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静かなる大どんでん返し

いつからだろう。
おそらくは数年前からだ。

実は白状すると、あまり興味が無くなってしまったのだ。
何に対するそれかといえば、世の中の事象にたいする興味というか、関心だ。
それがほぼ消え失せてしまった。
残念なことだ。
とーとー、世の中は、人(私)から興味すら持たれないものになってしまったのだから(笑)。

これは由々しき事態である。
それは、虚無主義ニヒリズムの極みと言えばそうだ。
「大丈夫ですか?」
の問題だから。

もちろんダイジョーブなわけがない。
病気といえば病気だ。
そーとー重い病だ。

もっとも、最初からそんな「病」を患ったわけではない。
それは、最愛の人を失った喪失感にちょっと似ている。
もちろん、それまでに伏線はあった。
信じて(愛して)は裏切られ…
その繰り返し。

人生はそんなものだったかもしれない。

説教せっきょう
なぐさめや
同情どうじょう
いましめや
嘲笑ちょうしょう
無視むし

どーでもいい。
右でも左でも
白でも黒でも
どーでもいい。

どっちに転んでも
どーでもいい。

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世の中の舞台裏が明け
そのネタバレ
読む前から結論が分かっている本
ぞっとするほど露骨で滑稽こっけいな茶番劇
さながら「対象:幼児~小学低学年」限定の世界を押し付けるように
「ここまで荒唐無稽こうとうむけいやってんのにまだだまされ続けたいの?」という挑戦状?
(「悪」みずから光を与えちゃってる=それを読み取る人、読めない人)

だから、
あちらで追いかけている事件
こちらで大問題になっている事件

「今話題になっていることはコレだ!」
「最近のマイブーム」
「○○がやってくる!」
「○○を食え!」
「われこそが神」
「あいつこそ悪党!」
「○○氏終了」(←なんと虫唾むしずの走る下賤げせんな精神だろう?)
「あの人は実は○○だった」
「これであなたも成功者」

のようなものに、まったく気持ちが動かない。
動じない。
揺さぶられない。
響かない。

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そんなことよりも、
今朝けさの日の出の太陽の見事さ
昨夜の星空の美しさ
近隣の方との何気ない会話

そんな外界とは無関係な私的な感慨の方が
よっぽど本物だと思う。

個人のバイアスを通して
屈折したプリズムでもって
世の中がどーのこーのったって、
それは世の中の一方向から光を当てたにすぎない。

むしろ逆だ。
自分がこうしてあること。
こうして何事かを考えていること。
それは、大きな力がそうさせている。

となると、
世の中がどーのよりも
その大きな力の方がむしろ
大事なのではないか?

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そこに何ものも期待しない。
何ものにも動じない。
何を見聞きしても
驚かない。
何ものにもなびかない。
面白くもなんともない。
見飽きたし聞き飽きた。
同じことの繰り返し。

それは、老いのもたらすアレか?
「アレのアレがアレした」みたいな。
それでお年寄り同士の会話が成立してるみたいな。
電話で、
「私LEDカード作ったの」
が、実は「エディー」の意味だったり、
「パッチタネル」がもちろん「タッチパネル」の意味だったり、
微笑ほほえましい意味での「右も左も一緒」ならまだいい。

しかし、私のそれは微笑ましくない💦

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ずいぶんとそんな自分を疑った。
「どーかしちまったんじゃなかろーか」

長い間自問自答してきた。
そして、分かった。

それは次のような「神示?」であった。

「終わってゆくものにすがったり、拠り所を求めたり、信じたり、美化したり、まして翻弄ほんろうされたりしてはならぬ」

そう、

どーかしちまってるのは、世の中の方だ。
それは間もなく終わってゆく壮大な建造物だ。
その景色は「ツワモノどもが夢のあと」(闇の戦士が具現化させたマトリクス世界の残像)だ。

カーテンはまもなく下りる。

終わってゆくものにしがみついている人たち
終わらざるもの(無始無終)に乗っかる人たち
二極分化の流れ

それは、大きな大きな流れ
この地球を飛び越えて銀河系全体を組み込むような壮大な流れ

そうした風景が私の心の中で確かに広がっていた。
私が関心があるのは、
人類がこのかた未だかって経験したことのないほどの光輝く未来だ。
その未来は、いまこの足元のタイムラインで繋がっている。
それだ! 
こちら(現状のすでに終わっている世のなか)ではない。

だから、そんな瓦礫がれきの世界はも―いいじゃないか?
ここには、そんな者たちに汚されていない美しい大自然がある。
きれいな心を保っている多くの無垢な魂がある。
わたしたちは、彼ら彼女らとともに今からこの地上に素晴らしい愛と美しさにあふれた世界を顕現けんげんしていこうではないか?


終わりゆくものにどーして執着するのか?
なぜそんなものにしがみつこうとするのか?
そちらのタイムラインは芥川の『蜘蛛の糸』のそれだ。
烏合の衆がああでもないこうでもないとわめきながら、あるいは神妙になりながら、我先にしがみつかないと乗り遅れてしまうと思い違いしているそれだ!

