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地上的な餘に地上的な

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2022年11月から2024年5月まで、同タイトルでNoteに投稿した記事を集めました。スピリチュアルなテーマを扱っていますが、このところそれらに依存しない全く新しい地平線が拓け…
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2023年4月の記事一覧

タイムラインを変えます

ここでは、この動画に関連があるかと思う事柄について述べてみます。 意識タイムラインは、今、この瞬間から変わります。 変えなければ変わりません。 変えれば変わります。 それは意識だからです。 あなた次第です。 なぜ、あなた次第かというと、 あなたがあなたの世界を作っているからです。 自由意志は誰にでもあります。 その「選択」があなたです。 あなたが「選択」して、こうだという意思を表明すれば、それはそうなります。 しかし、その選択をしなければ、 あなたは、他の誰かの自由意志で

先入観を外して見えてくるもう一つの世界

この方が紹介する動画はいつも切り口が大胆で興味深いものがあります。 一旦先入観を外して世界を見ると、いままで見えなかったものが見えてくるようですね。 また、今の時代はそんな目線が大事かもしれません。 ただし、あちら側に行きっぱなしでは、真相からズレます。 「常識」との対話も大事。 くれぐれも常識にとらわれずに、しかも常識を,離れないようにしたいものです。 蛇。 大蛇。 まんが日本昔ばなしにも大蛇にまつわるお話はたくさん出てきますし、 あんなところこんなところにも、うじゃう

ことの世界とまことの世界

こどものころ、世界はキラキラ輝いていた 何でもできる という感覚が普通にあった まわりにある草花は友達だった トンボや蝶は家来だった フェアリーや目に見えない存在も 意識の中で寄り添っていた ひねもす遊びまわるなかで それら存在との交感が 冒険を後押ししてくれた 止まることなく いつも走り回っていた 永遠という世界なんて知らないけれど そこには確かに永遠の時間が流れていた なかには木偶のようにつったったままのものもいたけれど そんなものが理解できなかった みんながキ

そもそもの次元上昇(アセンション)

知識ではなく心がそれを可能にする スピリチュアル界隈で、いずれも最終的なテーマになるのが「アセンション」という概念ですね。 ところがこのアセンションなるものがきわめて抽象的なそれで、しかも様々な方々が様々な角度で云々することから、どーも本質からそれてしまっているような気がするのは私だけでしょうか? ちょうど、大方の方が抱く(そして私もそうでしたが)「ニューエイジムーブメント」が、その後単なるサブカル的なそれに堕したかのようなイメージと同じです。 一言で言えば、コンビニエ

ふるさと(自分)は遠きにありて思ふもの

ふるさとを離れて、異郷に出てみて初めてその何たるかが分かる。 海外で暮らしてみて日本の良さや悪さが分かるという話もよく聞きます。 そのふるさとという生活圏で日々営々と暮らしている人たち自身にはかえって見えないものってありますね。 都会のサラリーマンにしても、田舎で農業に従事されている方も、もうその環境がいいとか悪いよりも、日々の仕事の忙しなさで、ゆっくりと客観的に自分の周囲を眺めるなんてなかなかできないことです。 同様にこの地上で齷齪と生きているものたち、つまりわたしたち

【重要】知ってるよ、大丈夫だよ。

こんにちは、 化け物狩りが趣味のもにこ堂です。 こわいこわい病のもにこ堂です。 終末論者もにこ堂です。 じゃないんですよ。 彼(敵)を知り己を知らば百戦危うからず です。 敵を知らない(目くらましされてきたから)で、敵の作ったマトリクスに埋没しつつ人生の終焉を迎えてはならない! これに警鐘を乱打しているのです。 わたしだけではありません。 そう言う方も増えていることでしょう。 まんまと嵌ってはならない! これを言いたいのです。 と、同時に世の中の陰謀に目覚めた方々

【断絶すべき】人類が認知しえない悪の本質!負のエネルギーを食べる化け物が、生きることの恐怖・不安・無気力化を生む

ああ、もうたくさん 生きていてもしょうがない 齢も60を超えるころになると 周囲の異常事態に気づくようになってくる 長年親しんできたあの歌手もこの俳優も ポロポロとこの世を去り、 なんとか頑張っているように思えたあの人もこの人も その現在は、「おや?」と軽い嘆息がでるほどの変わりよう 「難病」だか何だか知らないが、片っ端から闘病生活を余儀なくされている (ほぼ同じ年齢である恐怖) 気が付けば、周囲はほぼ離婚者だらけで、単身者が急増 そればかりか、身近な幼馴染の友人宅の

信じないことは疑うこと、考えること。

信じるということ「個」はグローバルに埋没した 信じる。 安易に何でも信じてしまう。 疑わない。 つまり考えない。 私の周りには、いやどなたの周りにもそんな人が圧倒的に多いのではないでしょうか? 現に私の身内にしてからが、何度騙されてもTVショッピングでまたしても不要なものを買ってしまう、ということがもはや「趣味化」している現実があります💦 昭和初期くらいまではまだ、 「ならん! それは拙者?の流儀に反する」 などと、堂々と異を唱えたり、「個」を主張する野武士も多くい

静かなる大どんでん返し

いつからだろう。 おそらくは数年前からだ。 実は白状すると、あまり興味が無くなってしまったのだ。 何に対するそれかといえば、世の中の事象にたいする興味というか、関心だ。 それがほぼ消え失せてしまった。 残念なことだ。 とーとー、世の中は、人(私)から興味すら持たれないものになってしまったのだから(笑)。 これは由々しき事態である。 それは、虚無主義の極みと言えばそうだ。 「大丈夫ですか?」 の問題だから。 ⧪ もちろんダイジョーブなわけがない。 病気といえば病気だ。

【第三回】酔客は家路のことを考えてはならない。

「家」という言葉は、いっさいの生活条件、すなわち家屋の物的環境全部を包含すべきである。 なぜなら、誰でも知っているように、家を選定するには、家の内部がどうかということよりも、家のなかから見た眺めがどうかということの方が大切だからである。 家が田舎にあるということと、周囲の景観が大切なのである。 ⧪ 風光きわめて美しい山中に建っている家があるが、そういう場合は、一片の土地を自分の所有地として塀でかこんだりする要はすこしもない。 家を出て歩をはこぶところ、山に対してうずくまる