TOKYO RICE CURRY

こんにちは、東京ライスカレーです。 10年間グラフィックデザイナーとして活動し、スパイスカレーの道へ。 スパイスカレーの教室や、市場の中でスパイスカレー店を経営しておりました。現在、店舗は閉店。 次は、何をしようか考え中。 変幻自在のカメレオン人生。

TOKYO RICE CURRY

こんにちは、東京ライスカレーです。 10年間グラフィックデザイナーとして活動し、スパイスカレーの道へ。 スパイスカレーの教室や、市場の中でスパイスカレー店を経営しておりました。現在、店舗は閉店。 次は、何をしようか考え中。 変幻自在のカメレオン人生。

最近の記事

路上生活-2

なおみさんを探している間に。 もう一人、女性の路上生活者とぶつかった。 観光客で賑わうお寺の敷地の藤棚のベンチの下に。 90度に首を折り曲げて座っている姿が目に止まった。 なおみさんへ差し入れをしようときたのだけど。 昼間に1時間くらい探し回ったが、明るいうちは観光客で賑わっていてホームレスの人たちは見当たらなかった。 夜にもう一度戻ってきて探し回っていたら、観光客とは全く別の装いでベンチに座っている人たちがいるのが見えるようになってきた。 普段、社会の歪みで苦労をして

    • 路上生活-1

      店に入り、階段を登った先の正面の壁の席。 テーブルに突っ伏している人影が見える。 首が90度に折れ曲がっているので、頭のつむじがこちらに向かって見えている。壁から人間の形をした何かが飛び出てきているような。 オブジェなのかと錯覚するような。 、、、この人に間違いない。 空いてはいるが、店内には何人かの客がいる。 60代であろう白髪の男性。 30~40代の女性。 背中に感じる視線。 階段から真っ直ぐに壁の方に向かっていく私を目で追っている。 テーブルの上には、食べ終わった包

      • ぐにゃぐにゃ...

        残念ながら、私の嫌な予感は外れなかった。 私の思い違いであってほしかった。 なぜならば、人類の未来を憂いて志高く、今できることを見つけて行動できる仲間を探していたから。 一緒に考えて、悩みを打ち明け、手を取り合って行動できる仲間が欲しいから。 好きな友だちの紹介ならば信用できると思い、体調もイマイチで気乗りしない気持ちを押し切って遠出した。 が、、、、しかし。 私たちは目覚めているから大丈夫。ぐにゃぐにゃ。 コ●ナで目覚めた日本人も沢山いるはず。 日本人の80%は、お花畑

        • 終戦記念日に

          この記事は私自身の思い出と経験、その時に獲得した感情や知識・知恵を辿りながら記していき、現在の私を形作るものを探っていく物語です。 今、私がここに在ることへの感謝の祈りをささげる。 79年前に負けた戦争。 自分たちの家族、愛する人を守るために命をかけて亡くなっていったご先祖さまの魂たちへ。 大きな痛手を負いながらも必死に命を繋いでくれた先人たちへ。 今、私がこうして朝めざめ、息をして、誰かを思うことができること。 ありがとうございます。 そう思ったら、最近の私の体た

          おじいちゃん -その2-

          この記事は私自身の思い出と経験、その時に獲得した感情や知識・知恵を辿りながら記していき、現在の私を形作るものを探っていく物語です。 祖父の血を受け継いでことを誇りに思うエピソード。 祖父の口から語られることのなかった、戦時中シベリアで抑留されていた頃のお話し。 同じ隊にいた同僚が支給されたばかりの新しい軍服を無くしてしまったことがあったそうで。軍服がなくて困っていたところ、祖父は迷わずに新しい方の軍服をその人に譲ったという話しを母の口から誇らしげに語られた。 日本の戦

          おじいちゃん -その2-

          おじいちゃん -その1-

          この記事は私自身の思い出と経験、その時に獲得した感情や知識・知恵を辿りながら記していき、現在の私を形作るものを探っていく物語です。 私たちは、おじいちゃんが大好きだった。 土曜日の午後は、おじいちゃんが自転車で学校まで迎えにきてくれるのが楽しみだった。 学校であったあれこれをおじいちゃんと話をしながらお家に帰る時間。 母子家庭だった私は、父の日が憂鬱だった。 「おじいちゃん、いつもありがとう」という文字と共に描いた似顔絵。 一人だけ年代が違う、父親参観日。 平日は17