実に、二つの世界に分岐し、同時進行でそれぞれ180度真反対の世界に向かっているではないか! しかも、この同じ地上で。


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とはいうものの、私のこの奇妙な病気を同じく患っているものも、少数だがいることだろう。

それは、肌身(直観)で時代の分け目を感じている感覚だ。

多くは、おかしなことを言うくらいに取るだろう。
よくわかっている。
分かっていて書いている。
それは、どーでもいい。

多くの方が「どーでもいい」と考えていることが、
私にとってはどーでもよくない。

みずがめ座の時代。
そこにいま、冥王星がやってきた。


そのことが、あなたのいま問題にしているそれよりも数倍大事なことであったとしたらどーだろう?

調べればお分かりになることだが、実際はそれらの絶対的な天文学的背景が、この地上の事象に大きくかかわっている。

それは「宿命論」ではなく「宿命」だ。
いまは、真実が浮かび上がる時代に入った。
片端からうそが白日にさらされることで、
みごとにそうなってはいまいか?

あなたが、わたしが、そして多くの人たちが抱えているその公私ともどもの「問題」が、闇が(そう問題であって欲しくて)振りまいている一種のダミーであったことが次第に明らかになってきた。
それが「トロイの木馬」の場合すらある。

その問題に一週間
あの問題に一か月
さらに別のあの問題に一年

連中の筋書きは、問題を抱えさせること。
さらにそれらを追及させて(偽のあらかじめ用意した部分的な)「闇」に行き着いて欲しいのだ。
暴かれたくない闇を別な闇にすり替えることで、
首謀者は逃げてゆく。

だから、その「問題」そのものが、実は偽装であり、目くらましであり、連中のトラップですらあるのだ。

完全な世界には問題などない。
(ということさえ経験がないから違和感に感じる)

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闇が一番恐れるものは何だろう?
それは「」だ。
」だ。

あるいは、
人類が一致団結してこの惑星を解放しようとするフォースだ。
よくなりたいという願いだ。

「もうこんなキチガイじみた、狂い果てた世の中はまっぴらだ!」
という断言だ。(それをありありと見せてくれているではないか?)


どう闘う?

この物質世界のみならずプラズマ界、エーテル界、アストラル界という低層四次元までちょっかいを出し、ほぼ支配してきた異星の悪い連中と。

高度なテクノロジーを持った奴らと。

こいつらを叩きのめさない限り、事態は百年一日の如しで
まったく変わることはない。
しかし、それがわれわれの手に負える相手なのか?

しかし、どーやら、そうした悲壮感をもって”瀬戸際”に立つ時代は過ぎ去ったようだ。

なぜなら「闇」は、この世界もろとも、、、、、、、、終わろうとしているから。
気の遠くなる長い間の銀河戦争のそれが答えだ。

闇はすでに負けたのだ。

終わるものをして終わらしめよ
それは(終わるものにとっては)苛烈かれつな体験である。
それは「死」を通り越して「解体」ですらあるからだ。

(この情報は記すのをやめよう)

しかし、それは「終末論」ではない。
それこそが「大転換」である。
それこそが、「この世から悪が一掃される瞬間」である。

予言書にある「立て替え立て直し」は真実だ。
黙示録もくしろく」は真実だ。

あなたや私を含む大方の地上の人たちは「避難」を経験し、さらによく言われるアセンションの過程に入る。
つまり、私たちは救われる以上に救われ、ようやく進化の過程に入る。
それは、特別なことではなく、本来の私たちに戻ることを意味する。
あらゆる抑圧やベールから解放されることを意味する。

これが、狂信的な「選民思想」をあらわすものではないことはお分かりだろう。

単純にこの宇宙から「悪」「闇」が一掃されるだけのことだ。
なぜかという、その答えは「みずがめ座の時代」とはそうした時代だからである。

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最後のとりでは、わたしたちの連携だ。
地球開放はわれわれ地球の人類でないとできないからだ。
「解放」をだれかにやってもらうのでは、それは「放牧」だ。

さまざまな手段がある。
すでにそれに向かっている方々もたくさんおられる。
素晴らしい未来というタイムライン。
それを、信条や理念を超えて、だれでも、どこでも、簡単に具現化することが可能なのは、「瞑想」ではないだろうか?
問題は、物質界~精神界にまたがるからだ。
しかも「集団瞑想」の力は岩をも通す。

あなたが、あなたの人生をあなたの意識で具現化してきたように、
今度はわたしたち全員がこの愛する地球の明るい未来の共創に、一つになるときではないか?


一つだけ確かなことは、
わたしたちに準備ができていようがいまいが、
その時は確実にやってくるということ。







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Monikodo
東洋哲学に触れて40余年。すべては同じという価値観で、関心の対象が多岐にわたるため「なんだかよくわからない」人。だから「どこにものアナグラムMonikodo」です。現在、いかなる団体にも所属しない「独立個人」の爺さんです。ユーモアとアイロニーは現実とあの世の虹の架け橋。よろしく。