”を工夫するだろう、と。

これが大当たりだった。

2、“立体曼荼羅”とは?

でもまず先に、立体曼荼羅について、かるくだけ説明しておこう。

空海の教えのひとつに「言葉のみで伝えるのは難しいので、絵や像を駆使してわかりやすくして、なるべく多くの人々に理解を届けたい」というものがある。この教えに従って真言宗(空海が開祖)には絵や図や像が多く残されている。

その最も中心的存在が“曼荼羅図”だ。
如来や菩薩たちの世界がどのようなものかを絵に描きあらわしたもの。

空海は、絵でもまだ難しいかなと考え、たどりついたのが「実際に仏像をならべて曼荼羅をリアルに視覚化してみるか」というアイデア。お堂の中に金剛界や胎蔵界といった如来の世界の“リアル再現”に挑戦した。それが“立体曼荼羅”である。

これは現代のビジネスにも通ずる話しだ。いかに専門用語を減らし平易な言葉でわかりやすくプレゼンするのかとか、認知や好意をひろげるためにクロスメディアでオンラインやオフラインを駆使したりするのに似ている気がする。

空海は誰よりも“より多くの人にわかりやすく届ける”を重要視した。
そして“視覚化”を重要視した

だから立体曼荼羅をつくりあげた。

3、立体曼荼羅2019の美しさ

さて話しを戻そう。
東博のキュレーターは全力で“2019年らしい魅せ方”をするだろうと期待していったら、当たりだった。

まず、従来の京都・東寺の立体曼荼羅をふりかえっておくと、
講堂にはいると、“当時のままに配置された立体曼荼羅”が所狭しと圧倒的なインパクトで迫ってきて拝観者に強い印象を残す。躍動感や熱量がある。

ただ、やや、ぎゅうぎゅうとしていて、ひとつひとつの像の良さに見えにくさはあった感じはする。これは当時の9世紀からすると講堂自体のつくりや、柱の位置、灯り取りの不自由さ、など各種の影響もあったことと思う。

(京都・東寺ホームページより引用)

対して『2019東寺展』は、従来の良さを残しつつも“発展的な異空間”をつくりだしていた。
当初の売り文句は“21体中15体という史上最多の出品数”と“360度全方位からの鑑賞”であったが、それはそれで素晴らしい経験であった。
しかしそれ以上に今回素晴らしかったのは、

“空間レイアウトを広く大胆に使った仏像配置”や、“うす暗くした部屋のなかで仏像を静かに照らすスポットライトの美しさ”、それと音声ガイドから響かせるたくさんの密教僧たちによる“壮大なお唱え”

まるで仏像たちが広い宇宙にうかぶ惑星のようだ。一体一体が独立しながらも共鳴しあっているような絶妙な距離感。そして、ゆったりとした空間が、それぞれの像の個性を浮きだたせる。

(引用元:美術手帖とローチケのPRページより)


「本来、空海の頭の中は、こんな感じだったのでは」今回の展示を観てぼくはまずそう感じた。
素晴らしかった。


4、テクノロジーで進化する展覧会の展示方法

鑑賞後に東寺の情報をググッていると、
そもそも京都の東寺自身でも最近はライトアップに工夫がこなされているようだ。引用する。

京都の秋に照らし出された、空海の美。
東芝のLEDが、東寺の「立体曼荼羅」と「薬師三尊・十二神将」をライトアップ。
東芝は照明事業125 周年記念プロジェクトの一環として、コンパクトさと色の再現性に優れ、きめ細やかな微調光性を合わせもつ専用のハロゲン電球形LED 電球でライトアップを手掛けました。


また、展覧会を見終えて外にでようとしたとき案内板に気づいたのだが、同じ東京国立博物館平成館の地下1階では『空海 祈りの形』というVR(バーチャル・リアリティ)作品の上映が行われているそうだ。
これは時間がとれたらぜひ観てみたい。


照明技術はもちろん、特に動画テクノロジーは、ここから10年で急速に発展する。
AR、VR、MR、などなど。
今後、宗教観や仏像展示は、“当時をなるべく再現する方向”に進むのか、それとも“より未来的な進化の方向”も試すべきか、いろんな考え方も出てきそうだ。そんなことを考える機会にもなった東寺展であった。

でも、現代に空海がいた場合さ、
空海自身が誰よりもテクノロジーを駆使するクリエイティブをつくりだしたのかもしれない。
なぜなら空海がやりたいのはただひとつで
「わかりやすくてたくさんの人々の理解が進む」、ただそれだけだから。

もしも飛べたなら、如来は空に飛ばしたかもしれないね。空海なら!

(おわり)
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miyamoto maru
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