          おじいちゃん -その1-

          集団催眠状態

          この記事は私自身の思い出と経験、その時に獲得した感情や知識・知恵を辿りながら記していき、現在の私を形作るものを探っていく物語です。 バブル全盛期は、なんでもかんでもアルファベット表記にして、日本語特有の訛った英語を話しているTV画面の中の大人たち。 ポルシェにドンペリ、夏休みと冬休みはハワイ旅行。 マクドナルド、コーラにペプシ。 アッシーにメッシー。シータク拾って、西麻布でしーすー。ギロッポン行ってチャンネーつかまえる。 週末は、マカオでバカラ。正月は家族とワイハ。仕事の

          集団催眠状態

          1986小学生

          この記事は私自身の思い出と経験、その時に獲得した感情や知識・知恵を辿りながら記していき、現在の私を形作るものを探っていく物語です。 1980年代後半、世の中がバブルに浮かれている頃。 ちょうど地元に販売価格1億円を超えるマンションが建った。 このとき初めて億ションという単語を耳にした。 近所の羨望の眼差しを集め、噂の的となった。 小中高、公立学校。 私たちの小学校ではクラスの半分は中学受験をし、半分は地元の公立へ進む。 小学生の頃は、国語、美術、音楽、体育が好きな子どもだ

          バンコクWeekend market

          チャトゥチャック市場で、土日に開かれるウィークエンドマーケット。 衣類、雑貨、アート、動物なんでも売ってる市場。 店舗の数は、なんと15,000以上。 そして週末の人出は20万人超。 地元の人にも大人気のこの巨大マーケットです。 ◆アクセス方法◆ BTSを利用の場合: BTS モーチット駅の1番出口を出て、マーケットの案内標識に従って進む。 MRTを利用の場合: MRT チャトチャック駅の1番出口を出たら、市場の案内標識に従って進む。 植木市に行く場合は、MRT カンペン

          バンコクWeekend market

          広がるバンコク

          バンコクの成長は目を見張るものがある。 前回訪れたのは、約20年前だから変わっていて当然なのだけど。 当時は、タイといえばコ・パンガンにコ・サムイのフルムーンパーティ。 レオナルド・ディカプリオ主演のThe Beachの楽園に行きたいと、ヨーロッパ中から観光客が訪れていた。 私はといえば、イスラエル人の買い付けにくっついてはじめてタイを訪れたました。 初バンコクの思い出は、 カオサンロード/ 洋服の市場/ コ・タオ 沢山のバックパッカー宿と、道の両脇にびっしりと並ぶ露店と屋

          広がるバンコク

          空港から市内へのアクセス

          空港--->パタヤ---->バンコク---->空港 今回は、こんな感じの流れでした。 飛行機がランディングする前に、海外SIMに入換完了! 着陸したら普通に電話できます。 夜中に到着の便、20年ぶりのタイだったので今回はBooking.comにて事前にドライバーさんの手配をしました。 空港からパタヤ(メインからは少し離れた場所)のホテルまで、高速代金込みで1,500バーツ(6,000円)くらいでした。 高速で1.5hくらいのドライブ。 感覚でいうと、東京〜箱根的なイメージ

          空港から市内へのアクセス

          バンコク・パタヤ旅

          Google mapもあるし、翻訳アプリもあるいま。 国内とほとんど変わらないで動けるスムーズな旅のヒント。 出発前の準備〜空港到着まで 海外SIM・SIMピン そもそも自分の携帯がSIMフリーなのかを確認してください。 iPhoneの場合: 「設定」アプリを開く 設定画面にある「一般」の項目をタップする 一般画面にある「情報」をタップする 「SIMロック」の項目を確認して、「SIMロックなし」と書いてあればSIMロックがかかっていない・解除されている 今回は

          バンコク・パタヤ旅