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ことの世界とまことの世界

こどものころ、世界はキラキラ輝いていた
何でもできる
という感覚が普通にあった

まわりにある草花は友達だった
トンボや蝶は家来だった
フェアリーや目に見えない存在も
意識の中で寄り添っていた

ひねもす遊びまわるなかで
それら存在との交感が
冒険を後押ししてくれた

止まることなく
いつも走り回っていた

永遠という世界なんて知らないけれど
そこには確かに永遠の時間が流れていた

なかには木偶でくのようにつったったままのものもいたけれど
そんなものが理解できなかった
みんながキラキラした世界の住人
一緒に素敵な世界へ向かって行くんだと思っていた


ある日から、世界はここからそこまで
と、くくられた。
せっかくの遊び場が、
枠のなかに押し込められた

でも、右を見ても左を見ても
みんな、そうですよ、と
何も不思議がるものがいなかった

枠の外?
だれも、そんな世界があるなんて
信じなかった

その世界には、もう妖精も天使も
いなかった
それは、自分の世界ではない
だれか、どこかの人たちが作った世界

朝起きてから、
何事かを無理矢理やらされる世界
右に行くと言われたら右に行かなくてはならない世界

でも、いちばん悲しかったのは、
お友達の妖精たちや、おもしろい精霊の仲間たちが、
この世界の誰しもに
そんなもんいない、といわれたこと

妖精たちは怖がって逃げていっちゃった

長じてこの世界のあちこちを
つぶさに眺めてみた挙句
それはやっぱりでたらめなまやかしの世界
見た目、頑丈で確定的なこの世界は
ホントは危ういたまゆらの世界



透きとおった空気
ピンク、バイオレット、ルビー、サファイヤ、水晶の透過性クリスタルの淡い色彩
子供のころに親しんだ永遠性のある世界
デリケートでナイーブな感性の世界
もともとその世界は、この地上から空のかなたまで立ち上がっていた

でも、だれかがそれを断ち切って
この地上は原色のべったりとした重い色に塗りこめられた
もう、どんなに素敵な色彩でさえも、見ることはできない

この世が「こと」の世界であることに
気づくもの気づかぬもの

そして、誰しもが子供のころに親しんだ
夢の世界
童話の世界
詩の世界
まぼろしの様に手ごたえこそないけれど、
わくわくしてキラキラしてときめいていた世界

その世界こそが「まこと」の世界であることに
気づくもの気づかぬもの


呼ぶ聲よぶこえ         

                     ────────────三浦関造

ぼくが小さい時でした
お庭の桃に花が咲き
森のこずえに鳥がなき
日がぽかぽかな春でした
誰か知らない善い人が
私の名をばよびました
草屋をとんで庭にいで
庭をおどって森にゆき
森からぬけて野にいって
うしろを見ても前見ても
影も形もなけれども
見たことのない善い人が
私の名をばよびました

ぼくが小さい時でした
泉のようにさらさらと
庭の小笹をおどらせて
昼の寝覚めのここちよく
風の涼しい夏でした
誰か知らない善い人が
私の名をばよびました
昼もおぐらく神さびて
しんしんとした木の幹に
赤い夕陽が燃えついて
何ともいえぬ厳かな
その奥深いところから
影も姿もなけれども
見たこともないよい人が
しづかな声でよびました

ぼくが小さい時でした
銀杏の葉がヒーラヒラ
風もないのに散りおちて
どこまで見ても限りない
空なつかしい秋でした
誰か知らないよい人が
私の名をば呼びました
人なき原のまん中の
小路を一人たどり来て
じっと心を大空の
そのあわれさによせた時
影も姿も見えねども
見たことのないよい人が
け高い声で呼びました

ぼくが小さい時でした
森の木の葉がちりはてて
むくの古木に実がうれて
小鳥がピーピーたべに来て
どん栗の実がトンコロリ
落ちてわびしい冬でした
誰か知らないよい人が
私の名をばよびました
さびしい庭に只一人
おち葉をふんでたたずむと
ザーザーと吹く木枯こがらしの
風のひびきを遠くこえ
影も姿も見えねども
見たことのないよい人が
尊い声でよびました

ぼくは七十路な々そぢ旅をして
おきなとなった今日までも
おさな心をそのままに
うしろを見ても前見ても
影も姿も見えねども
心の奥のドアあけて
至上無辺の覚者から
しづかな声をきいている

竜王文庫『聖シャンバラ』より


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Monikodo
東洋哲学に触れて40余年。すべては同じという価値観で、関心の対象が多岐にわたるため「なんだかよくわからない」人。だから「どこにものアナグラムMonikodo」です。現在、いかなる団体にも所属しない「独立個人」の爺さんです。ユーモアとアイロニーは現実とあの世の虹の架け橋。よろしく。