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The last emperor
高校の時。
親に勧められてベルナルド・ベルトリッチの「ラスト・エンペラー」を観た。
これは最後の皇帝,「溥儀」の一生を追った映画だ。
3時間を超える超大作。どうにか集中力を保ちながら頑張って観た。
最後のエンドロール。
その自分が頑張って観続けた緊張が解けたのか、溥儀の悲哀な一生に情が入ったのかは分からない。
分からないのだけれども
坂本龍一の「the last emperor」を聞いた
利き手と利き手じゃない手。
ある時思った。
両手同じ風に生まれたのに、
僕は利き手ばかり使いすぎなのでは、と。
利き手は右手。
だから、右手ばかり仕事させている。
左手の負担は右手より少ない。
もし右手がもっと仕事のタスクを減らしたいと思うのなら、とても右手にとってかわいそうなことをさせている。
逆に左手がもっと成長する機会を欲しているのなら、右手ばかりに与えているので、左手はかわいそうだな、と。
忘れられた片方の手袋。
幼い頃、迷子になり1人になるたびに忘れられた片方の手袋を思い出した。
もう片方の手袋にはもう会えることはない。
僕も迷子のまま親や友達と会えないのでは。
でも結局僕ははぐれた親や友達と会える。
だけど手袋はそのままはぐれたまま。
自分を思うと嬉しい一方、
手袋を思うと悲しかった。
忘れられた片方の手袋をみると、
今でもこの複雑な感情を思い出す。
ここで筆を置く。
Keitaro
崩「し」ている と 崩「れ」ている
ある尊敬する一流の方がおっしゃっていた。
「崩している」と「崩れている」は違う、と。
「崩れ」は誰でもできるが、「崩し」は正統が分かってないと出来得ないものだ、と。
つまり、正統を学んでできるものが「崩し」であり、
それが一流の証しである、と。
ここで筆を置く。
Keitaro.
自戒。 コロナで気がついたもの。
近頃、政府主導により国民が「go to 」をしだした。街にも活気が戻りつつある。そしてコロナ前のような生活が戻りつつある。
このタイミングで今一度
コロナの生活で考えたことを忘れないようここに書き留めたい。
コロナによって気付かされたもの。
それは
「人と会う」という貴重さ。
友人とご飯に行くことができなかった。
当たり前の学校にもいけない。だから友人にも会えない。
毎週行っていたサ
私的、 「食に関すること。」
とても元気な友人が
カップラーメンにメロンソーダ、ファミチキを美味そうに食べていた。
そこで思ったこと。
「健康な人ほど不健康なものが食べられ、
不健康な人ほど 健康なものしか食べれない。」
今のうちに、元気なうちに、ジャンキーなものを食べまくりたい。
ここで筆を置く。
Keitaro.
「伝統」 とは何か。
僕は中高6年間「巣鴨学園」という男子校に通った。
その「巣鴨学園」では沢山独自の行事があり、
その中の一つに「夏の館山水泳合宿(巣園流)」というものがある。これは本校が培った一つの流派の日本泳法を、三泊四日にかけて千葉県の館山の海で生徒に教えるというものである。運営をするのは卒業生であるOB方であり、僕も恵まれたことにその一人として携わっている。
今回その運営をしているOB達の話し合いがあった。